第1話
精霊の灯が、城の回廊を淡く照らしていた。
夜になると、彼らは決まってこの色を帯びる。青でも白でもない、境界の色。
私はその光を踏まないように、そっと歩く。
ここは王城。
中堅貴族の令嬢である私が、ひとりで歩いていい場所ではない。
けれど今夜だけは、王家に連なる家の代表として、形式上の許しを得ていた。
――許しが必要な距離。
それが、私と彼との間に引かれた線だった。
「……来ていたのか」
声に振り向く。
回廊の影から現れたのは、王位継承権を持つ王族の青年だった。
豪奢な装いではない。
それでも、立っているだけで周囲の空気が変わる。
生まれながらにして、国に属する人。
「はい。少しだけ」
それ以上、言葉を足さない。
余計な理由は、噂になる。
彼は小さく息を吐いて、私の隣に立った。
近すぎない。けれど、遠くもない。
この距離が、限界だと知っているから。
「精霊が、今日は静かだな」
「ええ。嵐の前触れかもしれません」
そんな無難な会話の裏で、胸の奥が微かに疼く。
ときどき見る、知らない人生の記憶。
ここではない世界。
魔法も精霊も存在しない場所で、同じように“選べない立場”にいた自分。
(……思い出す必要はない)
今は、この人生だ。
彼が不意に、こちらを見る。
「君は、怖くないのか」
何が、とは言わない。
それでも分かる。
――王族に近づくこと。
――選ばれない未来を知りながら、そばにいること。
私は少し考えてから、答えた。
「怖いですよ。とても」
正直だった。
「でも……それ以上に」
言葉を選ぶ。
間違えれば、彼を縛る。
「あなたが、あなたでいられなくなる方が、怖いんです」
彼は何も言わなかった。
ただ、精霊の灯が揺れ、回廊の奥で羽音がした。
聖獣だ。
姿は見えないが、ここにいる。
――選択を見届ける存在。
私は、そっと視線を落とす。
王冠は、遠い。
けれど私は知っている。
その場所に立つのは、私ではない。
だからこそ、願う。
どうか。
恋よりも、王冠を。
王であるあなたを、選んでください。
精霊の灯が、ひとつ消えた。




