「…………………。なぜ、俺なんだ」
暗躍する光さん。
「……何よ。謝る気がないなら帰ってくれる?」
「……申し訳御座いませんでした」
とりあえず。
追い返せと言い切る仁ノ宮さんを宥めて。
雪菜には来客があったことを伝えて切ってもらって。
新見さんをリビングに上げた。
正確にはダイニングのダイニングテーブルに座ってもらっている。
明葉はお茶を入れつつ、そうっと様子を窺う。
仁ノ宮さんは今にも椅子を蹴って出ていきそうだ。
向かい合う光さんは右腕モードである。
グレイのレンズの奥に冷静な瞳が見える。
だが、端正なその顔に余裕はない。
惜しみ無く切り札を切ってくるだろう。
明葉にも仁ノ宮さんにも伏せ続けたとっておきの切り札。
時田空が知りたがったその情報。
「……ここ一週間程の間ですが私なりに彼の地について調査し、私なりにその危険性を理解したつもりです。そして、その上で――彼女に手を引くよう進言した事はご理解いただきたい」
「……では、まずその情報を開示してはもらえませんか? 私も何も分からないままでは判断の仕様がないですし……」
恐る恐る、お茶を出しながら仁ノ宮さんの様子を窺う。
……完ッ全な無表情である。冷気さえ漂ってきそうだ。
「わかりました。お話しましょう」
光さん一切動じてない。淡々とお茶を飲んでいる。
「今日までに私が接触できた『元勇者』は十四人。所在を明らかに出来た『元勇者』は接触した十四人を含め二十五人です」
「…………」
言葉が出ない。
留学に向けて光さんは物凄く忙しいはずだ。
その中で既に二桁人数に接触してるとか……分身でも出来るのか?
「これは『接触の必要がある』と判断した人数です。具体的には今現在何らかの形で魔法界と関わっているか――勇者召還黎明期を知る『元勇者』です。関係者も含めればもう少し増えますが」
一週間。たった一週間でそこまで……!
「一週間でそこまでとお思いになるでしょうが正確には一団体です。『外交会』と名乗る異世界との対当外交を望む団体に潜入して参りました」
「が、『外交会』ですか……」
びっくりである。そんなことを大人が大真面目に取り組んでいるなんて。
「残念ながら、政治家や経営者などの幹部メンバーには会えなかったのですが……、明日『外交会』所属の研究者と会食の予定をとりつけました」
「……で?」
ドライアイスの様な仁ノ宮さんの声が飛ぶ。
「どうする気なの? 彼女の覚悟にどう報いるつもりなの?」
光さんは明葉を見た。
「座って下さい」
お茶を出したままキッチンに逃げ込んでいた明葉は渋々とダイニングに出てくる。
「どうぞ。あなたの席よ」
仁ノ宮さんが席を立つ。
明葉の目の前には空っぽの椅子が一つ。
明葉の、席だ。
座る。
光さんの顔が正面にある。
無言で光さんはサングラスを外した。
明葉の背後で仁ノ宮さんが息を飲む。
露になった両眼は黒曜石の様な黒だった。
明葉の憧れの色。
オセロのような黒と白。
その目が真っ直ぐに明葉を見つめていた。
「――もう一度あなたの覚悟が聞きたい。敵は政界にまで進出している。私だけでは守りきれないかもしれない。いやそれ以前に。――もし、貴女か愛かのどちらかを選べと言われたら。私は――俺は絶対愛を選ぶ」
それでも。
勇者でいたいのか。
俺のために――働きたいのか。
「――はい」
明葉はその視線を受け止めて言った。
「当然です。あなたの力になるならば私は勇者となりましょう」
「俺が――好きだからか」
「あなたを愛しているからです」
光さんにとって価値ある物になれるなら。
命の一つや二つ何を惜しむ必要があろうか。
「あなたの『何か』で在りたいのです。どんな形でも良い。あなたの『特別』で在りたいのです」
「……薙高、行けなくなっても良いのか」
明葉の肩がびくりと跳ねた。
薙高。
それはこの人が最初に示してくれた夢だ。
明葉をこの世界に引き留める大事な夢だ。
「……迷うならば頼む。全て忘れて薙高に行ってくれないか。そうしたらお前は俺の特別に――」
「――嘘です」
断言出来た。
出来てしまった。
「きっと光さんは私が勇者をしながら薙高に受かるようでないと認めては下さらない」
「……ッ!」
夢を叶えること。
役に立つこと。
それが両立出来ないような女なら最早彼には視界に入れることさえ出来ないのだ。
七年前、天才の影となる事を決めた時からずっと。
「――両立してご覧にいれます。だから、どうか私を――お使いください」
光さんは――
とてもとても苦しそうな顔をしていた。
「……相手はこちらが思っていた以上に強力で、お前はおろか家族にまで手を出されるかもしれない」
「構いません」
「俺は愛を守るためお前と敵対するかもしれない」
「構いません」
「俺が――お前を殺すかもしれない」
「構いません」
苦い苦いとても苦い物を吐き出すように光さんは言う。
とても辛そうに。
「――信じて下さい。あなたの愛が仁ノ宮愛一人のものなら――私はあなたの『信頼』が欲しい。無事にやり遂げてご覧にいれます。どうか、私を信じて下さい」
「…………………。なぜ、俺なんだ」
深い深いため息と共に光さんは言う。
後悔と共に。懺悔と共に。
「あなたが私に夢をくれた。あなたが私に未来をくれた。あなたが私に希望をくれた。――中卒でパートでボロボロになりながら生活保護も受けられず死んで逝くだけだった女の子はあなたのお陰で高校に行くことを決めたんです。生きていく事を決めたんです。その責任は――取ってください」
中卒でパートで。ボロボロになるまで働いて。
そしてそのまま死んでいく。
それが新見光に出会う前の安部明葉の人生設計だった。
それで良いと思っていた。
母が願う通りそうなろうと思っていた。
だから、何の努力もしなかった。
その覚悟は、決意はあの日切り裂かれたのだ。
文字通り『光』によって。
「あなたが私に光をくれた。だから、私はそれに報いるまで」
「……良いか。絶対に薙高に合格しろ。何よりもまず薙高を優先しろ。――自分の未来を優先しろ。命を粗末にする事は絶対に許さない。これが守れるなら――俺はお前を『信頼』しよう」
これが最大限の譲歩だ。
そう言って光さんはサングラスをかけた。
グレイのレンズの向こう側で黒曜石が光る。
「――分かりました。必ず薙高に合格してみせましょう」
明葉は額が机にぶつかるまで頭を下げた。
それが本当に最大限の譲歩だと分かったから。
本音を言えばもう危ない事には関わって欲しくないのだろう。
大人しく受験だけしてくれれば万々歳なんだろう。
安部明葉を守りたいのだろう。
けれど。
安部明葉だって光さんを守りたいのだ。
光さんだけに重荷を背負わせたくないのだ。
「明日。夜六時。家に迎えに行く。――『外交会』にお前を引き合わせる。覚悟決めておけ」
「――はい」
決戦は明日。
覚悟はもう出来ている。
死んでも良いと思ってた。
それを変えてくれたのは――あなた。




