第5話 殿下視点
玉座の間を出た瞬間、背中に張りついていた緊張が、ようやく剥がれ落ちた。
長い会議だった。北境の結界、精霊契約の更新、貴族会の折衝――どれも、王になる者には避けられない判断だ。
だが、頭に残っているのは、ひとつだけ。
彼女の横顔。
令嬢として、貴族として、そして――王族に近い位置に立つ者として。
感情を抑え、礼を失さず、最後まで私を「殿下」と呼び切った声。
(……そうだ。それでいい)
そう思いながらも、胸の奥が静かに痛んだ。
⸻
回廊を進むと、精霊灯の淡い光が揺れている。
この城では、魔法も精霊も、力である前に制度だ。
感情で扱っていいものは、何ひとつない。
「殿下」
足を止める。
声の主は、先ほどの会議で結界案を提出した彼女だった。
「ご用件は」
私の声は、公的なそれだった。
無意識に、距離を取っている。
「はい。先ほどの裁可について、一点だけ補足を」
彼女は一礼し、簡潔に言葉を選ぶ。
私の決定を否定しない。
ただ、より良い形を提示するだけ。
(……変わらないな)
前世の記憶がある。
この世界の者ではない生を、確かに生きた。
だが、それを理由に彼女を特別扱いしたことは、一度もない。
それでも――
「殿下」
彼女が、ほんの一瞬だけ、視線を上げた。
その目に宿る感情は、希望でも、期待でもない。
覚悟だ。
「私情を挟むことはいたしません。
ですが、この件は、王国の未来に関わります」
私は、ゆっくり頷いた。
「理解している。
君の案を、正式に追記しよう」
彼女は微かに息を吐き、再び礼をする。
「ありがとうございます、殿下」
その呼び方が、胸に刺さる。
名前を呼ばれるより、ずっと。
⸻
彼女が去った後、私は回廊に残った。
王族であることを選ぶ――それは、彼女自身の望みだ。
私が、恋を選ばせなかったわけじゃない。
彼女が、自分で選んだ。
(……それでも)
人は、選んだ道の重さから、逃げられない。
精霊灯の揺らぎの中で、私は思う。
もし、王でなければ。
もし、彼女がただの一人の女性であれば。
そんな仮定は、意味がない。
私は王族であり、
彼女は貴族の令嬢で、
この国は、私たちの感情より重い。
だから――
次に会う時も、私は彼女を「令嬢」と呼ぶ。
彼女は私を「殿下」と呼ぶ。
それが、選んだ未来だ。




