其之三
長い、永い夢から覚めて、俺の中に新しい記憶が存在していた。
俺は、五つの尾をもつ狐で、大切な人に仕え、敵である『四つの聖なる者』と戦っているという記憶だった。
まるでどこかのファンタジー小説である。こんなことを他人に話したら、頭がおかしくなったと思われるに違いない。
「まーさーきー」
声に振り返るとルームメイトの藤井芙雪が大きめな鞄を持って立っていた。高等部の入学式まで1週間ほどあるため、一度実家に帰るらしい。もちろん、我家には誰もいないので帰る予定はない。
「じゃあ、俺帰るから。とりあえず、具合が悪くなったらすぐに先生に言うこと。わかったな」
まるで母親のような口調に苦笑が浮かぶ。
「わかってるって、お前も気を付けて」
ああ、と頷いて彼は部屋を出て行った。
誰もいなくなった部屋で、俺は記憶を整理していた。
記憶の中に存在する仲間だちは、現世でも存在しているらしい。直接会ってはいないが、どこかにいる、という漠然とした感じがするのだ。
もちろん、会いに行こうとは考えていない。
仲間がいようといまいと、俺は俺の生きたいように、ただ一人の人間-一条雅樹-として生きていたいから。
そうは思っていても、記憶が戻ってからだんだんと体調が良くないような感じがしていた。なんていうか、ゲームで言うならじわじわと毒とかでHPが削られるような感じ。
「部屋でダラダラしていても仕方ない。出かけるか」
寮を出て校門に向って校庭の端をゆっくりと歩く。春休みのせいか、ほとんど寮には人がいなかった。
あともう少しで校門というところで、鋭い気を感じて振り返った。
濃紺のスーツを着た若い男がそこに立っていた。
「見かけない顔だから、新入生かな。よかったら校内を案内してあげようか」
口調も表情も穏やかなのに、彼の瞳だけは俺を射抜くかのように鋭く、有無を言わさずに校舎の奥へと促す。
話の内容から、多分彼はここの教師だろう。
そして、俺の中の『私』が彼を知っていると呟く。
彼も…敵だ。
人気のない裏門まで俺を連れてくると、氷のように冷たい表情で言葉を発した。
「何しに来た」
「何って、ここの新入生だよ」
「下手な冗談はよせ。狐のくせに」
青年の持つオーラが青く輝き始める。まだ、脅しの段階だというのは解るが、このままではいずれ…。
「狐じゃない。俺は、ここの新入生の一条雅樹だ」
「痛い目にあいたいのか」
「しらねーよ。ちょっと前に変な記憶を手にいてたけど、それ以外何も変わってない」
「ちょっと前に?」
「春休みの初めごろに、夢を見たんだ。そしたら、もう一人の記憶が、なんていうか、インストールされたような感じなんだ」
「最近憑依したな」
「違う、そんなんじゃない。俺は、俺のまんまだ。何も変わってない」
「…まさか、転生。おまえ、四天王か」
青年のオーラが更に強まった。
「それも違う。俺は四天王の一の部下だった。今まで、転生したことなんかなかった。今回、どうしてそうなったのかわからない。お前の言うとおり、妖の記憶はある。自分が今までどんなことをして、誰に仕えていたか、そして、人間に憑依した記憶もある。だけど、違うんだ。本当に、気が付いたらこの記憶がインストールされてたんだ。今生では、四神にも、四天王にもくみするつもりはない」
「口ではなんとでも言える」
俺の話を一蹴する。青年のオーラが強すぎて、その場から動くこともできない。
「殺すのか、俺を」
「それが俺たちの仕事だからな」
「何もしていないのに?」
「していないという証拠もない」
このまま攻撃されたら、殺られるのは確実だろう。なんせ相手は四神。実力が違いすぎる。
「…俺にも家族はいる。迷惑かけるような死に方だけは勘弁してくれ」
奥歯を噛んで目を伏せる。裏門近くといっても学園内だから、そんなひどい殺され方はされないだろう。
不意に青年の戦闘状態だったオーラが弱まった。
瞳をあげると、青年は困ったような表情をしていた。
「お前の言ってることをすべて信じることはできない。だから、しばらく猶予をあたえよう。私は青竜。もし、お前に不穏な気を感じたら即座に消させてもらう」
そう言って青年は俺の肩に手を乗せた。その瞬間、今まで感じていた圧迫感がふわりと治まった。
「今のは?」
「私の『加護』だ。ここは四神の結界中だから、妖…とくにお前には辛いだろう。これで普段と変わらない生活を送れるはずだ。監視はさせてもらうがな。多分、お前の担任になるだろう。覚悟しておけ」
なるほど、いままでの身体のだるさの原因はこれだったのか。
とりあえず、四神の『青竜』には俺の存在を認めてもらえたようだ。