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「……ホントね。疲れちゃった」

安部明葉は小学校一年の時からの生粋のいじめられっ子だ。小学生の目には写真記憶とは随分ズルい能力に思えたようで。そしてそれを個性と認める技術を彼らはまだ持たなかった。悪にたいして鋭敏で残酷なお年頃である。写真記憶というズルさを彼らは決して許しはしなかった。

遠藤雪菜はそれを主導した一人である。女優志望で劇団に属し、キッズモデルもこなす彼女ははっきり言って美少女でクラスでも目立った存在だった。彼女がいじめを主導したことがクラスの方向性を決定づけたと言っても過言ではない。

転機が訪れたのは小三の春。

立ち入り禁止だった屋上の鍵が壊れていることに明葉が気づいたことだった。

それから時折明葉は放課後をそこで過ごすようになった。

何をすると言うわけでもなかった。

ただ座って空を見上げボンヤリするだけ。

いじめが始まってから既に三年目に突入していたが正直明葉はそこまで悲観していかなかった。

元より、一人でいるのが好きだったこともある。

何より、なんとなく感じていた。このクラスで一番楽なのは明葉の立ち位置だと。

みんな苦しそうだった。いじめたくないのにいじめざるを得ない。まるで、そんなふうで。それは遠藤雪菜とて同じで。いじめを主導なんてしたくないのにせざるを得ないようで。

誰もこんなことは望んでいなかったのに、こうなってしまったようで。

正直、それに比べればいじめられるぐらいなんてことないと明葉は本気で思っていた。

そんなある日。

明葉が屋上で空を見上げているとがちゃりと扉が開いたのだ。

先生かと身を固くする明葉と目があったのは――遠藤雪菜だった。

彼女も一瞬身を固くして、辺りを見渡して誰もいないのを確認すると――ため息をついて明葉の隣に腰を下ろした。

「……あんたさあ、丈夫ね」

「そちらこそお疲れさまです」

その言葉に遠藤さんは吹き出した。

「……ホントね。疲れちゃった」

「まあ、世の中そんなもんです。頑張りましょうお互い」

――その日。お昼休みに明葉は遠藤さんに階段から突き落とされた。階段の一番上で背中を押されたのだ。

だがまあ、気にはしていなかった。そんなもんなのだ世の中。特に怪我はなかったし。

「……あんたさあ、恨んでないの? あたしのこと」

「そちらにも――色々あるんでしょう。わかりますよ。それくらいは」

一度悪と断じたものを撤回するのはどうやらとても難しいらしい、ということに明葉はこのころ薄々勘づき始めていた。というか、多分絶対無理。

無論成長著しい小学生。段々といろんなことが――実はそんな便利な能力じゃないとか、いじめは良くない事だとか、先生方がピリピリしてるとか――分かってくるのだけど、一度悪と決まってしまったことを覆すにはとても大きな力がいるのだと――具体的には一人ではもうどうしようもないのだと言うことも分かってきてしまっていた。

もう、遠藤さん一人ではどうしようもないのだ。

もちろん、周りの取り巻きが悪いとか黙ってみているやつが悪いとか先生が悪いとかでもなくて。

強いて言うならちょっとボタンをかけ違っただけ。

「……そっか。じゃあ、謝らないから」

「当然です」

謝られることはなにもされていない。ただ、ちょっと無視されて殴られて物を隠されただけだ。

「――マジムカつくんだけど」

ぱあん。

乾いた音が屋上に響く。左頬が熱くなって、殴られたと理解するのに少し時間がかかった。

「いっつもそんな風にうちら見下して楽しい? なにされても自分は気にしてませんみたいな顔してさ。先生にも言いつけないでうちら庇ってるつもり?――マジそういう余裕ムカツクんだけど」

そう言って彼女は明葉の肩に掴みかかった。

バランスを崩した明葉は後ろに倒れる。

「あんたが悪いんだから。みんなのこと見下してさ、壁作っちゃって。自分だけは特別ですみたいな顔して。――仕方ないじゃない。いじめられても」

良い天気だなあ。雲ひとつ無い春特有のちょっと白みがかった空を見上げ明葉は思った。

この期に及んで涙もでない自分。

まったく。

実にその通りだ。

「――ごめんなさい」

本当、実にその通りだ。

自分だけ安全地帯に逃げ込んで、みんなが苦しんでるのを見下して笑っていた。

これぐらいいじめられているのだから当然だと。

なんて――醜悪。

思わず、くすりと笑みがこぼれた。

本当、被害者面は出来ない。

一体、私のせいでクラスの雰囲気がどれくらい悪くなっているのか。

「……何笑ってんのよ。反省してんの?」

「正直いって、かなり」

明葉は空を見上げたまま呟く。

「最初に私が何かするべきだったんですよね。あるいは遠藤さんでも良かった。先生でも良かった。誰かが――止めるべきだった。それしか止める方法はなかったのかもしれない。私たちは――止められなかった。もう、止められないのかもしれない」

「は? あんた何言ってんの?」

「それでも」

――それでも。

明葉は思うのだ。

「仲良く、しましょうよ。きっとできるはずです」

「……あんた頭おかしいんじゃない?」

なんで、私とあんたが仲良くしなきゃなんないのよ。

言って、遠藤さんは立ち上がる。

帰るつもり――のようだ。

「待ってますからね。明日もここで」

きっと。

遠藤さんは取り巻きを大勢連れて明葉をいじめに来るのだろう。

それでも構わない。

やっぱり明葉も悪かったのだから。

だけど。

誰も見ていないここでなら。

安部明葉と遠藤雪菜は友達になれる気がしたのだ。

「…………ホントにさ」

ドアへと向かう足を止めて遠藤さんは振り返った。

「やり直せたら――良かったんだけどね」

寂しい、笑顔だった。

いつもクラスの中心にいる彼女が見せない笑顔。

「やり直せますよ。きっと」

確証は無いけれど。

それでも明葉はそう言った。

「ばーか」

そう言った時にはいつもの遠藤さんだった。

バタン。

扉は閉じて――明葉は一人になる。

思う。

明日が明葉の命日かもしれない、と。

屋上での事故は何があってもおかしくはなかった。

だからこそ。

もしも、一人で来てくれたら。


――そして、翌日。放課後。

明葉は屋上で空を見上げていた。

ポケットには封筒。

中には一言「ごめんなさい」と書かれた紙。

――遺書のつもりだった。


そして扉が開く。


遠藤さんにも止められなかった。

明葉は止めようともしなかった。

どちらが加害者でどちらが被害者だったのか。

正義は言う。遠藤雪菜が加害者だと。

それでも―――

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