第6話
殿下の背が回廊の角に消えるまで、私はその場を動かなかった。
精霊灯の光が揺れている。
さっきまで、あの人も同じ光の中にいた。
(……終わったわ)
胸の奥で、何かが静かに閉じる音がした。
⸻
殿下と向き合っている間、私は一度も名を呼ばなかった。
呼べば、何かが変わってしまう気がしたからだ。
「殿下」
それ以上でも、それ以下でもない距離。
自分で選び、自分で守ると決めた呼び方。
(間違っていない)
そう言い聞かせながら、ゆっくり息を吐く。
⸻
前世の記憶がある。
この世界とは異なる場所で、私は――
選ばれなかった側だった。
だから、分かっている。
恋は、選ぶものではなく、
切り捨てる覚悟があるかどうかだということを。
殿下は、この国を背負う人だ。
私が恋を理由に揺らがせていい存在ではない。
それを、一番よく知っているのは――
きっと、私自身だった。
⸻
会議で提出した結界案は、国のためのものだ。
そこに私情はない。
けれど。
殿下が一瞬だけ、言葉を選んだ沈黙。
視線を外さずに、頷いた仕草。
あれが、私に向けられた最大限の感情だと、
分からないほど愚かではない。
(……十分よ)
これ以上、望むべきではない。
⸻
私は踵を返し、来た道を戻る。
背中に残るのは、後悔ではなく、確かな重み。
恋をした。
そして、その恋を使わなかった。
それでいい。
次に会う時も、私は彼を「殿下」と呼ぶ。
彼は私を「令嬢」と呼ぶだろう。
その距離がある限り、
この国は揺らがない。
――それが、私の選んだ答えだ。




