「失礼、大八木美穂さんですね?」
六月二十日。水曜日。正午。市立図書館。
この時間図書館にいるのはお年寄りと未就学児とその親御さんだけである。
故に新見光のブラックスーツ姿はやけに浮いていた。
まあ、そんなことは意に介さず従業員通路に回り込んだ光は昼食に出る途中の図書館員に声をかけた。
「失礼、大八木美穂さんですね?」
「……は、はい」
「安部明葉を『推薦』なされた?」
「……はい」
うっすらと笑みを浮かべる大八木美穂。
どうやら、当たり、か。
「色々お伺いしたいこともありますしお昼でもどうです? もちろん私がご馳走しますので」
「今話題の今光源氏さんとご一緒出来るなんて光栄です」
そういうことになった。
「はい。私が元魔法鉄鋼王国勇者大八木美穂です」
「あっさりとお認めになりますね」
大八木美穂。背の低いセミロングの髪の女である。
当世風の赤みを帯びた黒髪。二重の大きな目と小さな唇。小動物系。年は二十五。
十年前の十五才。
「隠すようなことでもありませんし。こちらこそ意外です。あの仁ノ宮愛が勇者だなんて」
「他言無用に願います」
クスクスとおかしそうに笑って大八木美穂は頷いた。
「それにしても何故、私が勇者だと?」
「『魔法鉄鋼王国とは何だったのか?』。――おかしいでしょう。二十年前に流行った都市伝説に関する本が未だに図書館にあるなんて」
「名著ですよ。おかしくはありません。一般には出回らなくなった本の収集も図書館の重要な使命ですし」
淀みなく大八木美穂は答える。ニコニコとした人畜無害然とした笑顔とは裏腹にかなりのやり手のようだ。
――もっとも勇者なんかやる時点で変わり者だとも言えるが
「だいたい、図書館には私を含めて四名の司書がおりますが、なぜ私を?」
「他に異動になっていない司書、は貴女だけでした」
「それは、まだ三年目ですから」
人畜無害のニコニコとした笑顔。しかし、その目だけが笑っていないことに光は気がついていた。
食えない女だ。胸の内で呟いて、光はコーヒーを飲む。
図書館に程近い少し高めのレストランである。フロアの片隅に半個室とでもいうべき奥まったスペースがあり、こういった秘密の話にはうってつけだ。
色々とプライベートが騒がしくなった今だ。
警戒はしておくべきだろう。
「子供を『推薦』出来るぐらいに近い大人というのは結構珍しいんですよ。――例えば市立図書館の児童書担当者とかね」
「ああ――それは。見落としてしまいますね。こういう仕事してるとどうしても」
大人と子供の世界は違いすぎるぐらい違うのに。
どこか寂しげにそう呟いて。
大八木美穂は上品にパスタを口に入れた。
厚切りベーコンのカルボナーラ。
光は好きでないそれを大八木美穂は美味しそうに食べる。
「――明葉ちゃんはよく図書館を利用してくれましたよ。大人しすぎるぐらい大人しい良い利用者さんでした」
「大人しい――ですか」
「見かけだけは。大層なじゃじゃ馬です。無鉄砲だし。いつ切れてもおかしくないロープの上を何でもないように歩いてるって言うんですか。何より自分の身に関するセキュリティ意識が低いですよね」
「実に――その通りですね」
安部明葉は。
心底恐れていないようだった。
騙される事にも。
洗脳される事にも。
斬られる事にも。
殴られる事にも。
利用される事にも。
殺される事すら――恐れていないようだった。
「違う世界で活躍出来るのはいつだってああいう子ですよ。無鉄砲で無茶ばかりして周りを引っ掻き回す。それにそう、何よりあの子は――賢いでしょう?」
「ベクトルは思いっきり間違えてる気がしますがね」
写真記憶。
それを差し引いても賢い方だろう。
むしろ、写真記憶がない方が賢いかもしれない。
「あの子、いじめられてたんですよ」
「……それは、また」
納得は出来る。彼女の容姿を一言で表すなら「貞子」だ。重苦しい長い黒髪。痛々しいまでに白い肌。
子供はそういう醜さに対して潔癖だ。
「でも、彼女は自分一人でいじめのリーダー格と話をつけたんですよ」
「……ほう、それはそれは」
あの少女ならそれぐらいはやりそうだ。
光は納得してコーヒーに口をつけた。
「でも、いじめはなくなりませんでした。彼女がそれを望んだからです」
コーヒーを飲もうとした手が、止まる。
思い出す。かつて八つ当たり気味に辛辣な言葉を投げ掛けた自分に向けたその瞳を。
歓喜に満ち溢れて。尊敬に満ち溢れて。
「……被虐趣味でもあるんですかね」
カルボナーラを食べ終えた大八木美穂はゆるりと首を振る。
「自然――なのでしょう。そういう形が一番。人との関わりかたとして。いきなり好意を得られるような容姿ではありませんし」
思い出す。かつて新宿の雑踏の中で一人立ち尽くしていた少女の姿を。
「――そうとは思いませんがね」
改めて。
コーヒーを一口飲む。
ゆったりと味わって。
「あら――ああいう子が好みなんですか」
「芸能界に身を置くものとしての意見ですよ。あれぐらいインパクトがあったほうが視聴者受けする」
思い出す。漆黒の立ち姿を。自分に色は要らないとばかりに鮮やかに輝いていたあの黒髪を。
美しくはない。流行りではない。可愛くはない。
それでも自分はそこに確かに在りし日の仁ノ宮進を見たのだ。
周りがどう思おうと関係ない。
自分の信じた美を貫き通す誇り高い魂を。
「正直――売り出してみたいと思いましたね」
「売れる――ですか。興味深い視点ですね。とにかくその時確信したのです。『この子は勇者に向いてる』と」
元勇者は語る。
「出来ないことばかりでしたよ。理不尽なことばかりでした。でも、あの子ならそれに振り回されずに上手くやっていけると」
「……」
光はコーヒーを一口飲む。
そういうものかもしれない、と思う。
勇者と言ってもなんの後ろ楯もないただの十代の少年少女だ。
出来ることは限られるだろう。
しかし。
「上手くやっていける――それだけですか?」
「……彼女なら魔法鉄鋼王国を変えてくれる、そういう期待がありました。何より……」
「何より?」
「公爵から指定を受けました。『異世界に行ってもはしゃがない騒がない子が欲しい』と」
「ああ、それは確かに」
「はしゃぎませんよねえ……」
うんうんと頷きあう二人。
「愛に会ってもほぼノーリアクションですし」
「お話会でもまるで反応がなくて……」
そうだろうな、と光は納得する。
反応の薄い子だった。初対面でバンの中に連れ込もうとした時も声すら上げなかった。
ただの一言も発さずに黙々とついてくる姿に若干の不安を覚えたものだ。
愛曰く――腕一本で持ち上げられても悲鳴一つ上げなかったとか。
冷静沈着を通り越して人形のような。
「別の世界ってこうワクワクするじゃないですか。中高生なら尚更。それでもこの世界で生きていくことを自然に受け入れてにもかかわらずキチンと勇者してくれる子――なんて。滅多にいないんですよね……」
そう言って。
大八木美穂は目を逸らした。
ここではないどこかを見る目。
在りし日の過去を見る目。
その目のまま吐き出すように呟いた。
「……私だって出来ることなら向こうで暮らしたかったですよ」
それは多くの勇者の願いであったのだろう。
だからこそあの男は――
それを願わない勇者を望んだのだ。
「……そろそろお昼休み終わるんで。今日はどうもご馳走さまでした」
如才なく頭を下げて大八木美穂は席を立つ。
既にその立ち姿は一人の司書だ。
元勇者の面影など微塵もない。
「いえいえ、こちらこそ有意義な情報をありがとうございました。ご縁がありましたらまた」
そう言って名刺を差し出す光。
「ご丁寧にありがとうございます。何かありましたらご連絡ください」
名刺を受けとって名刺を差し出す大八木美穂。
異世界の話しなんざしていたとは思えない程の社会人っぷりであった。
元勇者。それは新社会人という意味でもある。
「では、また」
「はい、ありがとうございました」
二人の社会人はそう言って別れた。
イジメのことは雪菜から聞きました。
雪菜とも仲がいい大八木さんです。




