「――本当にそうかしらね?」
仁ノ宮愛は慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
それだけで頷いてしまう者も少なくは無いのだろう。
「嫌です」
――そして、そんな空気を読む安部明葉でもなかった。
冗談じゃない。
神聖王国の勇者になって仁ノ宮愛に影のように侍女のように脇役のように仕え続けるのか?
真っ平ごめんと明葉は仁ノ宮愛をにらみつけた。
空気が読めない人を見る目がない賢くないと三拍子揃った安部明葉にも分かる。仁ノ宮愛が主人公だ。勇者でヒロインだ。アイドルでカリスマだ。
だけどそんなものの影に隠れるために安部明葉は勇者になったわけではないのだ。
知恵も技術も経験もない安部明葉はそれでもやっぱり勇者なのだ。
「……へえ」
なんか意外と仁ノ宮愛は呟いた。
形の良い唇が興味深そうな笑みを形作る。
「てっきりあなたは所属する国のことなんてどうでも良いのだと思っていたのだけれど」
かつんとピンヒールが音をたてる。
一歩だけ距離を詰められた。
狭い箱のなかでその一歩はやけに大きく感じられた。
「どうでも良いです」
断ったのが即答なら、こっちもまた即答だった。
当たり前だろう。
勇者とはそういうものだ。
勇者に忠誠を求めることはどの国にだって出来ない。
どんな国にも帰属できないのが勇者だ。
どれだけ頑張っても結局もとの世界でしか生きられないのが勇者だ。
だけれども。
明葉には分からない。
「せっかく和解したんじゃないんですか。どうしてバランスを崩そうとするんですか」
勇者の数は単純に国の力を表す。
勇者が一人いる国より二人いる国の方が「強い」国だ。
そもそもそういう人間を選ぶのが勇者召喚である。
代わりはいくらでもいるのだけれど誰でも良いって訳ではないのだ。
今、北側に勇者が一人。南側にも勇者が一人。バランスはそこで釣り合っている。
わざわざ、それを崩そうとする理由が明葉には分からなかった。
だって和解したんじゃないのか。
平和になるんじゃないのか。
――こういうのは、賢くない考えなんだろうなあと明葉は思う。
だけどその何故が分からないからこその「賢くない」だ。
そして理由は分からないけど――仕方ないんだろうなと分かってしまうからこその「賢くない」でもあった。
無邪気に理想を信ずる愚かさも現実を変える賢さも持たない明葉のそれが限界であった。
自由に空を飛ぶことも出来ない、力強く地を歩むことも出来ない、宙ぶらりんの勇者のそれが限界であった。
「……随分と面白くないことを言うのね」
見下したり失望したりというよりは、単純に驚いたように仁ノ宮愛は言った。
かつん。
また、ピンヒールが音をたてる。
彼女に相応しい音だと明葉は思う。
力強く地を歩む者。迷いなく前に進む者。
既に両者の距離は三歩まで近づいた。
踏み込めば手が届く距離。
「史上最高の勇者だというからどんな子かと思っていたのだけれど。案外普通なのね」
「欲しかったら差し上げますよ。その称号」
「あら」
にこりと仁ノ宮愛は微笑んだ。
グラビアのような完璧な笑顔だった。
「じゃ、遠慮なく」
ぐいっと体が持ち上がった。
からん。
床から離れた足先からサンダルが滑り落ちた。
見れば。
仁ノ宮愛の細腕が明葉の胸ぐらを掴んでいて。
その細腕一本で明葉の体は宙に浮いていた。
「唱えないとこんなものかしら」
「……」
間違いなく、これは魔法だった。
そうでなければこんな細腕で人体を持ち上げられる理屈がない。
勇者には決して使えないはずの、魔法だった。
「勇者は魔法が使えない。呼び出されなければこちらに来れない。――本当にそうかしらね?」
勇者は魔法が使えない。
呼び出されなければこちらに来れない。
だから、罰されない。叱られない。咎められない。
ただ、呼ばれなくなるだけだ。
切り捨てられるだけだ。
要らないものになるだけだ。
召喚切り。
そう呼ばれる勇者に対する唯一の制裁行動。
だけど。
自由にここに来る方法があるのだとすれば――。
「魔法が使えるようにしてあげる。自由にここに来れるようにしてあげる」
だから。
神聖王国にいらっしゃい。
それはひどく魅惑的な笑顔だった。
今日はこの辺で。平日はペース落ちます。




