其之四 樹の君
青竜に存在を認められ、この学園でいくつかの季節を過ごした。あれから青竜としての接触はないが、予告通り担任として俺の前に(いろんな意味で)立ちはだかっていた。
高等部内の満開の桜並木の下に、青年が立っていた。二十代前半に見える青年は、誰かを待つように幹に身体を預けて、じっと桜を見つめていた。
高等部は山の一番上にあり、誰もが自由に入れる場所ではなかった。なのに、青年が誰に咎められることもなくここに居ることが自然なくらい不自然なことだった。
俺は寮から理科実験室へと向かう桜並木を通り、そのまま青年の前を通り過ぎた。
「何の真似だ、樹」
「…俺のことですか?」
いきなり話しかけられて、俺は青年を振り返った。そもそも、俺の名前は『一条雅樹』なので関係ないはずだ。ただ、周りに俺しかいなかったら、振り返っただけだ。
「何故、俺のところに戻ってこない」
「えっと、人と違いですよ。俺、あなたのこと知りませんから」
俺は青年に怪訝そうな視線を送り、そのまま実験室へと歩き出そうとした。が、鋭い気を感じて、俺はもう一度青年に振り返った。
「俺を裏切り、四神の加護まで受けたものを、このまま自由にさせると思うな」
青年の周囲を禍々しいオーラが囲み、彼の瞳の色が黒から黄色へと変化し始めた。
俺はため息をついて、ゆっくりと彼の前に戻り、片膝をついた。
「その短気な性格はいかがかと思いますよ。お久しぶりです、七樹様」
その言葉に、彼は嬉しそうに笑みを浮かべ、俺の頬に触れた。
「お前が俺を無視するからいけないのだろう。わざわざ俺が、一の部下を迎えに来たのにそのような態度を取られたら、怒るのは当たり前だろう。霊力もこの前よりも高くなり、憑依ではなく転生をしたお前の能力を姫も高く評価している。それなのに、樹、お前は何故人として生きている」
「俺…いえ、樹は十八年間、人間として生きてまいりました。今では、大切な者もおり…」
「だから、俺の元に戻らず、ここに居る。というわけか」
彼は言葉を切り、残酷な笑みを浮かべる。
「ここにお前を繋ぎ止めているのは『人間』か。その鎖を断ち切れば、俺の元に戻ってくるか?」
鎖を断ち切る、すなわち、俺が大切に思っている人々を殺すということ。
ここで見つけた俺の大切な光をなくすわけにはいかない。
立ち上がり、一度深く呼吸をして、彼の瞳を見つめる。
「先ほどおっしゃられたように、私の力は強くなっています。とはいえ、四天王を倒せるほど強くはありませんが、ここは『四神』の結界内。全力を出せないあなたに加護を受けた俺が攻撃したら、かなりの傷を負わせることが出来るのではないでしょうか」
多分、今の俺は冷酷な笑みを浮かべていると思う。こんな表情も出来たのかと、自分でも感心してしまう。そんな俺をみて彼は不快な表情を浮かべる。
「それに、そろそろ『四神』がこの状況に気付く頃です。そうなれば、形勢逆転ですね」
極上の笑顔を浮かべてやると、彼は少し驚いたように目を見開き、そして、爆笑した。
「俺がそんな勝ち目のない戦をすると思うか。もういい、今生のお前は『樹』ではない。ただの人間だ。好きに生きればよい」
そういって、俺に背を向けて校門へと歩き出した。
門を出て姿が消えた後、俺は彼の方向に深く頭を下げた。自分の命以上に大切だったあの人についていきたい気持ちもあった。だけど、それより大切な者を見つけてしまったから、できなかった。
山道を歩いていた七樹はふと立ち止まり、高等部の方向に視線を向け呟いた。
「俺も樹にだけは甘いな。だが、自由にさせるのは今生だけだ。次の生を受けたなら、必ず俺の元に戻ってこい。必ず、な」