第3話 殿下視点
執務室の窓から見える王城の庭は、昼でも静かだった。
精霊が多く集まる場所ほど、人の声は吸われる。
書類に目を通しながら、俺は思う。
――昨夜の回廊。
――霧の庭園。
――彼女の、半歩後ろへ退いた動き。
あれは拒絶ではない。
選択だ。
「殿下」
宰相の声に顔を上げる。
「こちらを」
差し出されたのは、封蝋付きの書簡。
他国の紋章。
内容は分かりきっている。
政略婚の正式な打診。
「……時期が早いな」
「精霊の動きが、不安定です」
宰相は淡々と告げる。
「王家の加護を確実なものにする必要があります」
つまり――
俺は、揺らいではならない。
書簡に視線を落としたまま、ふと考える。
もし彼女が、
「捨ててほしい」と言っていたら。
俺は、どうしただろう。
(……答えは出ている)
だからこそ、彼女はそう言わなかった。
「受け取っておこう」
俺の声は、王族のそれだった。
宰相が一礼して下がる。
扉が閉まったあと、室内には精霊の気配だけが残った。
――見られている。
俺は椅子にもたれ、目を閉じる。
彼女は、王族の俺を見ていた。
男としてではなく、
国の未来として。
それが、どれほど残酷か。
それが、どれほど優しいか。
(……ずるいな)
聖獣の気配が、窓の外を通り過ぎる。
姿は見えない。
だが、分かる。
――記録されている。
選ばなかった恋も、
選んだ責務も。
「王であることを、選べ、か」
小さく呟く。
俺は、王族だ。
生まれた瞬間から。
それを捨てる覚悟は、ある。
だが――
彼女が望まない。
ならば、俺は迷わない。
立ち上がり、書簡を手に取る。
封蝋を割る音が、やけに大きく響いた。
その瞬間、胸の奥で何かが静かに終わった。
いや、違う。
終わったのは「期待」だ。
彼女は最初から、
ここに立たなかった。
王冠の隣ではなく、
王冠よりも遠い場所を選んだ。
だから俺は、王になる。
彼女が守ろうとしたものを、
裏切らないために。
窓の外で、精霊の灯がひとつ、強く瞬いた。
――承認。
それが祝福かどうかは、分からない。
ただ確かなのは。
この選択は、
俺ひとりのものではない、ということだ。




