第89話:魔導士の矜持、触れられない理由
グラシア山脈・中腹。
岩殻獣の崩れ落ちた残骸から、まだ微弱な魔力の余熱が立ち上っていた。
「……反応、完全消失」
リリアが魔導具を閉じる。
「この裂け目は安定したわ。
少なくとも“ダンジョン化”の兆候はない」
ダリオは深く息を吐き、構えていたシールドを解除した。
「助かったな。
だが――」
視線が、自然とアランへ向く。
アランは岩殻獣の残骸を見下ろし、槍先を地面に軽く当てていた。
(……やっぱり、山全体が変だ)
(岩だけじゃない。
地脈の流れそのものが、どこか“閉じてる”)
「……次は、上だな」
ぽつりと漏れた言葉に、レオンハルトが反応した。
「分かるのか?」
アランは少しだけ首を振る。
「はっきりじゃない。
でも……この槍が、そう言ってる」
レオンハルトは一瞬、言葉に詰まった。
(また、それか)
(理論も術式もなく、
“そう感じる”だけで判断するなんて――)
だが。
先ほど、自分の《レイジング・ロック》が弾かれ、
アランの一突きだけが核へ届いた光景が、脳裏から離れなかった。
「……理解できないな」
率直な言葉だった。
「魔法は“組み立て”だ。
術式、魔力制御、詠唱――
積み上げた理屈が、結果を生む」
アランは黙って聞いている。
「だが君は……
触れただけで、結果を変えた」
小さく、苦笑が混じる。
「それを“魔法”と呼ぶのか?」
リリアが、間に入るように口を開いた。
「レオンハルト。
あなた、間違ってはいないわ」
彼女は冷静だった。
「正規術式は、今も最適解よ。
多数を守るなら、魔法陣は不可欠」
「でも――」
視線が、アランの槍へ移る。
「“核”や“律”みたいな、
世界そのものが歪んだ相手には……
術式は、外側からしか触れない」
ダリオが腕を組み、低く言った。
「だから、俺たちは防ぐしかない。
シールドで、場を保つ」
「壊すのは――」
リリアが続ける。
「アランしかいない」
沈黙が落ちた。
山の風が吹き抜け、岩肌を鳴らす。
レオンハルトは、ゆっくりと杖を握り直した。
(……貴族が武器を持つ、か)
(いや――)
「違うな」
彼は顔を上げた。
「君は、武器を持った魔導士じゃない」
アランがわずかに振り返る。
「魔導士が、
“理屈を捨てて触れる役”を引き受けただけだ」
それは、軽蔑ではなかった。
むしろ――
自分にはできない役割を認める声だった。
アランは小さく息を吐く。
「……俺だって、分かってないよ」
槍を見つめながら続ける。
「でも、通じないものを前にして、
立ち止まるのは……嫌なんだ」
その言葉に、ダリオが短く笑った。
「いい答えだ」
彼は前を指差す。
「だったら行くぞ。
次は“高度三千”――
山脈の背骨だ」
リリアが魔導具を操作し、顔をしかめる。
「……魔力反応、嫌な上がり方してる」
「岩殻より、ずっと深い」
「たぶん――」
一瞬、言葉を選んでから告げる。
「“山そのもの”が、
核を抱え始めてる」
白銀の槍が、はっきりと震えた。
アランは一歩、前へ出る。
「……なら、行こう」
グラシア山脈・高所。
魔導士たちの理屈が、
再び試される場所へ。
そして――
“触れられる者”だけが、
踏み込める領域へ。
次の異変は、
もうすぐそこまで迫っていた。




