第23話:灰哭の森・第二層 さざめく影
灰色の霧が、いつの間にか濃度を増していた。
木々の間を歩くほどに視界は狭まり、まるで森そのものが息を潜めて見つめているようだ。
(……ここが第二層か。空気が重い……)
ひと足進むごとに、靴底から冷気が這い上がる。
背筋を伝う悪寒が、肌ではなく心の奥を撫でた。
――その時。
『……アラン……』
耳元で、誰かの声が囁いた。
息が詰まる。
慌てて振り返るが、霧の向こうには何もいない。
(……今のは……父さんの声、か?)
心臓が早鐘を打つ。
再び足を進めるたび、今度は複数の声が混じり合って響いた。
『お前は凡庸だ……』
『兄たちには到底及ばぬ……』
『次は戻れぬかもしれんな……』
父、兄、そして監査役の声が、交互に脳裏を刺す。
頭の奥がぐらりと揺れ、握る槍の感触が遠のいた。
(違う……こんな言葉、もう聞きたくない!)
胸の奥に光を集中させる。
魔力の流れが暴れるように渦巻き、アランは低く呟いた。
「――《リカバー》」
柔らかな光の結界が、彼の体を包み込む。
霧の中でさざ波のように広がる光が、耳元の囁きをかき消していく。
(……そうだ。これが俺の“壁”だ。恐怖なんかに負けてたまるか)
結界の内側で息を整えると、再び前方に異様な気配を感じ取った。
濃霧が裂けるようにゆらぎ、その奥から――
黒い影がゆっくりと現れた。
ぼろ布をまとい、虚ろな顔を覆うように手を垂らした存在。
その身体は地面からわずかに浮かび、口元から絶えずすすり泣きが漏れていた。
「……哭き亡霊……!」
灰哭の名を冠する魔物――その名の通り、周囲の霧を哭き声で震わせる。
アランは構える。
槍の穂先を光らせ、《ルーメン》を流し込む。
「――はっ!」
閃光が走る。だが、突き刺した瞬間、手応えが消えた。
まるで霧を突いたように、槍が亡霊の体をすり抜ける。
「物理が……通らない!?」
哭き亡霊は甲高い悲鳴を上げ、黒い霧を撒き散らした。
空気が重く、視界がねじれる。
(マズい……! このままじゃ呑まれる――!)
頭の奥で、再び誰かの声が響く。
『お前は弱い』『何を証明できた?』
『凡庸のまま、霧に消えるがいい……』
アランは歯を食いしばり、目を閉じた。
(黙れ……もう、そんな言葉には負けない!)
胸の奥――光が爆ぜた。
全身を駆け抜ける魔力の奔流。
視界の闇を押しのけるように、彼は叫んだ。
「――《ホーリーバースト》ッ!!」
瞬間、地を揺らすような轟音とともに、まばゆい光が森を満たした。
灰色の霧が一瞬で吹き飛び、哭き亡霊の影が悲鳴を上げて掻き消える。
光の余波は樹々を照らし、辺り一面が昼のように明るく輝いた。
数秒後、静寂が戻る。
アランは荒い息を吐き、膝に手をついた。
「……今の……俺が放ったのか……?」
掌が熱を帯び、まだ微かに光を放っている。
自分の中の魔力が、確かに新しい形を得たと感じた。
(恐怖を超えて……初めて、“光”は本当の力になるのか)
……ならば、俺は何度でも超えてみせる。
霧の向こうで、再び風がざわめく。
木々の葉が震え、遠くで微かな鳴き声が聞こえた。
アランは立ち上がり、深く息を吸う。
「……ここからだ。《灰哭の森》、第二層突破」
灰色の霧が晴れ、彼の歩む先――第三層への道が静かに開けていた。




