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「…………そ、そんな、まさか」

既に安部家は無人であった。

鍵は開けっぱなしである。

空き巣にやられなかったのは幸運といっても良いだろう。

リビングには手紙が一つ。

「仕事が入った。後でメールする」

慌てていたのだろうらしくない殴り書きだ。

「あー、源氏様帰っちゃったか……」

「忙しい人ですからねえ……」

時刻は既に九時半である。

明葉的には寝る時間だ。

「……とりあえずアドレスと番号だけもらって良い? lineかTwitterはやってる?」

「やってません」

「俺もやってない。何が楽しいんだろうね、あれ」

「さあ?」

互いに苦笑してアドレスを交換しスマホを仕舞った。

「じゃあ、俺帰るわ。あ、住所教えといた方が良い訳?」

「あ、お願いします」

明葉はリビングの隅に片付けてある鞄から手帳を取り出した。

ドーナツ屋さんの景品でもらったスケジュール帳である。

住所録なんて白紙だったけど、書ける人がいるというのはうれしいものだ。

「……お前、自分の部屋ねえ訳?」

時田さんは少し怒ったような目をしていた。

「無いです。荷物は全部あそこに」

「毛布と枕があるんだけど、まさか床で寝てる訳じゃねえよな?」

時田さんの目が段々険しくなる。どうしたんだろうと明葉は思った。

「床で寝てますけど?」

「服が畳んで置いてあるけどあれで全部って訳じゃねえよな?」

「全部ですけど?」

「…………………………………………………………………はあ」

時田さんは天を仰いだ。

「……ここまでど真ん中ストレートとか無しだろ。マジでろくなことにならん……。どこへ行くんだ俺の青春……………ん?」

ブツブツと愚痴っぽくこぼしていた時田さんは何かに気がついたようにソファの後ろに回り込んだ。

「……このソファ、ベッドになるタイプじゃん。なんでここで寝ない訳?」

「床が良いんです。安心できるし」

「あーはいはい。わかったから今日はここで寝ようなー。あ、毛布一枚貸してくれね? 俺床で寝るから」

「……はい?」

言いたいことは色々あるけどまず何よりも。

――なんで時田さんが泊まることになってるんだ?

「あー、言いたいことはわかるぞ。なんで俺が泊まるのかってことだろ。俺は床で寝ようっていう中学生をほっとけるタイプの高校生じゃない訳。分かる?」

わからない。

何言ってるのかさっぱりわからない。

明葉はずっと床で寝てきた。

小学生の時も中学に上がってからもずっと。

リビングの片隅の家具と壁で仕切られた小さなスペース。

そこが明葉がこの家で唯一心安らげる場所だ。

そこで毛布にくるまって胎児のように小さくなって眠る。

ずっと何の疑問も無くそうしてきたのだ。

それの何が問題なのか明葉には分からなかった。

「オーケーオーケー。言いたいことはわかる。一つ良いことを教えてやろう。普通の人は――床で寝ない」

ガアアアアアアアアンと世界が崩壊する音を聴いた。

「…………そ、そんな、まさか」

「少なくとも、ベッドが有ったらそっちで寝る」

それが常識な訳よと時田さんは言った。

「……床で寝るのがいけないことだなんて……そんなまさか……」

ふらふらと崩れ落ちる明葉を時田さんが支えた。

「そういうわけだから、お前はベッドで寝る。俺はお前がちゃんとベッドで寝てるか床で見張ってる。オーライ?」

「……よ、良くないですよ!? 時田さんが床で寝るなら私も床で寝ます!」

「いや、スペース的に無理だろ」

冷静な突っ込みを受けた。

うう、確かにあそこのスペースは一人用なのだ。

「……じゃ、じゃあ一緒にベッドで……」

「……明葉ちゃん。そういうことを迂闊に男の子に言っちゃダメな訳よ。マジでダメな訳よ。というか、女子にベッド譲ったら男子は床で寝るもんな訳。これが常識的に床で寝て良いパターンの一つな訳。わかった?」

「……うう、だって一人でベッドとか怖いじゃないですかあ……」

明葉既に半泣きである。

だって怖い。

安部明葉ベッドに寝るのは人生初である。

寝ると言えば床。

それが安部明葉の常識であった。

「……何にもしませんから、一緒に寝てくれませんか?」

「いや、なにかする気はないけど。されるとも思ってないけど……」

うるうると涙目になって跪き安部明葉は時田空を見つめている。

……可愛いじゃねえか。畜生!!

早々に時田空は白旗を上げた。

「わかったわかった。一緒に寝てやるから。あ、シャワー借りるぞ」

「あ、じゃあ着替えとか買ってますね」

「レシートもらってこいよー」

とまあ。

そんなこんなで。

お泊まり決定。


そんなこんなでドキドキのベッドイン!!

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