2.1 - チカーム教国 【ミッドガルズ : 狂気の教団】
聖良回
豪華な調度品に彩られた、石造りの広い部屋。
石工技術は高いようで、壁面も床面も、鏡のように磨かれ、凹凸もない。
壁には額縁で飾られた肖像画が数点。
この部屋の主は、さぞかし金持ちなのだろうという様相だ。
温かみは感じられないが、高級感がとめどない。
その部屋の中央に、糸目で微笑む壮年の男性と、硬い表情の少女。
どうにも真剣な様子だ。
「いよいよですね。」
壮年の男は、笑顔は崩さず、しかし重々しく口を開いた。
蓄えられ、整えられた髭が、実に胡散臭い。
話しながら、その髭を撫でつけている。
その仕草もまた、実に胡散臭い。
「はい。」
胸の前で祈る様に手を組む少女。
短く発したその声は、か細く震える。
黒を基調に、金銀の模様であしらわれた、高級そうな衣装に身を包む男に対し、少女は真っ白な布を一枚だけ纏っているような格好をしている。
そしてその布も、透けるほどに薄い。
「今日の聖杯の儀で、神託さえ得る事が出来れば……セラ。貴女が聖女です。」
壮年の男は、そう言いながら、片目だけ薄らと開け、セラと呼ばれた少女を見やった。
「ローグラッハ神官長……。それが恩返しになると信じて、今日まで修行に励んでまいりました。」
セラは、潤んだ瞳を閉じながら答える。
「セラ。貴女が聖女となる事は、拙官の為ではないのです。チカーム教国……エウロー大陸……全てはこの世界と!唯一神ソラーネ様のためなのです!」
ローグラッハは、両手を広げ、天を仰いだ。
だが、そこに空は無い。あるのは天井だ。
しっかり抑揚のつけられた声と、その動きは、実に芝居がかっているのだが……
「はい。ローグラッハ神官長の崇高なお考えこそ、私を生かして下さった道です。私は聖女となり、その聖道を歩みたいと思います。」
セラの純真無垢な瞳に、疑いの色は皆無だった。
「さあ、聖杯の間へ向かいましょう。」
「はい。」
そうして二人は部屋を出る。
――――――
――――
――
エウロー大陸。
その大陸には、大小様々な国がある。
一番の支配地域を有しているのは、エウローン帝国だ。
傘下の国は三国。そのいずれも、そこそこの規模。
それにより、エウロー大陸の北側と西側は、エウローン帝国が掌握している。
エウロー大陸では、古くから三神教や十二神教が主に信仰されていた。
三神教は、創星三神を奉る宗派だ。
十二神教は、創世十二神を奉る宗派だ。
創世十二神のうち、三柱は創星三神と同じである。
この二つの宗教は、実在した神と呼ばれる存在、その実像の口伝が元になり生まれた宗教だ。
星を創った神々を祀るのか、世界を創った神々を祀るのか。その違いから分岐した。
それぞれの神の姿――生き様が、人々の憧れとなり見本となる。
そんな"神話"と伝わる物語の発祥から千年余。
いつしか教義的なものとなったのだ。
とはいえ、思想的には未だシャーマニズムに近く、土着信仰的であり、統一的な教義や戒律なども特に厳しく設定されていなかった。
死生観すら統一的でない。
拠って、人心を縛り操るには向かないものだった。
何より、神は人を導く存在とされていなかったのも大きいだろう。
人々は、神々が星に満たした神力を使う術を得て、生活に役立てる。
そして神々に感謝する。
具体的な統一思想といえばそれくらいだろう。
そんなエウロー大陸の中で、突然変異的に発生した、チカーム教国という変わり種。
チカーム教を興したソーウ・チカーム教皇が建国した国である。
世界で唯一、宗教が法となっている宗教国家だ。
その成り立ちは、およそ二百年程前に、ソーウ・チカームがチカーム教という新興宗教を興したことに始まる。
ソーウは若き頃、『神託を得た』と旅に出た。
その――過酷だったという旅の果て。
神の血を受けたという"聖杯"を持ち帰った。
その聖杯は、特別な神力を宿しており、数々の奇跡を起こした。
奇跡の力は、目にする人々を大層驚かせ、ソーウの説く"教え"に信憑性を生んだ。
そして"教え"は、教義として編纂されていく。
編纂された教義は、それまで普及していた三神教や十二神教を否定するものだった。
既存宗教と最もかけ離れていた部分。
それは、人間は唯一神ソラーネの子だということ。
そして、人間は唯一神ソラーネに祈りを捧げ、神に尽くせば、今生の罪が赦されるというものだ。
チカーム教は、神という存在を、人間にとって都合の良いものに変えた。
それは革新的な考え方だった。
貧する者達は特に飛びついた。
ソーウの属していた旧国は、あっという間に塗り替えられてしまった。
当然、争いは起こる。
だが、宗教の名のもとに団結する民衆は、強かった。
国中から攻められることとなった旧王朝は、呆気なく滅んだ。
そうして、開祖ソーウを国家元首とした、宗教国家チカーム教国が誕生した。
当時の近隣諸国の王たちは、ソーウのその"教え"を爆発的に広める手腕たるやと、恐怖した。
国内を統一すれば、当然のように信者達は他国への布教を始める。
だが、諸外国にすれば、それは侵略行為に他ならない。
初代教皇が神の元に帰って、はや百五十余年。
いまだ争いは絶えていなかった。
――
現在のチカーム教国は、教皇不在の状態だった。
第九代教皇が崩御して五年、いまだ次代教皇が選出されていないのだ。
ローグラッハは、自身こそ第十代教皇に座るべきだと思っている。
(昨年の儀式は焦りましたが……やっとここまで漕ぎ着けましたね。後はセラが上手く出来れば……拙官の時代です……!!!)
しずしずと後を着いてくるセラを、ちらりと見やるローグラッハ。
たった今からほどなくして、全てが決まるのだ。
その心中では様々な思いが渦巻いている事だろうが、表情からは推し量れない。
初代教皇ソーウが定めた、教皇選出法……
それは、聖女による指名だった。
聖杯の儀で神託を得た乙女は、聖女となる。
その聖女が、神託のもとに教皇を指名するのだ。
聖女は、数多の候補のうち、その年で最も優秀とされる者が聖杯の儀に挑めることになっている。
ただし、必ずしも成功するわけではない。
この――聖女が生まれなければ、必然的に教皇も不在となってしまう、不完全にも思える制度。
血縁による世襲制とはまた違った面倒臭さはあるが、神秘性に富んでいるためか、制度改定を望む声は、今のところない。
地位や権力、そして財力を持った神官達は、聖女候補を掻き集め、養育した。
それが、チカーム教内での最終到達点への正道であり、近道なのだ。
ローグラッハもまた、神官長となって十年余。セラを含む数名の候補を養育してきた。
才能の片鱗すら見せなかった者……
惜しくも失敗した者……
早々と神の元へ帰る者……
望んだ成果を得られる者はいなかった。
何より、他神官達との権力闘争や派閥争いも忙しい。
セラは、ローグラッハの生涯を賭けた最高傑作だった。
全てはこの日のために。
儀式の間には、既に人々が集まりだしていた。
「セラ。神を感じるのです。貴女なら出来ます。」
そう送り出すローグラッハ。
「……はい。神の御声を……。」
胸に手を当て、目を閉じるセラ。
儀式まで、もう間もなくであった。
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