「やる前から諦めちまうのかよ?」
進路指導担当。
そりゃ進路資料室にいてもおかしくはなかった。
気を抜いていたのは明葉の油断である。
「へえ~。お前が薙高ねえ。いいじゃん。お前なら頑張ればいけるかもよ。挑戦してみろよ」
「無理ですよ」
「やる前から諦めちまうのかよ?」
「授業料が払えません」
それが、薙高を受ける上でのもう一つの問題。
私立である薙高は授業料がかなり良いお値段する。
安部家の家計にとってそれは結構な大金であった。
「……えーと、確かここに……。ほれ、あったぞ」
ぱさりと。
投げ渡されたのは薙高のパンフレット。
「最後のページ見てみな」
「……成績優秀者特別奨学金?」
「結構緩いぞ。世帯所得に制限はないし入試得点上位十名までだし。普通五名かそこらなんだが」
「薙高で上位十名ですよ!? ほとんど満点取んないとダメじゃないですか!」
「そうだな」
明葉の驚愕を高橋先生は取り合わない。
挙げ句平然と続けるのだ。
「それでも、お前なら出来ると思うぞ」
「……写真記憶ですか? そんなの薙高じゃ何の役にもたちませんよ」
「お前は」
肩を、捕まれた。
向き合わされる。強制的に。
「そうやって努力することから逃げてきただろう」
「……」
明葉は俯く。唇を噛み締めて。
図星、なのかもしれなかった。
「まだ、のびしろはあるんだよ。諦める時間じゃない。一生に一度くらい本気出してみないか」
何かが変わるかもしれないだろう。
いや、きっと何かが変わるから。
本気出してみないか。
俯いた明葉の視線を受け止めるようにさらにしゃがみこんで先生はそう言う。
「変えてみないか。お前自身を」
「変わりませんよっ! 薙高に受かったからって何も変わりませんよっ!」
そう。
本当はわかっているのだ。
薙高に受かったからってグレイのレンズのあの人は振り向いてなんかくれない。
こんな子供相手になんかしてくれない。
明葉の初恋は実らないまま終わるのだ。
わかっているのだ。そんなこと。
「なんにも、なんにも知らないのに勝手なこと言わないでくださいっ!」
そう叫んで。
肩に置かれた手を振りほどいて。
明葉は進路資料室を飛び出した。
翌日。五月二十二日。火曜日。放課後。
明葉はまたしても進路資料室にいた。
いや、正確にはその前で立ち竦んでいた。
謝ろうと思ったのである。
流石に言い過ぎたと。
良かれと思って言ってくれたのは間違いないだろうし、学校は叫ぶところではない。
しかし、じゃあどこまで話すのかという段になって壁にぶち当たった。
まさか、異世界で勇者しているとは言えない。
そもそも信じてもらえないだろうし、その活動内容を適切に表現するスキルが明葉にはなかった。
かといって、好きな人ができたというのも不味いだろう。
そんな打ち明け話をするほど親しい間柄ではない。
それに、このご時世男性教員と女子生徒の間の恋愛相談なぞ一歩間違えばセクハラものであった。
芸能人と知り合いになったというのもどうだろうか?
いかにも中学生辺りが言い出しそうな嘘に聞こえる。
――結局のところ、明葉としては色々事情があって薙高を受けようかと思った訳なのだが、その事情に打ち明けられるような当たり障りの無いものが一つもなかった。
『事情も知らないくせに』
そう叫んだものの知られていたら困るのはこちらであった。
しかし、世界はそんな明葉の事情に頓着してくれない。
扉は無情にも開かれて高橋先生が出てきた。
「なーにしてんだ。お前」
「昨日はすみませんでした」
それだけ言って帰ろうとする明葉の腕が掴まれた。
「まあ、待てよ。立ち話もなんだ。入れよ」
「嫌です」
「奨学金について色々調べてあんだよ。資料だけでも持ってけ」
「……わかりました」
そこまでされると無下には出来ない。
明葉は渋々進路資料室に入った。
「こっちが世帯収入の制限がきつい方。こっちが成績の制限がきつい方。とりあえず二つな。本当はご両親交えて話し合うのが一番なんだが……」
「そこまでの話じゃないです。ただ受けてみようかなってだけで……」
「いいことじゃねえか」
ニヤリと高橋先生は笑った。新見さんにどこか似た笑み。大人が子供に大人らしさを求める笑い方だ。
例えば努力することだったり、将来を考えることだったり。
子供と言うより小さな大人をそこに見ている。
中学二年生。もう少し大人でも良いんじゃねえの?
そんな笑い方だ。
「薙高通ればどこの私立だって奨学金取れる。選び放題だ」
「……行きたい所なんてないですよ」
それは薙高を受けようかと思ってからずっと思っていたことだった。
自分は将来何になるんだろう。何になりたいんだろう。自分のやりたいことってなんだろう。
明葉には何も見えなかった。
「……頑張って勉強して薙高受かって、それで何するんでしょうね。私、やりたいことなんて一つもないです」
「そんなもの考えたって分からねーよ」
何をバカなことを、そう言わんばかりに先生は笑う。
「やりたいこともやりたくないことも――全部お前の外の世界にしかないんだ。踏み出してみろよ。なんだって見つかるさ」
「踏み出すってどうすれば……」
「九月に薙高で文化祭がある。とりあえず行ってきたらどうだ? 運命の出会いがあるかもしれないぞ」
「文化祭……ですか」
それは、良い考えに思えた。
楽しそうだし、それでどうしても合わなければ受験は止めれば良いのだ。
「分かりました。行くだけ行ってみます」
「おう、頑張れよ」
一礼して。
明葉は奨学金の資料片手に進路資料室を後にした。
異世界に行っても、恋をしても、煌びやかな芸能界を知っても、それでもやりたいことなんてそうそう簡単に見つかるわけじゃありません。
それでも明葉は一歩踏み出しました。
後は歩いていくのみです




