表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
狭霧町奇談  作者: @眠り豆
120/156

119

あなたはふたりに同行することにした。

今さらながら、夜の山にひとりでいるのが怖くなったのだ。

あなたが頷くと、無精髭の男が情けない声を上げて喜びを表した。


「良かったあ」

「なにが良かったんです?」

「だって刃くんとふたりきりだったら、寅さんが怖くて連れてきたのバレバレでしょ? 彼女がいれば、Wデートってことで誤魔化せるじゃん」

「ぷふっ!」


あなたは思わず吹き出してしまった。


「え? なんか面白かった?」


刃が涼やかを通り越した冷たい声で答える。


「滅茶苦茶面白いですよ。霧に覆われた夜の森でWデートするって発想に、僕は笑いが止まりません」

「……笑ってるにしちゃ、刃くんの顔、凍りついてるんだけど」

「気のせいです。じゃ、行きましょうか」


あなたへは温かく微笑んで、刃は南へと進み始めた。さっきは選ばなかった方角だ。

不満げに唇を尖らせて、珠樹が後を追う。

あなたも急な傾斜の山道を登っていく。


(霧、か……なんだか少しずつ薄くなってるみたい)


思いながら、両腕を乱暴に振り回す。

霧が薄れていくごとに、あなたは握ったしずく型の石を恐れるようになっていた。

腕を振り回すことで、少しでも石を自分から遠ざけたい。

いや、そもそもこれは石なのだろうか。

石というより土の塊。土の塊というよりも絡み合った根っこ。

そしてしずく型というよりも卵型で、さらによく見れば手首から上がない手にも見えた。

あなたの手の平に爪を立てた手だ。

水気を失い干からびて縮んでいるので小さいが、男性の手のように思われる。


(大体わたし、本当に恋人なんかいた?)


あなたが復活させようとしていたのは、一体だれだったのだろう。

名前も面影も思い出せないでいた。もしかしたら最初から知らないのかもしれない。


「着いたよ」


ふたりの目的地には、大きな焚き火が燃えていた。

焚き火の前には大きな皿があって、赤ん坊の顔を描いたまんじゅうが山と積まれている。

皿の前には赤いフェルトのマット。あなたはどこかで聞いた、緋毛氈ひもうせんという言葉を思い出した。確か雛人形に関係している。

目の前には雛人形、お姫さまもちゃんといた。

真っ直ぐな黒髪からねじれた角を覗かせた鬼のお姫さまは、艶やかな赤い着物を纏って座っていた。

肌は真っ白、怖いくらい鮮やかな赤い唇が咲く。

授業中に脱線した教師が、笑うことを咲くと表現するのだと教えてくれたけれど、それを実感したのは今回が初めてだった。


「ようこそお越しやす」


あなたは前に立つ刃が笑いを噛み殺したのに気づいた。

普段の彼女はこんな風ではないのに違いない。


「おや?」


形の良い眉を潜め、彼女は立ち上がった。

かなり背が高い。すらりとしたモデル体型だ。

真っ直ぐあなたに向かってくる。

あなたは刃の背中に隠れた。


(わわわ、なになに?)


ところが刃は横に避けて、あなたの姿を鬼姫に晒してしまう。


(ひどいー!)


いつの間にか珠樹もいない。

縮こまったあなたに、鬼のお姫さまが腕を伸ばす。

もしかして鬼の生け贄として連れてこられたのだろうか。

しゃん……と、彼女の髪に挿された簪が揺れて、鈴のような音を響かせる。

黒髪だと思っていたのは、近くで見ると濃くて深い赤い髪だった。

鬼のお姫さまは両手で、しずく型の石を握ったあなたの拳を包み込んだ。


「……クソ野郎……」


舌打ちとともに漏らされた剣呑な呟きに、あなたの背筋は凍りついた。


(お、怒らせた? でもわたし女だから『野郎』じゃない)


自分でもピントが外れているとわかる思考を巡らせていると、鬼のお姫さまが微笑んだ。


「大丈夫だよ」


さっきの剣呑な呟きは、あなたに向けられたものではなかったようだ。


「珠樹さんと刃が結界を張ってくれた。もう、このクソ野郎は逃げられない」


吐き捨てるような蔑称は、あなたの手の平に載ったしずく型の石に向けられている。

──違う。それは石なんかじゃない。

来る途中で思ったように、あなたの皮膚に爪を立てている干からびた土気色の手だ。


「……っ!」


それは蠢いた。

あなたの体内へ爪を伸ばそうとしている。

恐怖を感じたとたん、辺りの霧が濃くなった。

鬼姫があなたを見つめる。優しいだけではない、厳しい視線だった。


「このクソ野郎は、あんたが倒すんだ」

「わ、わたしが? 倒す?」

「ああ。あんたには強い霊力がある。無意識に浄化してしまうから、悪霊や邪気を感知する見鬼の才も必要なかったが、それをこのクソ野郎に利用されちまったんだね。これをどこで拾ったか覚えているかい?」


毎朝毎夕歩く通学路にある、何年も無人のアパートの前の道が、あなたの頭に蘇った。

そうだ、あなたには恋人なんていない。

この土気色の手を拾ってから、記憶がおかしくなったのだ。


「思い出したようだね」

「あのとき、すごく悲しそうな子どもの泣き声がして……」

「それはこのクソ野郎が殺した犠牲者の声さ。自分の寿命を永らえるために子どもを殺して邪悪な儀式を行い、死んだ後も自分を守る盾として利用してる。しまいには親の元へ帰りたくて泣き叫ぶ声であんたを引き寄せた。……最低なヤツだろう?」


あなたは頷いた。

体の奥底から怒りが湧いてくる。

鬼姫が唇の端を上げた。


「木生火。動くものは炎を生じる。でもね、五行なんて対処療法に過ぎない。普段元気なら氷枕を当てなくても熱は下がるし、力が強ければ金気じゃなくても木気を倒せるのさ」


彼女の言葉の意味はわからない。

わかるのはただひとつ、自分の手の上にいる存在への激しい怒り。

怒りは炎となって舞い上がり、土気色の手を焼き尽くした。

一瞬で黒い灰になって、霧散する。

あなたの手の平には、爪を立てられた痕も残っていなかった。


「火生土。ま、それでも五行は覚えてもらわないとね」


あなたは手の平から顔を上げて、鬼姫を見つめた。

彼女が大きな口を開けて笑う。

よく見ると、唇の一部分にだけ紅を差して口を小さめに見せていた。

抜くか剃るかして整えているものの、本当は眉も太そうだ。


「あんた、あたしの弟子におなり」

「な、なんの弟子ですか? 茶道?」

「退魔師だよ」

「退魔師?」

「寅さん、どういうこと?」


焚き火の陰から現れた珠樹に、鬼姫は答える。


「今夜ね、丸たちの修行をあたしにまかせてもらえないか相談するつもりだったのさ。でもあの三人は龍神の名代だし、あの年ごろのガキどもに美人で色っぽい女先生ってのも目の毒だろ? あたし、この子の師匠になるよ」

「ぷふーっ!」


珠樹とは逆の焚き火の陰から現れた刃が、腹を押さえて爆笑している。


「肉食女子に食われるどころか、お師匠まるっ……きりアウトオブ眼中っ!」

「……刃くん、笑い過ぎ。でも寅さん、そういうことはまず彼女と話し合わなくちゃ」

「そうだね」


鬼姫の視線があなたに戻ってきた。


「あたしは鬼、寅。鬼が苗字で寅が名前。龍神山……じゃなかった、今は狭霧山だっけ、に住む鬼一族の総領娘で退魔師の資格も持ってる。あんたみたいに優しくて霊力の強い子は危険だから、あたしに弟子入りしなよ」


さっきも少し話してくれていたが、あなたには強い霊力があり、本来は無意識に悪霊や邪気を浄化していたのだという。

あなたが毎日歩く通学路のアパートに巣食っていたさっきの悪霊は、浄化されないギリギリの位置で接し続けて防御作用を麻痺させた。そして子どもの泣き声を案じる優しさにつけ込んで自分を拾わせ、突き刺した爪から邪悪な妖力を送り込んで記憶を操作したのだ。

この山に遺された龍神の霊力を奪うことで復活しようと企んでいたのだろう、と寅たちは語った。

穢れた悪霊は清浄な龍神の結界に入れない。

それであなたを利用したのだ。

もちろんあなた自身の霊力も吸い尽くすつもりだったことは間違いない。


「僕も弟子入りしたほうがいいと思います。これまで大丈夫だったからって、これからも大丈夫とは限らないですからね。今回の悪霊みたいに、助けを求める存在を利用して君を騙そうとするものも出てくるだろうし、力の使い方を知らないままだったら暴走させてしまう危険性もありますよ?」


刃にも勧められて、あなたは混乱しながらも首肯した。


「そっか……うん」


鬼姫、あなたの師匠となった寅の手が、あなたの頭に降りてくる。


「今夜は頑張ったね。自分の名前さえ忘れて、山の中をさ迷うのは辛かっただろ?」


悪霊に麻痺させられていた心に、不安と恐怖が一気に噴き出す。

師匠の手は重く、とても温かくて、あなたは涙を堪え切れなかった。


「た、助けてくれて、ありがとうございました」

「なに言ってんだい。クソ野郎を退治したのはあんた自身の力さ」

「あの……」

「なんだい?」

「わたしが、あの、アレ、を拾ったとき、泣いてた子は……」

「大丈夫。あの世へ逝けたよ。火には浄化の力があるのさ。クソ野郎に囚われていた魂は全部解放されたし、あの場所……は?」


寅の視線を受けて、珠樹が手を上げた。


「協会に報告して処理しとくよ。悪霊のせいで邪悪が集まる土地になっちゃってるとはいえ、持ち主のいるアパートを勝手に燃やして浄化するわけにはいかないからね」

「そっか。そういうのは五行や術を学ばないとどうしようもないからねー。とりあえずあんたは自分の身を守るすべと、邪悪なものを滅ぼす方法を覚えようね」

「はい!」


あなたは力強く頷いた。

師匠は角を隠して、あなたの住む狭霧町の女子大に通っているので、退魔師の修行はそちらで行なうことになる。

あなたが狭霧町で巻き起こる不思議な事件を解決して、二代目赤鬼姫の異名で呼ばれるようになるのは、まだ少し先の話だ。


<二代目赤鬼姫END>


*あなたはだれかの真名数を知っていますか? この章の番号に真名数を合わせて出た数字へ進むと、このENDバージョンでもそのだれかと出会えるかも?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ