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「追いつめられているのは向こうの方です」

対決

七月二日。月曜日。午前七時。遠藤家ダイニング

「明葉ちゃん。今日は学校休むの?」

「はい。試験近いんで図書館で勉強します」

「大変ねえ……。良かったら家で勉強してくれても良いのよ?」

「いえ、図書館の方が集中できるんで。家の方も見てこなくちゃいけませんし」

「なら、送っていってあげましょうか? 車の方が良いでしょう?」

「……」

しばし、考える。

連れて行って良いものか。

自宅にはいるかもしれない――殺気立った『あの女』が。

いや、きっといるだろう。

守りきれるか――しかし、車があれば逃げきれる可能性は高い。

「……お願いします」

迷った末明葉は頭を下げた。

「何かあったらすぐに逃げて下さいね。たぶん母がいると思うんで」

「お母さんが……?」

「相手が正気だと思ってはいけません。危ないと思ったらすぐに逃げて下さい」

「……分かったわ。行きましょうか」

雪菜のお母さんはため息をついて車のキーを取った。


明葉の母の名を安部明音という。明葉とは二十違いの三十四歳だが二十代前半で通る所謂美魔女。職業は看護師。階級は師長。帝都大学看護学科を主席で入って主席で出た才女。二十歳で同じ大学の安部明と電撃結婚し九年後明の仕事の都合で別居。彼女の口から娘の存在が語られることは無く、その存在を知らない者も多い。父はエステから化粧品まで幅広く手がける美容業界の巨人『camellia』のCEO。何不自由無く育ったお嬢様である。


その彼女は安部家玄関にいた。

長い手足を愛する男に絡みつかせて。

豊満な胸を惜しげもなく押し当てて。

細い腰を魅惑的にくねらせて。

――蠱惑的に立っていた。

「なあに? 泥棒猫が『私の家』に何しにきたの?」

思いっきり見下した笑顔で明葉に笑いかけた。

明葉は顔を上げない。

ただ俯いてその罵声に耐えている。

「明音……。明葉が困ってるだろう……」

絡みつかれた男――明葉の父は止めに入るが彼女はそれを意に介さない。

「なあに? 明こんな泥棒猫の肩持つの?」

「泥棒猫ってお前……」

「明は」

安部明音は自信たっぷりに言う。

「――私の味方よね?」

「そりゃそうだけど!!」

勝ち誇った顔で明音は笑う。嘲るように。見下すように。

「――だったら、こんな小汚い泥棒猫どうなっても良いわよね?」

「……明音」

「――私我慢ならないの。あなたが私以外の女こと考えるなんて」

「明葉はまだ子供だろう!!」

「――ちがうわよねえ? 薄汚れた泥棒猫さん?」

明葉は俯いたまま一回頷いた。

「嫌らしく発情しちゃってさあ!! ホント性根腐ってるわよねえ!!」

あはははははは!!と高からかに笑った明音は笑みを消しぞっとするほど酷薄な顔で言った。

「――失せろ。雌豚」

「明音!! いい加減にしろ!!」

たまりかねたように父が叫んだ。

絡みつく母をふりほどいて掴みかかった。

「明葉は俺たちの娘なんだぞ!?」

「――だから、何?」

母は――安部明音は冷酷に言い切った。

「私はこんな発情した雌豚は知らない。こんな穢らわしいバケモノと血が繋がってるなんて吐き気がする」

「……明音!」

「荷物だけは持って行かせてあげるわ。金輪際私たちの前に顔を見せないで頂戴」

「――わかりました。失礼します」

明葉は明音の脇をすり抜けてリビングに入る。

大きめの登山リュックに服と本。手際よく詰めて最後に制服をしわにならないように畳んで入れる。

何度も練習してきたそれはいつも通り完璧に出来た。

「よいしょっと」

背負って一度だけ礼をしてリビングを出る。

「――あははははははは!! お似合いだわ!! 夜逃げみたい!!」

「……明葉、待ってくれ……」

両親の声を背中に明葉は家を出る。

もう、戻ることはないだろう。

「……お待たせしました」

「明葉ちゃん!? 何があったの!? 泥棒猫とか……」

「トランクをお借りできますか? 荷物が多いので」

「今開けるけど……明葉ちゃん、大丈夫?」

「家を追い出されました。すいません。しばらくご厄介になります」

ぺこりと明葉は頭を下げた。

「……明葉ちゃん。ちょっとここで待ってて私話してくる!!」

「大丈夫です!!」

立ち上がる雪菜のお母さんの腕を明葉は掴んで止めた。

「いつかこうなるって分かってたんです!! 大丈夫なんです!!」

「だけど!!」

「ご迷惑なら他をあたります!!」

「そういうことじゃなくて!! おかしいでしょう!! いきなり家を出てけなんて!!」

「――いきなりじゃない」

いきなりじゃない。あの家には盗聴器が仕掛けられていた。それで『あの女』は気づいたのだ。明葉が『女』になったことを。

「ずっと見張られてた。ずっと『あの女』はこの時を恐れていた。私が『子供』じゃなくなるその時を」

高笑いの陰に潜む恐怖を明葉だけが気づいた。

明葉の若さと――自身の老いを。

追いつめたのは――明葉の方だ。

「明葉ちゃん……?」

「追いつめられているのは向こうの方です。ここで下手に刺激したら逆に何しでかすか分かりません。今は、引きましょう」

「………本当に大丈夫ね?」

「信じて下さい」

まっすぐに目を見て言う。

雪菜のお母さんはため息をついてエンジンをかけた。

「……分かったわ」

「ありがとうございます。いったんご自宅に戻ってもらって良いですか」

「……良いわ。家で話し合いましょう?」

「はい、ありがとうございます」

バックミラーに父の姿が映る。

「……明葉……待ってくれ……」

「――出して下さい」

一瞬、雪菜のお母さんは躊躇って――そして言う。

「――良いのね?」

「はい」

――アクセルが踏まれた。


溢れる若さが疎ましかった。

自由な未来が妬ましかった。

独占する愛情が怖かった。


――盗られたと、思った。

居場所を、盗られたと思った。

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