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「わかってくれとは言わないですよ。だけどこっちも折れる気は無いのです」

明葉の歪みその根源とは―――

劇団小宇宙は大手である。座長を含め多くの団員がテレビでも顔を出す。かつて仁ノ宮愛が出演したのもこの劇団主催の舞台であった。今回のオーディションは入団試験でないため客演という形にはなってしまうがそれでも名誉なことには違いなく。

そして、見事その名誉を勝ち取った遠藤さんに対して学校側も強くは出られなかった。

借りるべき物は虎の威である。

こうして、月曜日に始まったこの事件は木曜日にはうやむやになった。

めでたしめでたしである。

「……って、全然めでたくないわっ! お前はこのまんまで良いのかっ!」

六月十四日。木曜日。放課後。進路資料室。

高橋先生はバンと机を叩く。

「むしろ最高の終わりかただと思いますが」

遠藤さんに劇団小宇宙を紹介したことで和解が公になり、さらに有名人との交友が明らかになった明葉をいじめようとする者は最早無く、クラスには平和が訪れた。学校側は有望な女優の卵が見つかってホクホクだし、なんの問題があるというのか。

「……お前痛覚とかちゃんとあるんだろうな?」

「ありますよ」

明葉だって人間である。痛いものは痛い。辛いものは辛い。悲しいものは悲しい。

「だから遠藤さんにはやっぱ辛い思いさせてたのかなあって。それが一番痛くて辛くて悲しいですね」

「……遠藤が幸せならお前は幸せか?」

「……遠藤さんが不幸なら私は不幸です」

その二つは。

似ているようで大きく違う。

「……教員ってのはそんなに信用出来なかったか」

ため息と共に吐き出すようにそんなことを言う。

信用してほしかったのだろう。自分でなくとも、教職に就く誰かを。

そうすれば、この話がこんなに長く続く事も無かっただろう。

けれども。

「……ご迷惑かける訳にはいかないじゃないですか。仕事ならともかくプライベートで。そちら様にだって都合というものがあるでしょう?」

「いじめ以上の迷惑なんてめったにねえわっ!」

「それは業務の範囲内ですよ。ギリギリですけど。だけどその解決ってなると業務外だと思うんですよね。痛いとか辛いとか悲しいとかそういうの仕事に持ち込まれても困るじゃないですか。そういうこちら側でのゴタゴタはこっちで解決しないと――所詮教師と生徒なんてお金だけのつながりなんだし」

何故だか。

高橋先生はとてもとても傷ついた顔をした。

絶望といっても良い。

「…………金だけのつながりか」

根こそぎ感情の消えた声。

「ビジネスライクな、っていったら良いんですかね。結局はお仕事な訳でしょう。客だからってあんまりワガママは言えませんよね」

「……ふざけるなよ」

今度は、隠そうともしない怒りが声に滲んで。

しかし、明葉は構わずに続けた。

「家のローンだってあるでしょう。お子さまが熱を出されることもあるでしょう。ご両親の介護だってあるでしょう。――そういった諸々の事よりもお仕事を優先されるのが社会人として正しい在り方なのでしょう。だけど私はそれ好きじゃない」

プロとして生きるならば教師はいじめを止めるのが正しいのだろう。

だけれども。

なにもそこまで仕事に打ち込んでもらわなくともと思うのだ。

少なくとも。

そういった誠実さを強制することはできない。

それはやってはいけないことだ。

人にはそれぞれ背景があってそれぞれの理由で生きているし働いている。

それを無視して単なるお客さまにとっての手段であるかのように扱うこと。

それはルール違反だ。

だから。

「それでもいじめを止めたい。その気持ちを否定しようとは思いません。けれどもご家庭の事情やご自分の信念によってやりたくないと言うのならやらなくてもいいと思います」

明葉にとっての教師と生徒の関係とはそういうもの。出来るときに出来る人が出来ることをやってくれればそれで良い。最低限の仕事さえこなしてくれるなら――文句は言うまい。

ヒーローである義務は、ない。

「……安部、俺はこの仕事に誇りを持ってやってる」

「それには敬意を払いましょう。けれどその事が誇りを持てない誰かを否定する事になってはいけないと思います」

「……安部、お前努力の大切さに目覚めたんじゃなかったのか」

「誰だってベストを尽くしている。どんなときも、どんな場所でも。誰の言葉なんでしょうね? 好きな言葉なんです。努力しない誰かも、誰かをいじめる誰かも、誇りを持たない誰かも、仕事をやらない誰かも、みんなその人にとってのベストを尽くしている。それは尊重されるべきでしょう」

「……お前の親の顔が見てみたいよ」

呆れ果てたように高橋先生は言う。

「そう言えば、こっち来たこと無かったですね。最後に来たのは……確か五年前?」

「マジか! 虐待とかじゃねえだろうな?」

「虐待でしょうね」

あっさりと明葉は言った。

「……………児童相談所にはもう言ってあるんだろうな?」

「金で揉み消されましたね。まあ、生活費だけは父が振り込んでくれるんで」

母は明葉が中学に上がるとすぐに家を出て行った 。

父は五年前から南海の無医村で医師をしている。

「まあ、大丈夫ですよ。中学までは家にいて良いって父が母を説得してくれたんで」

「……その後は?」

「ネットカフェ難民になって死ねと」

「……それで、薙高か」

「薙高なら寮がありますし、バイトもOKですしね。奨学金さえもらえれば食い繋ぐことはできるんで」

明葉には明葉の人生がある。

あの二人にあの二人の人生があるように。

教師と生徒の関係が金の繋がりだけなら、親と子の関係は血の繋がりだけである。

愛情を強制することはできない。

信頼を強制することはできない。

最低限の衣食住と教育それさえ保障してくれればそれで良い。

絶対の庇護者である必要はない。

「……大変なのはわかるけどよう、俺は世の中そういうもんじゃないと思うぜ。子供は親に甘えて良いし――生徒は教師を頼って良いもんだ」

「それはわかるのです。そこに理想がありそうであるべきなんだということは。人とは有能であり誠実であり慈愛に満ちて勤勉であるべきだということは。ですけど。ですけど!」

叫ぶ。これだけは。

「そうでなくとも! 無能で不実で狭量で怠惰でも! 生きていて良いはずでしょう!?」

これだけは、譲れないのだ。

明葉は賢くもなければ空気も読めない、人を見る目もないし美人でもないいじめられっ子だ。

いじめられてもしょうがないようなそんなスペックだ。

だけど、生きてて良いはずだろう。

殺されて良いはずないだろう。

それがいじめられっ子安部明葉の譲り得ぬ信念である。

小一から中二の今までずっとそれだけが生きる意味だった。

「……言いたいことは分かる。でもな安部――それを肯定しちまったら『教育』は成り立たねえよ」

正しく――教え諭すような言葉だった。

そんなことは百も承知でそれでも教育と言う仕事に踏み込んだ男の言葉だった。

それでも理想を目指す事の意味と価値を知る男の言葉だった。

そして、そう言うしかない男の言葉だった。

明葉がずっとこうやって生きてきたように、高橋先生はずっとそうやって働いてきたのだ。

わかり合うことは無いのかもしれないと明葉は思う。

だけど、それでも。

同じ学校で同じ時を過ごすことが出来るのだ。

いじめっこといじめられっこが友達になれたように。

信念が違っても立場が違ってもそれでも隣に在れることを明葉は知っている。

「わかってくれとは言わないですよ。だけどこっちも折れる気は無いのです」

「……頑固だな」

「先生」

明葉は決意を込めて高橋先生を見る。

「薙高受からなかったら、私就職しますよ」

「…………今、なんと?」

たっぷり五秒は固まって高橋先生は言った。愕然と。呆然と。信じたくないものを見てしまったように。

「中卒だって生きてて良いでしょう。私はこの信念に人生賭けますよ」

「バカか! お前は!」

明葉はその叫びを無視した。

「こういうのはともすればケジメがつかないことにもなりかねませんので。だったら私が全ての咎と罰は受ける覚悟ですよ」

自主退学(ただし一年後)って奴です。

そう言って明葉は進路資料室を飛び出した。

「……っおい! 俺は認めねえからな!」

背後からそんな叫びが飛んでくるが気にしない。

――こうして安部明葉。

薙高に受からねば中卒就職となった。


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