「明葉を……!! 明葉を出してください!!」
七月二日。月曜日。午前十一時。遠藤家。
「ここの和室は自由に使って良いから。お布団は押入にあるし、机とイスも好きに使って」
「はい」
二階の行き止まり。四畳半一間の小さな仏間だった。使われていなかったそのスペースに折り畳み式の小さな机とイスを入れて明葉の勉強用に直してくれたのだ。
ありがたい。
本当にありがたい。
「ちょっと早いけどお昼にしましょうか」
「はい!」
ああ、本当にこの人は『お母さん』なんだな。
ついに『あの女』が成れなかったモノ。
「ふふ、手抜きしちゃいましょう。インスタントラーメンで良い?」
「大好物です!」
下のダイニングに降りながら二人は顔を見合わせて笑った。
「結局父が悪かったんだと思います」
ラーメンを食べながら明葉は言った。
明葉のは醤油味。チャーシューの代わりにハム、メンマの代わりにほうれん草、それをぐるりと卵が取り囲む。
「お父様が?」
雪菜のお母さん――楓さんもラーメン食べながら聞き返す。
楓さんのラーメンは塩味だ。ごま油で炒めたキャベツと人参が乗ってすごくおいしそうだ。
「結局父は母を安心させられなかった。自分の愛情を信じさせることが出来なかった。共に生きていくことが出来なかった。家庭よりも仕事を選んでしまった」
「無医村でお医者をやってらっしゃるんですってねえ。ご立派よねえ」
「母は都会でしか生きられないお嬢様です。ついて行くことは出来なかった。私をついて行かせることもーー出来なかった」
明葉はハムを食べながら麺をほぐす。このちょっと卵で固まった麺が好きだ。
「私を東京に残したものの――母は私の成長が怖くて会いに来れない。父が私に会いに来るのも許せない。父に毎日電話して確かめないと安心できないーー『私のこと愛してる?』」
楓さんはキャベツを食べながら無言で聞いている。
「自分はどんどん年老いていく。小さかった赤ん坊はどんどん大きくなっていく。愛しい人との距離がどんどん開いていく」
楓さんは無言だ。黙々とラーメンを食べている。
「怖かったんだと思いますよ。彼女は。駆け落ちして結婚した彼女には頼れる人は愛する人しかいなかった。彼女が愛を確信する前に愛する人にはーー溺愛する対象が出来てしまった」
ふうと楓さんはため息をついた。
「……雪菜が生まれた時も大変だったわ。あの人雪菜から離れなくって……。男親ってそんなもんじゃない?」
「でも、彼女にはそれが耐えられなかった。自分の居場所がごっそり奪われたと思った。その存在に――愛情が持てなかった」
ほぐした麺を口に運ぶ。こんな簡単な料理すら明葉は母に作ってもらったことがなかった。乳離れしてからは明葉の食事は父が作っていた。入れ込みすぎるくらい父は明葉に入れ込んでいた。
「…………明葉ちゃん」
「母は悪くないんです。ただちょっと父との関係が上手くいかなかったようで……。父も悪かったんだと思います。私ばかり溺愛して母のこと構わなくなっちゃって……」
「…………そんなに大人にならなくても良いのに。親が子供を愛するなんて当たり前のことなんだから」
楓さんはラーメンを食べる手を止めて明葉の手を取った。
ぎゅっとその手を握ってくれた。
家事をする手。家を守る優しい手。
『お母さん』の手だ。
ピーンポーン。ピーンポーン。
「はーい」
楓さんがインターホンに出る。
モニタに映し出されたのは――
「明葉を……!! 明葉を出してください!!」
安部明。
安部明葉の父である。




