「さて、数学は何点ぐらい取らせましょうかね」
公爵の思惑。
魔法鉄鋼王国先端技術大臣、ディルク・シュンペイターは勇者安部明葉のことをかなり高く評価していた。魔法鉄鋼王国唯一の公爵であるこの男は今ではもう少なくなってしまった「初代」の勇者をよく知る男であった。
初代。両世界で初めて世界を越えた男。偉大さということで言えば彼に勝る勇者はいないとディルクは考えていた。
この世界は完膚無きまでに彼に変えられた。
軽快に、愉快に、痛快に。
彼らが世界を変えていくさまを横で見ながらその力になるように尽力する。
満ち足りた日々であった。
かけがえの無い青春の日々である。
けれど、安部明葉という勇者も悪くはないとディルクは思っている。
流石に。
初代とは段違いに劣るが。
初代は規格外の男であった。ある日突然異世界からメッセージを受け取りそれに乗る時点でもうおかしい。
あの頃、誰も日本語なんて使えなかった。
突然頭に浮かんだ謎言語を大真面目に解読しようとし、実際にしてしまう辺り異常という言葉では足りない。
けれど、安部明葉だって十二分によくやっているというのがディルクの評価であった。
召喚初期に戦争勃発である。逃げ出さなかっただけ良い方だろう。加えて彼女は戦争に過度の興味を示さなかった。これは評価しても良い。
勇者としての安部明葉のスタイルは一貫している。
日常重視、現実重視。
彼女が当たり前に過ごす日常が彼女にとっての最優先事項だ。
素晴らしい。
勇者だからといって舞い上がらない。
異世界だといってはしゃがない。
あくまでも日常の一部として淡々と接してくる。
それは、ディルクの考える両世界の将来像そのものだ。
そこにあることが当たり前として――互いに距離を保ちつつ友好的に交流する。
はっきり言って難しいだろう。
恐らくどちらかがどちらかを飲み込んで終わるのだろう。
だからこそ、安部明葉が異世界のどんなものよりも仁ノ宮愛や高校受験を優先した時、ディルクはそこに次の時代を見たのだ。
異世界だからといって特別視してくれる時代は終わり、そこに価値があるかが厳しく問われる時代がやって来たのだと。
異世界で勇者するより芸能人と友達になったり高校に受かったりする方が良いと考える子達――彼らを勇者として取り込む時代が――取り込まなければならない時代がやって来たのだと。
両世界の接触の先にあるもの。それはまず間違いなく勇者界が魔法界を支配する未来だろうとディルクは考えている。
人口が違う。七十億もの軍勢を前にして抗う力は魔法界には無いのである。
七国圏内の人口はわずかに二百万。勝てる道理がない。
せめて立たなければならない同じステージに。同じ土俵に。
一刻も早く近代国家としての体裁を整え対等外交に持ち込まなければならない。
そのために彼女の目は大いに役立つだろう。
焦るつもりはない。
彼女が勇者界での成功を望むならそれも良いだろう。
じっくりと時間をかけて両世界のあり方について自分なりの考えを持って欲しい。
従順な操り人形では意味がない。
自分の意思で魔法界に協力すると言ってもらい――その声が人々を動かして初めて彼女を勇者にした意味が出てくるのだ。
勇者界は人権を、平和を、自由を尊ぶ。
ならばそこにこそ強かに付け入って見せよう。
ディルクはそう思っていた。
「やはり、ここは受かっておきたいところですよね」
ディルクはうーんと大きく伸びをした。
魔法鉄鋼王国先端技術大臣室、ではない。
魔法鉄鋼王国財務大臣室である。
ディルクは二つの職を兼任している。
むしろ勇者召喚が行われていないときはここにいる方が多かった。
財務大臣。激務である。
同じく激務の先端技術大臣と兼任出来るあたりディルク・シュンペイターという男の有能ぶりを示していた。
もっとも。
当人はただ修羅場慣れしているだけだと思っていた。
二十四時間三六五日修羅場。
それが初代勇者と過ごした日々だった。
「やはり、勇者の職業としては学生が相応しい」
ニートと呼ばれる人材に目を付けたこともあったが上手くいかなかった。
もう、物凄い勢いで更正していくのだ。
やれ、仕事が決まった、結婚する、進学する。
ちょっと背中を押しただけで彼らは自分の道を切り開いていって――そして、帰って来なかった。
思えばあの頃から勇者と魔法界の関係は変わり始めていたのだろう。
異世界で勇者と崇め奉られるよりも元の世界で成功する方がいい。
元の世界に適合できなかったとされる人々ですらそう思うようになってきた。
かつてはそれだけで憧れをもって語られた「異世界」が単なる寄り道の遊び場でしか無くなった。
三十年である。
時代は変わった。両世界とも。劇的に。
これからも変わるだろう。良くも、悪くも。
学生もその姿を大きく変えた。
それでも変わらないのは異世界でもなんでも寄り道して遊ぶことが彼らにとって重要なことであること。
そんな身分は学生しかない。
出来ることなら学生のままでと望むのは無理からぬことだった。
さらに言えばもう少し自信と実力をつけて欲しかった。
才能があることは間違いないのだから。
磨けばきっと良い人材になる。
「さて、数学は何点ぐらい取らせましょうかね」
思い上がっても困るが報酬は与える気だった。
正確には実際の採点基準に即して採点するつもりだった。
それで、十分に点が取れることをわかってもらう――と同時に。
その報酬で状況を動かしてもらうつもりだった。
いくつか候補はあるが彼女なら。
大穴当ててくれるかもしれないという期待がある。
「さて、首を洗って待っていてもらいましょうか。学術科学都市」
あの頃は楽しかった。
あの頃はすべてが未来につながっているような気がした。
しかし――それは唐突に終わってしまう。
そして戦乱が幕を開けた。




