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「……お師匠、ウソついてたんですね」
あなたの言葉に師匠の寅は、がははと豪快な笑い声を上げた。
今日は角を隠し、すらりとしたモデル体型にマニッシュなパンツルックを纏っている。
「あのとき悪霊はまだ消えてないって言ったら、あんた心配で体に戻れなかったでしょ」
「それはそうですけど……」
昨夜、あなたは実体を自室のベッドに置いて、霊力の塊である幽体だけで狭霧山に行っていた。
子どもたちの霊はあの世へ逝ったと寅に言われ、安心して実体に戻ったあなたは、今朝目覚めていつも通り学校へ行こうとしたのだが、土気色の手の悪霊が生前暮らしていたアパートで彼女に呼び止められたのだ。
悪霊退治は無事終わり、あなたは見習い退魔師として登録するため、退魔師協会の事務所へ向かっている。
とりあえずは、寅の車が停めてあるアパート近くのパーキングが目的地だ。
「寅さん、いきなりの実戦はどうかと思うよ」
掠れた声で、退魔師の珠樹が寅に意見する。
学生服を着て日本刀を持った刃も一緒だ。
「だからあんたたちにも同行してもらったんじゃない。結果オーライ。男が小さいことをつべこべ言ってんじゃないよ」
(たぶんこれからもこの調子なんだろうな……)
あなたは寅の豪放磊落な性格が嫌いではない。
嫌いではないけれど──これからいろいろ苦労するのは間違いなかった。
「土地の浄化は建物壊して更地にしてからだよね」
珠樹が首肯するのを見て、寅は腕組みした。
「一週間くらいか。時間がもったいないね。珠樹さん、協会が募集してた廃病院の除霊、これから行こうか」
「……はい? ちょ、ちょ、寅さん。協会が募集してるのはC級退魔師二十人だよ」
「うん。この子が見習いでも、S級が三人いれば問題ないでしょ」
「寅さん、あそこは敷地が広いから集まった霊の数が半端じゃないだけで、それほど難しい案件じゃないし、報酬も低いと思うけど」
「だからちょうどいいんじゃん。協会に報告だけして、あたしの車で向かうよ」
(まあ、わたしが選んだお師匠様だもんね。しょうがないか……)
諦観して受け入れかけたあなたの耳朶を、涼やかな声が打った。
「待ってください」
「刃くん?」
「なんだよ」
「彼女はまだ、五行の理も覚えきってないんですよ。今回は特殊な例です。ほかの事件は勉強してからのほうがいいんじゃないでしょうか」
「えー」
「もちろん彼女は、いつまでも見習いにしておくのはもったいない霊力の持ち主です。だから今回の案件での活躍を報告して、僕とお師匠がランクアップを推薦しておきますね」
「ホント?」
寅の顔が輝いた。
「良かったー。この子、あたしが思ってたより有能なんだもん。早くランクアップしてあげたいのに、師匠のあたしの推薦だけじゃ弱いし……あたし、人にもの教えるの得意じゃないし、さ」
珠樹が目を丸くした。
「じゃあなんで、弟子を取ろうとか思ったの」
「えー? だって丸たち修行始めたら忙しくなるし、大学のツレも就職活動で暇ないし、それにあたし、昔から妹がほしかったのよ。ほら、うちの弟甲斐性ないから、義妹なんて望むべくもないじゃん?」
「ぷっ」
吹き出したのは刃だった。
「す、すいません。なんでもないです」
ちょっとどうだかなーと思わないでもなかったものの、あなたは寅に告げた。
「お師匠は教えるの上手ですよ。昨夜も今日も、お師匠が導いてくれたから、わたし頑張れたんです」
「……弟子―っ」
感動したらしく、寅が抱きついてきた。
甘い香りが漂うやわらかな体は、とてつもない怪力であなたを締めつける。
「お師匠、お師匠」
「どしたの?」
「角出てます」
「ヤベ。鬼の力で抱きついちゃったよ」
珠樹が溜息をついた。刃はお腹を抱えて、必死で笑いを噛み殺している。
──その後、寅の車の中で刃がこれから放課後に、退魔師に必要な知識を教えてくれると約束してくれた。
「刃、あたしの弟子口説く気?」
「そうですね、可愛いと思ってますよ」
「ひゅーひゅー」
「お師匠、追い越されたからって追い越し返そうとするのはやめてください。ほら、アクセルから足を上げて」
「……はーい。可愛い弟子の頼みは聞いてやるよ」
「その調子で寅さんのサポートしてあげてね。最初はビックリしたけど、君のためにも寅さんのためにも、一番いい形かもね」
お礼を言って頷いたあなただけれど、実は少々心臓の動悸が速くなっていた。
ちらりと刃を見て、微笑みを返されて目を逸らす。
「あら、あんたも満更でもないの?」
「お師匠、前向いて運転してください」
「うぇーい」
これから狭霧町で始まるあなたの伝説には、ほんのりと恋の予感が香っていた。
<二代目赤鬼姫 プロローグ 刃>