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狭霧町奇談  作者: @眠り豆
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「あの……」


バスケット少年に声をかけて、あなたは後悔した。

声をかけられて驚いた彼の手が伸びたからだ。

リバウンドし損ねたボールを追う腕が、ジャージの袖から飛び出して伸び、逆の腕は縮んでジャージの袖が垂れ下がる。普通の人間にできることではない。


「ああ、またやっちまった」


腕の長さを元に戻し、彼はあなたにふり向いた。

細い目と眉を持つ顔は、表情に乏しいように感じる。


「なんか、用?」

「え、え~っと、ウ、ウサギ知りませんか?」

「ウサギ? 探してんの?」


頷くあなたに彼は首を横に振る。


「見てないな」

「そ、そうですか。失礼しました。それではこれで……」

「待てよ」

「な、なんですか?」


腕が伸び縮みする少年が尋ねてくる。


「あんた、腹が減ってんじゃないか?」


言われて、あなたは自分がひどく空腹なことに気づいた。


「サンドイッチがある、食えよ」

「え、あの……」

「夜更けにこんな場所でシュート練習してる男が信用できないのはわかるが、自分の家の近くに死体を転がしたくないんだ。ひとりで行動したいなら止める気はない。だけど、せめて腹ごしらえはしていけ」


あなたが答えるより早く、彼はゴールポストの下に置いてあったバスケットケースを持ってきた。よほどバスケットが好きらしい。


「ほら」


少年が突き出すバスケットの中には水筒と、ラップに包んだサンドイッチ。

ほんのりと、美味しそうなしょう油とマヨネーズの匂いがした。

腕が伸び縮みする以外、彼は普通の男の子に見える。

バスケットをするには低めの身長ではあるものの、あなたよりは高い。

少し表情に乏しいけれど、鼻筋が通った整った顔は魅力的だ。

ジャージの袖から覗く腕は筋張っていて逞しかった。


「いただきます」


──気がつくと、あなたはサンドイッチを掴んでいた。

空腹に耐えられなかったのだ。


「……美味しい」


キュウリのサンドイッチだった。

ぶ厚く切ったキュウリと水気を抜いた豆腐をオリーブオイルで焼いて、ジャコを和えたしょう油マヨネーズを塗った固めのパンで挟んでいた。

気のせいか、パンからは桜の香りがする。

しょう油のしょっぱさが、夜の山を歩いて疲れた体に染みていく。


「キュウリって水っぽいだけだと思ってたけど、こんなに美味しいんだ」


少年はあなたから視線を逸らした。目の周りがほんのりと、赤く染まっている。


「……うちの畑で作ったんだ」

「あなたの家、農家なの」


狭霧山には確か、小さな村があるはずだ。

こんな山の中では、畑を作るだけでも大変に違いない。


「ああ、河童農場だ」

「……河童? この川と同じ名前なんだね」

「気づいてなかったのか」


彼はバスケットを持つ腕を伸ばし、逆の手を縮めた。


「河童は、手足の長さを調節できるんだ」

「そ、そうなんだ……」


足の震えは止められなかったけれど、あなたは逃げ出さなかった。

サンドイッチがお腹に落ちて、気持ちが落ち着いている。


(危害を加える気なら、いつだってできたものね)


「ほら」


伸ばした腕でバスケットを川原に置き、河童少年は自分のジャージを脱いで寄越した。


「ウサギを探すんだろ? この山にはスケベな鬼がいる。薄手のパジャマ一枚でうろついてると危ないぞ。それでも着てろ」

「あ、ありがとう」

「返さなくていいから」


ジャージを脱いだ少年は、逆三角形の体に黒いタンクトップを纏っていた。

バスケットボールよりも水泳に向いていそうな筋肉だ。


(あ、河童だからか)


「……良かったらウサギ探し手伝おうか?」

「う、ううん! ありがとう、ひとりで大丈夫」

「そうか。じゃあ気をつけて」


あなたは河童少年と別れ、また夜の森を歩き始めた。

しばらく歩いて立ち止まり、しずく型の石を見る。

さっき河童少年の申し出を聞いたとき、握った手に痛みを感じた。


(あれがなかったら、助けてもらってたかも)


感じた痛みは、恋人の嫉妬だったのかもしれない。

サンドイッチを食べて、あなたは自分の名前を思い出していた。

だけど亡くなった恋人の名前は、まだ、思い出せていない。


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