005.別視点
奴隷の少年目線。
俺は、はじめて入った都に息を呑んだ。
奴隷として捕らえられてからというもの、感情なんてものは無くなったと思ってた。だが、まだ人間らしさは残ってたらしい。
ほんの欠片くらいは。
ダリア国の第一都は美しく、そして残酷な景色が広がっていた。
俺達『新人奴隷』を乗せた馬車は、門を通過する。都を魔物達から守るのは、真白な石の城壁。
どれだけの人間が仕事を強いられ、犠牲を産めばできるものなのか。中にいる大半の人間は知らないし、知ろうともしないだろう。数週間前までは俺も知らなかったし、知ることになるとも思ってなかった。
その神々しい白色に唾を吐きたい気持ちを抑え、前に向き直る。
俺もまた、犠牲の中の一人になるんだと分かっていたから。
どうしようもないのだと、理解していたから。
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都に入った俺達は、長い間、馬車の中で待たされた。
俺達を売りさばく会場と商人との間で金のトラブルが起こったらしい。
支払いの渋い会場は見限ると言って商人は激昂し、その怒りは俺達に降り注がれる。
俺達が馬車から引きずり出されたのは、その馬車が会場から借りたものだからだろう。
こうなると、別の会場まで歩きを余儀なくされる。
俺達はぞろぞろと列をなして、商人についていった。逃げ出すものはいない。仕込みはもう完了してる。
道行く人が俺達を迷惑そうに見やる。奴隷を見る目は、ゴミを見るそれより酷い。
俺達は死に損ないのレッテルを貼られたゴミ。子供は手間がかかるから、奴隷としても好まれない。商人は、金のある人がお前達を買ってやるのだと言った。
力仕事には向かないから、用途はもっぱら潰すまで抱くこと。潰すのが前提だから、値段も安い。
だから、ゴミなのだ。
俺は、道々に置いてある美しい神々の像を見る。
その中でも一際美しい男神セスが目に映った。柔和に微笑む、我らが父。
自分の子供に裏切られて殺されて、それでも微笑んでいる。よほど能天気なやつだったんだろう、セスという神は。
死は、この神が死んだことにより降り注いだという。敬うというよりは恐れ、許しを乞うている。
浅ましい神と、それから生まれた、やっぱり浅ましい人間。セス神は、俺達のことをどう思っているんだろう。
ぼうっと像を見ていたから気がつかなかった。
商人が俺に蹴りかかっていたことに。
受け身も何もあったもんじゃねぇ。
当然というか、俺の身体は飛ばされ、車道に放り出される。商人の息を呑む声に続いて聞こえた、馬の嘶き。
豪華絢爛な馬車が、俺の前で止まっていた。違うな、俺が止めたんだ。
馬を止めた軽薄そうな騎士が少し困ったような顔を浮かべ、俺を見下ろす。
俺も困っていると、熊のようなガタイの男が馬車から出てきた。やはり要人警護している騎士なのか、華美な服と、腰には剣を一振り。
ぼんやりしていると身体に衝撃が走った。すみませんねと言いながら、商人が俺を蹴ったのだ。
蹴られて、殴られて、血が飛んで、流石に周りの人間が悲鳴を上げていた。そして、何故か商人に向かって熊が威嚇した。
俺が謝らなきゃ状況が酷くなる。
俺が口を開いたのと、カタンと音がなったのは同時だった。
豪華な馬車から出てきたのは、目を疑うような美しい子供。
まず、その濃い紫の髪に目がいった。
手入れがよくされているんだろう。中央が丁寧に編み込まれたその髪は隙なく後ろへと流されている。
ややつり気味で切れ長な瞳も、冷酷というよりは頭脳明晰という印象を受ける。少女のようなふっくらした口は歪み、機嫌が悪いのだという印象を受けた。
ただ、俺を見て嫌悪している感じじゃない。
膝上までの外套からズボンが覗いているので、この子は少年に違いない。俺より背が高いので、年上なんだろうか。
「一体何だ」
彼は熊騎士にそう言ったが、その割に落ち着いている。確認の為に言ったという印象。
熊騎士はボリボリと頭をかいた。
「出ちゃダメって言いませんでしたっけ」
「主は俺だぞ」
そういいつつ少年が彼に怒った様子はない。
かなり気安い関係なんだな。
ぼんやりしていると、少年がこちらにやってきた。真正面から見ると、その造形が凄いものだと尚のことわかる。美をかたどった像が近づき、口を開いた。
「大丈夫か、お前」
「あ……あ……」
咄嗟に答えられない。
目を向けられるとも思わなかったのに、会話をしろだなんて!
しかし彼が俺を怒鳴ることはなかった。それどころか、少年は何か面白いものでも見たように目元を歪めた。
「お前、いくつだ?」
「……八」
「ふぅん。でも背は俺の方が高い。だから俺の方が上な」
彼が年下だった事よりショックだったのが、彼の一人称が『俺』だったこと。
何度思い返しても間抜けな話だが、その時はその美しい顔に粗雑な言葉遣いという組み合わせが衝撃的だった。
いつの間にか彼の手が俺の身体を押し、華美な馬車に詰められていた。その時初めて、俺は彼に立たされていたのだと気がついた。
彼は更に言う。何でもないことのように、奴隷の、薄汚い泥だらけな俺に向かって。
「家まで送ってやる。俺の方が上だからな!」
俺は生涯忘れることはないだろう。
セス神のような、その柔和な笑顔を。