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あなたは二階の外廊下で待っていた雪比古と合流した。
西の角部屋へ向かって歩き出す。
ここが幻の世界だなんて不思議だ。風は凪いでいるけれど、空は青く太陽は眩しい。
あなたの隣を歩いていた人形のように端整な顔が、ふっと眉を寄せた。
「……のう」
「なぁに?」
「悪霊は、こちらに気づいておる。そなただけなら気づかなんだかもしれぬが、吾が来てしもうたからの」
呼んでしまったのはあなただ。
「子どもの霊から切り離したとはいえ、悪霊にはこれまで蓄えてきた霊力がある。干からびた手だけだったときとは違う」
「どうしたらいいのかな?」
あなたは鈴を見た。
この鈴に思いを籠めれば、きっとどんな霊力でも発することができる。
しかし相手に利用されたり吸収されたりしたのでは、意味がない。
鈴を握るあなたの手を雪比古の白い手が包んだ。
「雪比古くん?」
「吾を信じて、悪霊に金気を放ってくれぬか?……絶対に反撃されるじゃろうが」
彼にはなにか考えがあるのだろう。
あなたは頷いた。
──ふたりで西の角部屋の前に立ち、扉を開ける。
ぐにゃりと世界が歪む。
幻のアパートが消えて、あなたたちは暗闇に放り出された。
腕組みをした男が、こちらを睨みつけている。
彼には、片腕の手首から先がない。昨夜、あなたたちによって浄化されたからだ。
激しい憤怒が渦となって押し寄せる。
目の前の悪霊の怒りが、青い蛇となってあなたに襲いかかる。
リィー……ン……
あなたは雪比古を信じて、鈴を鳴らした。
鈴の音が白い光になり、光は何本もの矢に変わり、青い蛇に降り注ぐ。
月光を思わせる白は、悪霊の木気を倒す金属の色だ。
男が笑うのがわかった。
蛇の色が変わる。青から紫、紫から赤──蛇は金属を溶かす赤い炎に覆われた。
「……っ」
目の前で溶けていく白い光の矢を見て、あなたの体が凍りつく。
硬直した肩に、雪比古の手が載せられた。
「大丈夫じゃ。……金生水」
彼の背中で白い翼が羽ばたく。
舞い上がった小さな羽根は、シャボン玉のようにぱちん、と弾けて水滴になった。
蛇を覆う赤い炎が羽根の雨で消えていく。
残った一本の白い矢が、守りを失った青い蛇を貫いた。
断末魔が響き渡る。男は黒い霧になって、消えた。
「……やった、の?」
「うむ。吾らの勝利じゃ」
「やったー」
手を取り合って喜ぶあなた達の耳朶を、錆びた階段を上がる軋んだ音が打つ。
悪霊の作った幻の世界が消えて、現実に戻ったのだ。
仕組みはよくわからないが、あなたも彼も実体を持ってアパートにいた。
彼が元いた場所では、いきなり消えたと驚かれているだろう。
まあひとりで寝ていた雪比古は、だれにも気づかれていない可能性もある。
やがて退魔師たちが現れて、いるはずのない天狗を見て目を丸くした。
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