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「世界は広いぜ。お嬢ちゃん。あんたが思ってるよりずっとな」

おや、光さんの様子が……?

五月三十一日。木曜日。午後三時半。何事もなく過ぎた水曜日と同じように何事なく帰宅して。制服を着替えてさあ宿題でもやるかなといった頃合い。

インターホンが鳴った。

モニターに写るのはグレイのレンズの男。

新見光、突然の安部家訪問である。


「……よう」

ドアを開けると気だるげに新見さんは片手を挙げた。

仕事用の有能な右腕モードではない。

「……今、大丈夫か」

「大丈夫ですけど……」

「じゃ、上がって良いか」

「良いですけど……」

半ば強引に新見さんは上がり込む。

ドスドスと足音を立ててリビングに入りソファにどっかり腰を下ろした。

……本当にモードが違うようだ。

向かいのソファに腰をおろして明葉は思う。

あるいは二十七歳としてはこれが普通なのか。

もし、仁ノ宮愛を引き取らなければ、養うべき誰かを持たなければ、彼はこういう人物だったのかもしれない。

十歳年下の手のかかる女の子為に彼は大人になることを決めたのだ。

「……最初に一つ聞きたい。お前向こうの奴らに変なことされてないだろうな」

鋭い眼光だった。

あの有能な右腕からはとても出てこないような。

ヤバイ。惚れ直す。

「されてない、と思います」

動揺を押し隠して明葉は答える。

正直に。

「思います、かよ。セキュリティ意識の低いこったな」

ぞくりとするほど冷たい瞳。

あの白いバンの中で見たよりもずっと尖った瞳。

なんだろう。これは。

好きな人から敵意を向けられいるはずなのに。

「――洗脳が怖くて、魔法が怖くて、大人が怖くて。それで、子供やってられますか?」

何だか、とても――楽しい。

「無鉄砲と勇敢の区別もつかねえのか、お前は」

「それが子供の特権でしょう」

「特権に寄りかかって進化を止めた奴に明日はねえぞ」

「仁ノ宮愛みたいにですか?」

くつくつと嘲笑うように明葉は笑った。

ぎらりと新見さんの瞳がグレイのレンズの奥で光る。

「騙されてるなんて、隠し事があるなんて、そんなの折り込み済みです。対等な立場だなんて思ってませんよ。でも、そんなのこっちでも同じことでしょう」

「……だから、平気ってか。馬鹿か、お前は」

何されてるかわかりゃしねえんだぞ。

吐き捨てるように新見さんは言う。

あははと明葉はわざとらしく笑って、笑顔を消した。

「それでも。それでも。動かなければ何も得られはしないでしょう。騙されて、捨てられて、何もかも失ったら――高い勉強代だったと思うだけです」

「だから馬鹿っだってんだ。失わなきゃ何もわかんねえのか」

「その通り。――かつてあなたがそうだったように」

「……っ!」

新見さんは息を飲む。

驚いた顔も素敵だと明葉は思う。

だから、この辺で許してあげよう。にっこり笑って明葉は口を開く。

「――どうぞ、ご用件を。こんなことを言いに来たわけでは無いのでしょう?」

「……そうだな。悪かった。こんなのはただの八つ当たりだ」

ふうとため息一つついて上体を明葉に向けた。

真剣な瞳が明葉を見ている。

「本当に、本当に別の世界なんてものが存在するのか?」

「さあ、どうでしょうか?」

そこから疑っていたのかと明葉は少し驚いて、少し納得した。

いきなり異世界なんて言われてそれで納得出来るほど現代人は甘くない。

そして、それは――。

「もしかしたら良くできたヴァーチャル世界かも知れませんし、何かの幻覚剤かもしれません。世界を渡れるの精神だけいかなる物質も持ち出すことはできない。つまり、物的証拠は何一つない訳です」

明葉も同じだ。

「だから、私が示せる証拠は一つだけ。仁ノ宮愛がそこにいたこと。その世界に客観性はなくとも間主観性は獲得していると思います」

「……難しい言葉を知ってんだな」

「言葉だけなら。辞書一冊分は軽く」

とにかく、と明葉は断言する。

「私がその世界が存在すると断定する根拠は仁ノ宮さんがその世界にいるからです」

「愛も騙されているかもしれねえだろうが」

「世界的クラシックピアニスト仁ノ宮愛とのコネクション。騙されたぐらいでそれが手にはいるなら安い買い物です」

「……大人しい優等生かと思ったらとんだじゃじゃ馬だな」

「あなたの前だけですよ。こういうの――お好きでしょう?」

明葉は艶然と微笑む。

赤髪の天才を真似るように。

「実際仁ノ宮さんを騙すのは難しいと思いますよ。私よりずっと」

「何でそう思う?」

「馬鹿は騙しにくいものでしょう?」

新見さんは大きくため息をついて上体をソファに預けた。

「じゃじゃ馬どころじゃねえ……。愛が目をつけるはずだよ」

「それはどうも」

「誉めてねえ」

うん。分かってる。だけど、どうしてだろう。頬が緩んで仕方ない。

「話を戻すぞ。もし、本当にそういう世界があるんだとして、奴等は何を企んでやがる?」

「分かりません。でも、勇者召喚というものに少なからず誠実な気がしますよ」

「誠実、ね。うさんくせえな」

「私にたいして誠実なんじゃありません。自分の仕事に誠実なんです。例えそんな世界何処にもなくともこれだけは確かです」

はっと新見さんは嘲るように笑った。

「在るかどうかも分からない世界の為に良い大人が大真面目に一生懸命ってか」

「正しく。向うさんは大真面目で一生懸命です」

明葉は頷く。

「だから、信じるしかないってのはありますね。向こうが違う世界だろうとそうでなかろうととにかく――相手は本気なんです」

その為なら何をしても不思議でないぐらい。

明葉がそう言うと新見さんは真剣な顔で頷く。

「仁ノ宮愛を殺そうとするぐらいにマジってことか」

「信じないと守ることすらできない――なら、信じるしかない。一夜の夢ならともかくもこちらで何かをしようと言うなら世界が違かろうが同じだろうがそれは同じことでしょう」

「その上で重ねて聞こう。何をするつもりだと思う?」

「重ねて言うなら、分かりませんとしか。向こうさんにとって私よりも仁ノ宮さんの方が優先度の高い事象なので。私は使い走りみたいな事しかさせてもらえてないですし、詳しいことは教えられていません」

「そうかい」

深く深くため息をつく新見さん。そんなことは分かりきっていたのだろう。それでも。

「仁ノ宮さんが魔法を使えるというのは昔からですか?」

「まさか本当に使えるとは思わなかったけどな。昔から言ってたよ。ガキのおまじないぐらいに思っていたんだが……」

「新見さんは魔法使えます?」

「んな訳あるか」

即答だった。

「そんなもんが使えてたまるか。くそ、ただでさえ悪い噂が絶えねえってのにオカルトまで参戦かよ。冗談じゃねえぜ……」

「悪い噂……、お父上のことですか」

「中学生が知るようなことじゃねえぜ。お嬢ちゃん」

確かに。

仁ノ宮進――仁ノ宮愛の父親の話は中学生には刺激が強い。週刊紙で読んで赤面した覚えがある。曰く悪名高き赤髪の夜の帝王――なのだそうだ。

出自不明の十才の孤児として現れてから二十四で死ぬまで相手にした女性の数は五桁は軽い。

まだ十七歳の仁ノ宮愛が時に毒婦めいた見られ方をするのはお父上の影響が強い。

ああ、そう言えば。

「神聖王国法王って仁ノ宮さんのお父様に似てますよ」

「ろくな奴じゃねえな。そりゃ」

「お父様は写真で見ただけですけど、何て言うかお二人とも自分の見た目に凄くプライド持ってる感じがありまして」

「……ろっっっくな奴じゃねえな!」

心底嫌そうに新見さんは言う。

でも、そんな新見さんの出で立ちは仁ノ宮進氏によく似ている。

スタイリッシュなシルエットの黒いスーツ。

白いシャツに黒いネクタイを合わせたその姿は喪服のようで。

新見さんが着れば葬列の参加者の様に見えるそれを一種異様な美意識で着こなすのが彼の美学だったらしい。

とにかくあらゆる装飾品を着けない。

リング、ブレスレット、ネックレス、ピアスそういったものは元より、ネクタイピンや腕時計、眼鏡の類いまで一切合切着けなかった。

ホストというその職業を考えなくとも潔癖なまでに装身具を嫌った。

その代わり固執したのが――髪。

娘にも受け継がれた赤髪。

自分を彩る色は髪だけで良いと心のそこから思っていたらしい。

実際ありとあらゆる色彩を排除した中でその赤い髪だけが鮮やかに艶やかに咲き誇るその様は――毒々しいまでに禍々しいまでに美しいと明葉には思えた。

きっと悪魔というのはこういう姿をしているに違いない。

「……とにかく、ろくでもねえって事だけはよく分かった」

新見さんはソファから立ち上がって言った。

黒いスーツにグレイのサングラス。怪しくもなければ鮮やかでもない背景に溶け込む出で立ち。

明葉の好きな立ち姿。

「ろくでもない。じゃあ、そうでない所なんてあるんですか?」

明葉は玄関に進む新見さんの後ろ姿を追いかける。

「世界は広いぜ。お嬢ちゃん。あんたが思ってるよりずっとな」

前を見たままそう言った新見さんはそこでふと足を止めた。

「あんたはじゃじゃ馬だけどな。愛と仲良くしてやってくれよ。きっといろんな世界が見えてくる。お互いにな」

振り返った顔にはあの、不適な笑み。

グレイのレンズをきらりときらめかせて新見光は去っていった。


これが、光さんの地であり素に近いところです。

今回は個人的に明葉を訪問しているのでこのモード。

あと、個人的に明葉の事を疑ってます。愛によからぬことをするのではないかと。

それで突撃訪問です。

明葉キュンキュンしてます。キュン。


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