「……なんでも明葉のせいなんだね」
明葉のスーパークールタイム、みたいな?
それはさておき、月曜日であった。
学校のある日である。
もはや薙高受験は隠すことではなくなったことを良いことに休み時間はガリガリと過去問を解いていた。
して、放課後。
「一緒に帰らない?」
そう声をかけてきたのは遠藤さん。
元いじめっこであり、現在は新進気鋭の女優の卵である。
最近は取り巻きとも距離を取り、演劇の道に邁進している。
ふむ、そういえばここ最近あまり話してなかったな。
明葉は受験で忙しい。遠藤さんも女優業で忙しい。
すれ違う日々であった。
それにもういじめっ子といじめられっ子ではないのだ。
おおっぴらに仲良くしても良いのだ。
自宅の方向は真逆だが、どうせ明葉は図書館に遠藤さんは駅に向かうのだ。
ご一緒するのも良いだろう。
と、言うわけで。
「やっぱ、薙高受けるんだ」
「……そうですね。そのつもりですよ」
安部明葉と遠藤雪菜。連れ立っての帰り道となった。
こうして肩を並べて歩くのもそう長いことではないだろうと明葉は思う。
明葉は薙高を受けるし、遠藤さんは女優になるのだ。
道は既に別れてしまっている。
「明葉はさ、薙高受かったらどうするの? やっぱ官僚とか?」
「クイズ女王になります」
「マジで!?」
「マジです」
「……ああ、でも納得かも」
遠藤さんは顎に手を当ててこくこくと頷いた。
ふむ。そういえば。
遠藤さんは明葉のことをどう思っているのだろうか。
どういう目で明葉を見ていたのだろうか。
聞いたことはなかったな……。
「そういう風に見えますか」
ならば聞いてみようというのが明葉のスタンスであった。
遠回しに探りを入れるという機能は明葉には内蔵されていない。
「クイズ女王っていうかさ……なんかの達人みたいっていうか。浮世離れしたとこあるよね」
「浮世離れ」
しているだろうか。
いたって常識人だと思うのだが。
「……なんかさ」
遠藤さんは。
そこで、寂しそうに笑った。
「なんにも言ってくれないよね。痛いとか寂しいとか辛いとか、さ」
「言うようなことでは無いでしょう」
痛いと言って痛くなくなる訳ではない。
寂しいと言って寂しくなくなる訳ではない。
辛いと言って辛くなくなる訳ではない。
ならば言わない方が建設的だろう。
それは明葉の一つの信念であった。
「……言って欲しかったよ。やめてって」
「言ったところで止めないでしょう?」
その言葉に遠藤さんは臓腑を抉られたような顔をする。
絶望、といって良いような。
「別に大したことでは有りませんでしたしね。やめてもらう程のことでもない。なんなら今からまた始めても良いですよ?」
「……時々明葉がわかんないよ」
遠藤さんは寂しそうに笑う。何かを諦めたような笑み。
「明葉にとってあたしって何だったの?」
絞り出すような質問。
「女優の卵ですね」
提示された答えは余りにも軽い。
「明葉にとって私のしたことはどうでも良いことだったの?」
「どうでも良いことです」
ちょっと殴られ蹴られ突き落とされ物を隠され無視されただけだ。
なんということもない。
「……分かってたけどさ。明葉――冷たいよね」
冷たい。
何に対して。誰に対して。
あるいは何に対しても、か。
「そうかも、しれませんね」
若干の寂しさを感じながら明葉は言う。
その目は遠藤さんを見ていない。
ただ、真っ直ぐ前方にのみ向けられている。
冷静な瞳。冷たいと称されても仕方ないような。
昔からそうだった。
騒ぐことが苦手だった。
話すことが苦手だった。
泣くことが苦手だった。
遊ぶことが苦手だった。
うるさくする――その事が苦手だった。
虚ろな視線をただ虚空にさまよわせていることだけが得意だった。
否――それしか許されていなかったと言うべきか。
動くことも話すことも許されないお人形。
それが明葉――であった時代が確かにあったのだ。
それでも。
「温かいだけが全ては無いでしょう?」
今さらそれをとやかく言うまい。
物言わぬお人形だった明葉をみんな愛してくれた。
それで十分である。
「明葉はさ……、仁ノ宮さんと出会わなかったらどうするつもりだったの?」
「あのままのつもりでしたよ」
「………………やっぱ、冷たいよね」
ああ、とそこで気付く。
止めると言うよりはむしろ――
助けて、欲しかったのか。
傷ついていたのは彼女の方と知りながら――やはりその認識は甘かった。
本当。なんて被害妄想。
傷つけていたのは明葉の方なのに。
人を殴ったその拳が痛くないわけないのに。
それでも殴らせていたのは明葉の方だ。
どちらが主導権を握っていたのかもあやふやな二人。
そんな釣り合ったままの天秤は明葉が一声「やめて」と言えば引っくり返っていただろう。
その後どうなっていたかは分からない。
一人は学年随一の美少女で、一人は男子が「貞子」とあだ名する少女だ。
勝敗は明らかなようでも――やってみなければ分からない。
明葉にはアングラな人気があった。とかくいじめられがちな下級生からの絶大な人気が。
どれだけいじめられても決して屈することのない鋼のような魂の持ち主。
そんな「貞子先輩」の噂は明葉の耳にも聞こえてきた。
美化され過ぎだとも思う。しかし、確かに明葉が掴んだ支持だった。
だからこそ。
「やめて」の一言が言えなかった訳なのだが。
一声で立場は逆転する可能性があった。
それもかなりの高確率で。
だけど、彼女からしてみれば。
それでも――言って欲しかった、のか。
「お付き合いいただきありがとうございます、ですよ」
「なによ。突然」
「いえいえ。いつか言わなければと思っておりました」
自然と敬語になる。
七年間。
明葉たちの人生の半分。
「いつでも、止めさせられると――やめてくれると信じていました。それゆえ逆にやめてもらうタイミングを逸したのはこちらの落ち度です」
止めないだろうと思っていた。
やめてくれると信じていた。
それはどちらも本当。
釣り合ったままの天秤。
賢くない明葉の限界。
だからこそ言えなかった。
ああ、全く明葉の落ち度だ。
「……なんでも明葉のせいなんだね」
「そうですよ?」
「……じゃ、あたし駅いくから。じゃあね」
遠藤さんはそう言って角を曲がった。
なぜだか。
泣いているような気がした。
明葉の雪菜への隔意。
越えられない壁の向こう側。
それは羨望だったのか、嫉妬だったのか。




