「どうした? 我が妹」
……そんなに長くなかった。
「………まじょのおねえさんのことか」
長い沈黙の後、空は足を崩し床にひっくり返って言った。
高い天井に声が吸い込まれて消えた。
「……あの女の事をそう呼んでいたのですか」
あの――明葉によく似た女の事を。
「初恋――だったんだろうな。俺の」
苦笑して空は起き上がる。
目の前の少女は明葉とは違う姿だ。
焦げたチョコレートみたいな色のふにゅふにゅとした締まりのない髪。
白人特有の色素が欠けただけの肌。
「……絶対、明葉ちゃんの方が美人だよな」
「まじょのおねえさんよりも、ですか?」
何か勘違いしているなと気づいたものの空はそれを否定しない。
――事実だからだ。少なくとも空にとっては。
「初めて見たよ。まじょのおねえさんよりも綺麗な女の子」
「……それが、私」
こくりと空は頷いた。
「死んじまった人はどうしても美化されるから比べるのはフェアじゃないんだけど――もう泣こうかと思った。あんまりにも綺麗で。あったかくて。優しくて」
思い出すのは――一緒にベッドに入ったあの夜。
夜の闇の中で虹色に輝いていた少女。
そんな人は――まじょのおねえさんしかいないと思っていた。
「……私は、まじょのおねえさん、じゃない」
明葉は言う。
死者の影を振り払うように。
「あんな女にはならない。――あんな誘拐犯なんかにならない」
「誘拐犯……。確かにそうだ。でも俺には優しかったんだ。温かかったんだ。――憧れてたんだ」
何時しか。
時田空は泣いていた。
透明な涙が後から後から零れ出てくる。
「幸せだったんだよなあ……。一ヶ月幸せだったんだ……。夢みたいだったよ。明葉ちゃんに会った時――夢の続きが見れそうな気がしたんだ」
「やめてっ!」
明葉は耐えかねて叫んだ。
もう限界だった。
「私は――私は! まじょのおねえさんなんかじゃない!」
時田空は――肩で息する明葉をそっと抱き寄せた。
「うん――知ってる」
「――ッ!」
「お前の名前は安部明葉。俺が今まで出会った中で一番綺麗な女の子だ」
背伸びして明葉の耳元で空は囁く。
「――好きだよ。まじょのおねえさんの代わりなんかじゃない。まじょのおねえさんなんか目じゃないぐらい――お前が好きだ」
そうしてぎゅっと肩に顔を埋めた。
「…………信じ、られない」
ぼそりとそう言って明葉は空を突き飛ばす。
「信じられない! 信じられない! みんなそうだ! ――みんな私が二番目なんだ!!」
そう言って。
大粒の涙をこぼしながら。
空に背を向けて駆け出した。
振り返らない。振り返りたくない。
「――待ってくれッ!」
聞こえない。聞きたくない。
――サンダルが脱げた。
気にしない。ここにいたくない。
駆ける。どこへ?
逃げる。何から?
分からない。
わからない。
ワカラナイ。
「――どうした?」
行く手を塞ぐ人影。
構わない。その横をすり抜けようと――
「どうした? 我が妹」
その手が。
しっかり掴まれた。
温かい、大きな手。
明葉を呼ぶ優しい声。
「……兄、様?」
「どうした? そんなに泣いて。悲しいことでもあったか?」
安堵が。
胸の内に広がる。
「……兄、様………兄様………兄様ぁ……」
「どうした、どうした。よしよし。もう大丈夫だぞ。なにも怖いことはない」
兄様が背中を撫でてくれる。
兄様がぎゅうって抱きしめてくれる。
――安心、できた。
この人は裏切らない。そう、確信できた。
「……陛下? 順番無視してなにやってんです?」
「妹を助けておったに決まっておろう!」
「あらあら、まあまあ。……ここまでですわね。では私達はお暇しますので兄妹水入らずでごゆっくり。――いきますよ」
「……ああ、明葉ちゃん……また、メールするから」
なにも――聞こえない。
明葉はただ兄の胸に顔を埋めた。
ストックホルム症候群――というのもありますが、基本的に彼女は時田空に対して好意的に接しました。
子供が欲しかった――というのが犯行の動機です。
犯行の間、彼女は時田空にわが子のような愛情を惜しみなく与えました。




