ラムネ衛星
中学二年の夏、空からラムネ瓶が降ってきた。
最初の一本は、商店街の屋根を突き破った。
青いビー玉入りの、どこにでもあるラムネ瓶。
ただし問題は、それが雲の上から落ちてきたことだった。
しかも割れなかった。
ニュースは大騒ぎになった。
「宇宙物体の可能性」「未知の飛来物」だの専門家が難しい顔で並んだけど、次の日には子供たちが全部拾って飲み始めたので、だいたい終わった。
味は普通のラムネだったらしい。
それから毎年、八月になると空からラムネ瓶が降るようになった。
人々はそれを「ラムネ雨」と呼んだ。
落ちてくる数は年によって違う。
去年は三本だけだったし、一昨年は駅前がラムネまみれになった。
でも、ひとつだけ共通点がある。
ラムネは、なぜか「夏に後悔した人」の近くへ落ちる。
誰が言い始めたのか知らない。
でも不思議なくらい当たっていた。
失恋した人。
部活を辞めた人。
花火大会に行けなかった人。
そういう人の近くにだけ、空から瓶が落ちる。
だから八月の終わりになると、みんな少し空を見上げるようになった。
*
僕の家は海の近くのクリーニング屋だ。
シャツの匂いと、アイロンの蒸気と、古い扇風機の音。
夏休みは毎日手伝い。
正直、最悪だった。
今年こそは天音と夏祭り行けると思ってたのに。
天音は幼なじみだった。
小学校からずっと一緒で、背が高くて、笑う時だけ目を細める。
でも八月の最初、突然引っ越しが決まった。
父親の転勤らしい。
「花火までには戻るかも」
なんて言ってたけど、戻らなかった。
連絡も減った。
既読だけついて終わることも多くなった。
たぶん、新しい学校で忙しいんだろう。
わかってる。
でも、わかるのと寂しいのは別だった。
夏祭りの日、僕は一人で店番していた。
遠くで花火の音がする。
アイロンの蒸気が熱い。
店のテレビでは、今年のラムネ雨予測なんて特集をやっていた。
『専門家によると、今年は関東中心に――』
その時だった。
ガシャン。
裏庭で音がした。
猫かと思った。
見に行くと、洗濯カゴの中にラムネ瓶が一本刺さっていた。
空を見上げる。
夕焼けだった。
オレンジ色の空の中を、遠く小さく何本もの瓶が落ちていく。
風鈴みたいな音がしていた。
僕は瓶を拾った。
冷えていた。
ありえないくらい。
ラベルも何もない。
ただ、中のビー玉だけが光っていた。
その時、瓶の底に文字があることに気づいた。
『まだ間に合う』
は?
思わず見直した。
でも確かに書いてある。
油性ペンみたいな字。
『まだ間に合う』
「……なにこれ」
気味悪い。
けど、少しだけ胸がざわついた。
その時、店の電話が鳴った。
母が出る。
「あら、本当? 今から?」
数秒後、母が顔を出した。
「海斗、天音ちゃん来るって」
頭が真っ白になった。
「え?」
「駅着いたらしいわよ。電車遅れて花火ギリギリなんだって」
僕は走った。
サンダルのまま飛び出した。
商店街を抜ける。
祭りの屋台の匂い。
焼きそば。綿菓子。金魚すくい。
空ではまだ、遠くラムネ瓶が落ち続けていた。
駅に着く。
人混み。
浴衣。
汗。
その向こうに、天音がいた。
白いワンピース姿だった。
「うわ、ほんとに来た」
僕が言うと、天音は笑った。
「来るって言ったじゃん」
「戻るかもって言ってた」
「だから戻った」
息が上手くできなかった。
駅前の空に、花火が上がる。
赤。
青。
金色。
その光の中を、ラムネ瓶が一瞬だけ流星みたいに横切った。
天音が空を見る。
「今年も降ってるんだ」
「うん」
「ねえ、一本もらったことある?」
「今日初めて」
「ほんと?」
僕はポケットの瓶を見せた。
天音が目を丸くする。
「うわ、いいな」
「天音は?」
「ない」
「後悔なさそうだもんな」
すると天音は少し黙って、
「あるよ」
と言った。
花火の音が響く。
「いっぱいある」
その声が、思ったより小さかった。
「言わなかったけど、転校やだったし」
風が吹く。
「海、見れなくなるのも嫌だったし」
花火がまた開く。
「……離れるのも嫌だった」
僕は何も言えなかった。
心臓だけうるさい。
その時。
コツン。
軽い音がした。
僕と天音の間に、ラムネ瓶が一本落ちていた。
割れてない。
ビー玉が月みたいに光っている。
二人で顔を見合わせる。
天音が笑い出した。
「うそでしょ」
「狙いよすぎだろ」
瓶の底を見る。
小さな文字。
『じゃあ、来年も』
僕らは吹き出した。
なんだそれ。
宇宙なのか神様なのか知らないけど、センスが夏休みの担任レベルだった。
でも、その適当さが妙に嬉しかった。
遠くで蝉が鳴いていた。
花火の煙の匂い。
ぬるい夜風。
ラムネ瓶の中で、ビー玉がカランと鳴った。
たぶん夏って、こういう音でできてる。




