〜たかし君〜
「ほら、たかし早くして
時間に遅れちゃうわ。」
少し面倒くさそうに急かす母を横目に
気乗りしない面持ちで支度をするたかし。
乱暴に玄関のドアが開く
同時に父の荒々しい声が家の隅々に響き渡った。
「おい!支度まだか!?
こっちはもう出る準備してるんだぞ!」
「今やらせてるわよ!
ちょっと待ってて!
出る準備って車のエンジンかけただけじゃない…。」
語尾をワザと小声で言うあたりは
母の正直な不満が伺えた。
「ほら、たかし早くして!パパ待ってるから。」
以前はとても穏やかでいつも笑顔だった両親
たかしはそんな両親が大好きだった。
少し前のゴールデンウィーク明けあたりからだつただろうか
大好きだった両親から笑顔が消え、
事あるごとに言い争いを繰り返す様になった。
自分の部屋で絵を書いていたたかしが
両親に呼ばれてリビングに行くと
神妙な面持ちの両親が2人並んで座って居た。
「パパとママは理由があって別々に暮らす事になったんだ。」
その言葉はとても端的で要領を得ないものだったが
幼いたかしにも言いたい事はすぐにわかった。
だからだろうか、短く返事をしたきり
何も言葉を紡がなかった。
2人の間にどんな事があったのかはわからないし
知るのが怖いから知らなくていい。
でもどんな理由であったとしても
大人の勝手な都合で家族を崩壊させていい訳はない。
それが2週間前の事。
たかしが異変を訴えたのは両親から話をされた
すぐ後だった。
両親は子供なりに家族の崩壊を修復しようと
ウソをついているのだろうとたかをくくっていた。
たかしも少なからずその意図はあった、
しかし異変も事実として起こっていた。
異変は随分前から起こっていたが、
その頃は両親を心配させまいと
胸の内にしまい込んでいた。
「できたよ…。」
それだけ言うと俯いたまま母に手を引かれ
車に乗り込んだ。
「今日はどう?
何か先生に伝える事はある?
何処か痛いところは?」
母は少し疲れた様子で聞いた。
「何処も痛くない。」
たかしも同じく少し疲れた様子で応えた。
車に乗り込んでからずっと窓の外の
流れる景色を眺めていた。
普通ならたかしの様な状態で窓の外は
眺めないだろう。
それ以上に外には出れないはず
たかしの目には外の世界がまさしく
地獄絵図に映っていた。
それだけ今自身が置かれている環境から
目を背けていたかったし、
今日は幼い胸に秘めた計画があったから
どれだけ辛くても外の景色を眺めている必要があったのだ。
車は無言のまま心療内科に向けて
走り続けていた。
とあるカーブに差し掛かった時、突然たかしが声をあげた。
「止まって!」
「!?
何よ急に!どうしたの?」
「パパ!お願い止まって!」
「どうしたんだ?ションベンか?」
「違うの!お願い止まって!!」
ルームミラーで後部座席に座る我が子の顔を
確認しながら、父はカーブのちょうど中腹辺りの
道幅が少し広くなっている所に停車した。
「ありがとうパパ、
ちょっと待ってて。」
そう言うと車から降りて小走りに先へ向かった。
「アイツどうしたんだ?」
「わからない、どうしたのかしら?」
呆気にとられ、某然と我が子の様子を伺う
両親をよそにたかしは歩道の先に向かいながら
ポケットをゴソゴソと探っていたが
何かに気づいた様子で踵を返した。
「パパ、ママ、よく見てて。
僕も大きくなったんだよ、
だからきっと前みたいに仲良しになれるよ。」
2人の反応も待たず、また何処かへ向かって走って行った。
たかしは知っていた。
先週病院に行く時に、この場所で起きた事を。
知らない人が何をしてどうなったかを。
ピッ。
ガシャン。
たかしは両親の前から忽然と姿を消した。