第105話:帰路と進級
グラシア山脈に、
もはや“異変”の兆しはなかった。
風は一定に流れ、
雪解け水は正しい道を選び、
岩は沈黙を守っている。
――それは、
“安定した律”の証明だった。
山を下りる途中、
リリアの魔道具が短く音を鳴らした。
「他の場所の魔力振動が沈静化してるわ」
ダリオが小さく息を吐いた。
「連鎖していた“歪み”が、
核の解消と同時に収まったか」
レオンハルトは、少しだけ驚いた表情を浮かべる。
「一か所を正しただけで……」
アランは答えなかった。
ただ、腰の光導槍に手を置く。
導かれもしない。
拒まれもしない。
だが――確かに、
“在る”という感触だけが残っている。
(……初律)
名を持ち、
役割を選び、
静かに眠った存在。
それが正されたことで、
他の歪みも“拠り所”を失った。
破壊ではない。
制圧でもない。
ただ、“正しい在り方”が一つ、
世界に戻っただけだ。
帝都・中央魔導庁。
白壁の大広間に、
三名の監査官が揃っていた。
記録晶が宙に浮かび、
各地の観測値が次々と表示される。
「山脈異変、完全収束」
「連動していた他地域、安定確認」
「自然核の再活性化、未検出」
マリエッタが、静かに頷いた。
「……確定ね」
ダリオが視線を上げる。
「帝国としての結論は?」
一拍。
そして、はっきりとした声。
「異変は終結した。
ただし――原因は未解明」
その言葉に、
部屋の空気が僅かに張りつめる。
「だからこそ」
マリエッタは視線を前へ向けた。
「観測を続ける。
管理ではなく、“理解”のために」
その瞬間、
一つの名前が、正式文書に刻まれた。
――アラン・ルクレディア。
備考欄には、短くこう記される。
光属性魔導士
特殊媒介適性あり
自然律との直接干渉事例を確認
「当該事例につき、
帝国魔導学院の判断を仰ぐ」
帝国魔導学院・評議室。
円形の机を囲み、
基礎課程および応用課程の教官、
理論部門、実技部門、
そして――学院付き監査官が席に着いていた。
記録晶が中央に浮かび、
山脈での観測データが静かに回転している。
「……前例がないな」
最初に口を開いたのは、
応用課程主任の老魔導士だった。
「基礎課程在籍中の生徒が、
自然律の“核”と直接干渉し、
しかも破壊せず、安定させた」
「理論上は不可能だ」
別の教官が、即座に続ける。
「光属性は“作用が弱い”とされてきた」
「干渉はできても、変質は起こせないはずだ」
その言葉を、
マリエッタが静かに切った。
「――理論が、追いついていないだけです」
一瞬、沈黙。
「彼が行ったのは“強化”でも“制圧”でもない」
「存在を定義し直した」
「それは、これまで我々が“魔法”と呼んできた枠の外よ」
評議室に、重い空気が落ちる。
「問題は、扱いだ」
学院長が、ゆっくりと口を開いた。
「このまま基礎課程に留めるか、
応用課程へ進ませるか、
それとも――研究機関預かりとするか」
その言葉に、
何人かの教官がわずかに眉をひそめた。
「研究機関送りは早すぎる」
「彼は“研究対象”であって、“研究者”ではない」
「だが、基礎課程では――
もう、教えられることがない」
学院長は、しばらく黙考した後、
静かに結論を下した。
「特例とする」
視線が集まる。
「アラン・ルクレディアを、
基礎課程修了相当と認定」
「来期より――
帝国魔導学院・応用課程へ進級」
ざわめきが走る。
「ただし」
学院長は続けた。
「成績優遇ではない。
英雄待遇でもない」
「観測対象としてだ」
マリエッタが、小さく頷く。
「光属性が、どこまで“関われる”のか
それを測る場所が必要なのよ」
数日後。
学院の掲示板に、
新学期の進級者名簿が張り出された。
応用課程・一年。
そこに――
一つだけ、異質な名前があった。
アラン・ルクレディア
(特例進級)
それを見上げる生徒たちの間に、
小さなざわめきが広がる。
「……聞いた?」
「光属性らしいぞ」
「どうせ、上の連中の都合だろ」
その少し離れた場所で、
リリアが名簿を見つめていた。
同じクラス。
だが、同じ立場ではない。
(……もう、“一緒に学ぶだけ”じゃない)
彼女は、そう直感する。
一方、アランは――
その名簿を、静かに見上げていただけだった。
特別扱いでも、
誇りでもない。
ただ、
次の場所へ進むことを
“選ばされた”だけだ。
腰の光導槍が、わずかに揺れる。
導かれない。
拒まれない。
それでも――
新しい場所は、
確実に彼を試そうとしていた。
帝国魔導学院・応用課程。
戦いの場は、
再び――人の中へ移る。
(……ここからだ)
アランは、そう思いながら、
静かに学院の門をくぐった。




