「ともあれ、明日は期待してますよ?」
さて、そんなこんなで六月二十三日土曜日だ。午後三時。実力テストのお時間である。
魔法鉄鋼王国先端技術大臣室にて明葉は裏向きの答案と向き合っていた。
鉛筆はあるが消しゴムはない。間違えたら二重線で消すように指示があった。
紙は質の良くなさそうなわら半紙。
本番の試験とはやはりどこか違う。
同じなのは問題だけ。
そして無情にも声が響く。
「――開始」
二十点、ですね」
「そうですか」
「見事にブール代数をものにしたと言って良いのではないでしょうか。正直ここまでやれるとは思ってませんでしたよ」
公爵はそう言って明葉の頭を撫でた。
嘘臭い、と明葉は思う。
これぐらいは見越していただろう。いや、もっと上を期待していたのかもしれない。
公爵は呼吸するように嘘をつく。
「ブール代数はこちらでも理解している者は数名しかいませんからね。よくぞここまでたどり着いたものです」
「……じゃあ、誰が採点したんですか」
「僭越ながら私が。他にブール代数が出来る人材となると本職の研究者の方だけになってしまいますので」
自慢か、と明葉は内心で呟く。
ふむ、それにしても「研究者」か。
数学者でない所に引っ掛かりを覚える。
ブール代数はコンピュータの基礎となる数学。
まさか作ろうとしているのだろうか――コンピュータを。
まさか、とは思うけど。
それでも何かこの理論には実践的な価値を見出だしていると見るべきだろう。
コンピュータ、か。
ファンタジーからほど遠い。
これが、現実か。
「後は過去問を解いて解き方を覚えるか、高校、大学レベルの数学を学ぶかですね。オススメは前者です」
「なぜですか?」
「縛りのあるなかでの柔軟な発想力というものを鍛えて欲しいのですよ。知識は時に枷になりますからね」
それはあなたがよく知っているはずの事ですよ。
公爵は「はず」を強調して言う。
まともな感性してたらわかりますけど、さてはてあなたはどうなんでしょうね?と言わないばかりだ。
「……知識を枷と感じた事はないですね。むしろ例えるなら――海でしょうか」
「溺れないようにするだけで精一杯と言うところですか。それが分かっているなら上出来です。誉めてあげましょう」
くしゃくしゃと公爵は明葉の頭を撫で回す。
明葉はその手を振り払う。
「それより、仕事の話を」
「ええ、もちろん報酬は有りで構いません。お好きなものを望んでください。働きに応じて叶えましょう」
余裕綽々といった風情の公爵。
やはり、最初から報酬は与える気だったのか。
「……場所はどこですか」
「学術科学都市内部ですね。敵陣の真っ只中、銃口の向けられた先に赴く訳です。覚悟はしておいてくださいね」
「そんなものありません」
即答ですか。公爵はクスクスと笑う。
ああ、本当に勇者は可愛らしい。知恵がなくて覚悟がなくて。
そんな声が聞こえてきそうな笑み。
「頼もしい限りですよ。交渉の場には相手方のトップ――学術科学都市市長が出てきますからね。まあ、堅苦しくしなくて結構ですよ。普通に接してください。真珠は着けなくても良いですから」
それもまた駆け引きの一部なのだろう。
明葉は大人しく頷いた。
正直、読めない。
公爵が何を明葉に望ませる気なのか。
学術科学都市に何をさせる気なのか。
読めない以上大人しく頷くしかなかった。
それに。
元より駆け引きのやり方など知らない。
正直に真正面からぶつかって行くだけだ。
「他に、誰か同席しますか?」
「こちら側は僕と龍君とあなたの三人だけ。向こうはまあ、護衛は沢山引き連れてくるでしょうが市長だけですね」
「……少ないですね」
明葉が言うと公爵は肩をすくめた。
「いかに勇者が来るとはいえ魔法使いと市長が同席してくれるなんて向こうはかなりこの会談を重視していると見て良いでしょう。あなたの存在は向こうにとっても大きな物です」
学術科学都市は魔法使いを差別する――んだったか。
同席すらしたくないとは徹底している。
まあ。
魔法鉄鋼王国だって魔法使いを対等に扱っているようには思えないのだけれど。
現に今も江藤龍は壁にもたれて無言で腕を組んでいる。
同席――していない。
着ているのも古ぼけた黒いローブだし、厚遇されているようには明葉には見えない。
あるいは。
かつて仁ノ宮愛の前で見せた江藤蓮の哄笑を思い出す。
あの時、公爵は止めたくとも――止められない感じだった。
地位や身分以外の力を彼らが持っているのだとすれば――
「ともあれ、明日は期待してますよ?」
「……言われるまでもなく」
役目を知らぬ人形は知らないままに請け負った。
全ては明日、明らかになる。




