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さよならだけが人生だ。

作者: 鳴瀬七瀬

「人間が死ぬためにはそりゃあもうたくさんの方法があるけど、当然、一人の人間につき一つしか成功させられない」

「だから?」

「だから、何を選ぶかが肝心なんだよ」

 広澤と私の出会いは不本意かつ偶然性がもたらしたものだった。本屋で高い棚にある本を取ろうとした私の手と、同じように伸ばした広澤の手がぶつかったのだ。まるでどこかの少女漫画のような出会いである。

 しかし我々が手を伸ばした本が自殺に向かう若者たちを描いたドキュメンタリー本であったこと、更には広澤の手首から二の腕にかけて無数の傷が走っていたことを考慮すると少女漫画らしくは無いだろう。

 私は勿論すぐに手を引っ込めた。彼は半袖を着ていたから傷跡にもすぐ気付いた。なんだか少し妙な奴だと思う私に、彼はあろうことか、こう言ったのだ。

「あんたも死にたいの?」

「はい?」

「だから死にたいの?」

 私は無意識に後ずさった。こいつは少しどころじゃなく妙な奴だ。初対面の人間に訊くことではない。彼は微笑み、私の目の前に先ほどのドキュメンタリー本を差し出した。

「死にたいんじゃないの」

「違います」

 そうだ、違う。私は……ただの興味本意だ。それを言おうかと思ったが思いとどまる。目の前の相手の目付きが異質だったからだ。ぎらついているくせに虚ろな眼差し。渇いて渇いて、砂漠の幻であるオアシスを眺めているかのような眼差し。


「なんだ、残念だ。同じなら残り時間を少しは有意義に過ごせるかと思ったんだけどな」

 独り言に聞こえるが明らかにこちらを見ている。こいつ、危ないんじゃないか……もし不意にナイフとかで切りつけられたらどうしよう、と刺激しないようにそっと様子を伺うが、手ぶらであるし、Tシャツにぴったりフィットしたジーンズという出で立ちで、武器を隠し持っているおそれは無さそうに見えた。

 そこで改めて彼の容姿に目を止める。やせぎすだが不健康な印象は与えず、すらりとした体躯は背筋がぴんと伸びていて美しい。顔はさほど器量良しではないが、不快感を他人に与える顔ではない。むしろ女性に好感度が高そうだ。

 でも、腕の傷跡ですべてがマイナスに引っ張られてしまっている。


「ねえ」

 そろそろと離れようとしていた私に向き直って彼が言う。逃げてしまおうかと頭をよぎったが、口が先に開いてしまっていた。

「はい」

「悪いけどこれ、折半してくれない? 思ってたより高くて。勿論君から読んでいいからさ」

 どうしよう、どうしよう。実を言うと私もやっとの思いで見付けた本だったのだ。金が無いなら買うなよ、と言いたかったが、彼は本当に大事そうに、その本を抱いていた。私と同じく探し回っていたのかもしれない。

 ああそうだ、私はお人好しなのだ。

「……いいですよ」



 それが、私達の出会いだった。




「昨日は飛び込みを試してみたよ」

「やめとけ。ものすごい迷惑だ」

「だよなぁ。一応人の少ない時間を選んだんだけど、子供連れた母親がいて。ああこりゃ俺の死体を見せるわけにはいかないと思ったよ」

 夕暮れのカフェでひそひそと話そうにも、彼の声はいつも通りの大きさだ。ボリュームを下げろと何度注意したかわからない。


 彼は幾度も自殺を試している。そしてその度に失敗している。


 出会ってから3ヶ月、私は、彼は本当は死ぬ気など無いのではないかと思い始めていた。煙を掴み遊ぶように、自分の命を弄んでいるだけなのではないかと。

 もしかして、私に話す自殺未遂談のほとんどは嘘っぱちなのではないかと。

 しかし私は、いつも黙って肯定していた。彼の話す全てを認めていた。何となく、最初に抱いた印象が頭に残っている。

 あの時の彼は実に自殺志願者らしかった。

 だからこそ、お前は遊んでいるだけだろうなどと言ってしまえば、彼は本当に死んでしまう気がした。


「あと試してないのは飛び降りかな」

「ん? 首吊りはもうやったのか?」

「ロープが切れちゃった。俺はこういうところでも神に愛されてないんだなぁ」

 コーヒーを飲み干したカップを手持ち無沙汰になぞりながら彼は呟く。

 すでに彼は私の友人だ。自殺だなんだの話以外では非常にウマが合った。付き合っていて心地のいい相手。

 だが、彼の『試行錯誤』を止めることは出来ない。それは彼のライフワークを奪うことと同じだった。


「それじゃあ、明日また仕事が終わったら」

「六時に此処な。さよなら」


 彼は決して『またね』とは言わない。

 いつでも『さよなら』だ。


 翌日、三時間待っても彼は来なかった。


 何杯目かわからなくなったコーヒーを飲みながらスマートフォンをいじっていると、最新のニュースが目に飛び込んできた。


 住宅街で轢き逃げ。横断歩道を渡ろうとした歩行者に車が突っ込み、車両はそのまま逃走。

 はねられた歩行者は搬送先で死亡した。

 こんなところでは迷惑だ、そう思いながらワンセグでニュースを見る。

 偶然にも目的のニュースをアナウンサーが無表情に読み上げていた。


『……本日夕方、○○町の横断歩道で轢き逃げがありました。被害に遭われた男性の名前は…………』


 彼だった。

 私は妙に落ち着いていた。スマートフォンをテーブルに伏せて、自分の頭も伏せた。冷たい。固い感触を額に覚える。

 彼が感じたはずの、アスファルトの地面もこんな感じだったのだろうか。


 彼は何を思ったのだろうか。

 何度も何度も自分で幕を下ろそうとしたカーテンを、他人に下ろされた気分は如何様なものだったろうか。



『まあ、しかたない。こんな結末もあるさ』

 彼の、傷だらけの腕が私を引っ張ったような気がした。

『遺志を継いでくれたら助かるよ』

 私は目を閉じる。


 ああ、あと試してないのは飛び降りだったよな。









2014/4/9 up





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― 新着の感想 ―
[良い点] 主人公が《彼》の訃報を知ったシーンの、落ち着いた行動。 すぐには受け入れられなかった、でしょうか。非常に興味深く、読ませていただきました。 ラストシーンに痺れました。《上手い締めく…
2014/11/13 20:31 退会済み
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