0.2 - 聖良 【地球 : 悪女の道連れ】
聖良回
福光聖良という女がいた。
産まれた赤子を見た瞬間、天使が舞い降りた感覚だったという父親。
セラフィムという天使や、同名の聖人の名に肖って、その名を付けたという。
聖人君子の様に、多くの人々から尊敬され、愛されるようにとの願いを込めたのだ。
そんな彼にすれば、天使は愛でるものだったのだろう。
父親は、聖良を溺愛し、我儘も何でも聞いた。
目に入れても痛くないといったように、とにかく甘やかして育てた。
その間5年余り。
聖良が5歳になった頃、父親には全く懐かなくなった。
――
聖良の母親は、いつも綺麗だった。
そして、母親と父親の関係性は、女王様と下僕のようだった。
命令と叱責を繰り返す母親、薄ら笑いで応える父親。
聖良は、そんな両親を見て育ち、母親の姿こそが正しいのだと学習した。
女とは男を都合良く扱い、大事にされて然るべきもの。
女である自分は、そう在るべき。
はっきりとした言葉を話せる様になっていた5歳頃には、母親と揃って、父親を顎で使い、更には罵倒するようになっていた。
そんな家庭環境と育成状況は、聖良の社会生活にも当然影響を及ぼした。
見た目が良かった聖良は、保育園や幼稚園、はたまた小学校でも男子からちやほやされた。
そして、当然の様に女王様然と振る舞うのだ。
女子の友達が出来るはずもなかった。
――
聖良が10歳になった頃。
母親が、内緒の話があると、聖良を連れ出した。
隣街のレトロな喫茶店。
現れたのは、母親と同じ歳の頃と見える男。
その男を、母親は、聖良の本当の父親だと紹介した。
今まで父親だと思っていたものは、偽物らしい。
本物の父親は、偽物よりも顔の造りが整っていた。
本当の両親が並んでいるところを見れば、少し歳を重ねてはいるが、美男美女カップルだった。
そして何より、二人はどことなく自分に似ていた。
聖良は自分のルーツを知り、嬉しく思った。
それから5年程。
"本物"の父親とは、母親を介して交流を持った。
――
聖良15歳、高校受験を控えた年。
偽物の父親が出ていった。
思春期の例に漏れず、絶賛反抗期だった聖良。
「偽物のクセに父親ヅラすんな」
という一言が決定打だったようだ。
その日、養父は予め用意していたらしきキャリーケース一つだけを持ち出して、消えた。
――
養父が出ていって一月程。
内容証明郵便が母親宛に届いた。
どうやら養父は、水面下で色々と調べていた様だった。
母親は、その中身を見るなり、発狂した。
叫び散らしながら、手近な物を投げては壊し、暴れ狂った。
聖良は、その母親の様子や、自身の置かれている状況に困惑し、助けを求めようと実父に連絡した。
だが、電話に出ない。
メッセージを何度も送るが、返信もない。
途方に暮れた翌日、漸く「二度と連絡してくるな」と、一言の返信があった。
聖良は、目を吊り上げながら、携帯電話を握り締めた。
――
数日後、弁護士を名乗る男が、母親を訪ねてきた。
聖良も、その"話し合い"の場に同席させられた。
養父からの要求を要約すると
▽
・実子では無い子に対する養育費の返還(DNA鑑定書付き)1000万円
・不貞行為に対しての慰謝料(証拠写真付き)300万円
・モラハラ行為に対する慰謝料(音声、動画証拠付き)200万円
・生活費使い込みに対して財産分与無し(クレジットカード履歴等の証拠付き)
請求額合計1500万円。
金銭支払いに関しては、一括払い。
養育費分のみ分割でも認めるとの事。
離婚合意後にはお互いに関与しない、金銭の授受を行わない旨もあった。
連絡事項として、現在住居の賃貸契約は解除済だから速やかに退去する事と、実父側にも慰謝料請求の内容証明郵便を送付している事も告げられた。
母親は、顔を赤くして怒鳴り散らしていた。
が、弁護士から
「かなり悪質なケースで、証拠も十分ですので、勝ち目は無いと思いますが、裁判に移行しますか?」
と言われ、黙った。
聖良は、どうしていいのかも分からず、ただただ俯いていた。
弁護士は、次回は実父も同席の上で話し合いをしましょうと言い残し、帰っていった。
焦った母親は、実父を呼び出した。
――
後日。
隣街のレトロな喫茶店。
現れた実父は、随分と老け込んでいる様に見えた。
すっかりやつれ、皺も増え、白髪も目立つ。
美男と言われた過去が嘘の様だった。
先日冷たくあしらわれた事を恨んでいた聖良は、そんな実父の様子を見て、少し面白く感じた。
母親と実父は切羽詰まった様子で話し合う。
それは徐々に熱を帯び、次第に罵り合いとなっていった。
その間、聖良は、自身の今後を漠然と考えていた。
――
二ヶ月後。
15年慣れ親しんだ地を遠く離れた聖良は、大門聖良となっていた。
母親の実家に預けられた聖良は、受験まで半年を切ったタイミングで志望校の変更となった。
聖良は元々、勉強が好きでも得意でもなかった。
そして、知らない土地の知らない学校だ。
新しい人間関係を構築しながらの受験準備など、普通の受験生であれば、絶望感を覚えるようなところ。
だが、聖良にしてみれば、薄幸の美少女を装えば、学校生活に苦労は感じなかった。
男に取り入り操る術には随分と長けてきていたのだ。
母親はいつの間にか出ていってしまったが、生活に関しては祖父母が面倒を見てくれた。
祖父母は、聖良の境遇を気の毒に思った。
その結果、腫れ物を扱う様に接した。
そんな新たな生活の末、聖良は無難に受かりそうな公立高校を受験し、無事合格した。
――
高校生となった聖良は、学校生活以外にも覚えた事があった。
それは、歳上の裕福な男性をターゲットにし、金銭などを援助してもらう事。
つまり、パパ活だ。
あまり都会とはいえない地方への引越しを余儀なくされた聖良は、その地方の同じ年頃の娘に比べると、格段に垢抜けて見え、美しかった。
その見た目は、両親からの唯一の遺産。
金銭的資産は、まるで残してもらえなかった。
その分、使えるものを存分に振るうのだ。
狙い通り、聖良は同年代の男子に飽き足らず、大人の男すら魅了した。
聖良は、そうして資金を貯めた。
――
聖良18歳。
年金生活が始まっていた祖父母に、大学の学費は払えないと言われた。
高校生活は、本人曰くアルバイトに明け暮れていた聖良である。
それなりの資金はあった。
仕方なく自己資金で大学へ行く事にした。
進学先は、学力のあまり必要でない、なるべく都会の学校を選んだ。
都会に返り咲き、白馬の王子様を見つけるための先行投資。
そんなつもりだった。
受験自体は上手くいき、祖父母宅を後にする事となった。
――
聖良は、都会での大学生生活はさぞかし楽しいだろうと想像していた。
だがそれは、一般的な憧れのキャンパスライフとは、少し違うかも知れない。
男子共にちやほやされつつ、その中でも特に有望そうな、"ハイスペック男子"をキープする。
学外でもパトロンをある程度見つけたい。
減ってしまった資金の補填、生活費も必要だ。
"両親の遺産"をしっかり使って、今後の人生を安泰にしたい。
そんな風に考えていた。
だが、理想通りにはいかなかった。
聖良は、片田舎の地方都市での高校生活で、すっかり自分の容姿に自信を持っていたが、本物の都会では、自分が思い描いていた程にはちやほやされなかったのだ。
人口が多いのだから当然だ。上を見ればキリが無い。
更には、見た目も良ければ性格も良いという、ライバルにもなれない存在すらいる。
あざとさも持ち、媚びもする聖良だが、我儘でキレやすく、凶暴な面を隠す事もあまりない。
当然、女子には好かれる事もない。
男子にしても、最初こそ好印象を持たれたが、次第に引かれる事が増えた。
ハイスペック男子でも捕まえて、一生楽をして暮らしたいと思っていた聖良。
そのハイスペック男子に出会う事は稀にあったが、終ぞ真面に相手にされなかった。
所詮は礼も恩も知らない、地方出身のパパ活女子でしかないのだ。
選ぶ立場ともいえるハイスペック男子が、わざわざ聖良を選ぶ理由がない。
理想通りになどいく筈も無い。
結局聖良は、アルバイトを中心に据える事となっていった。
――
聖良22歳。
大学生活は、それなりに忙しく遊び回っていた聖良だったが、何とか卒業し、更には就職すら成功させた。
それもある意味、聖良の培ってきた人脈を、上手く利用出来た結果といえるだろう。
都会へ来てからお世話になったパパ達のコネクション、その内の一件。
直ぐに潰れたりはしない企業の、一般事務程度には無事収まる事が出来たのだ。
どんな手段だろうが折角の機会。
普通の社会人として、仕事を主軸に生きれば良かったのだが、聖良はそうはしなかった。
――
聖良25歳。
遂に、最後のパパに見限られてしまった。
金ヅルが居なくなり、生活水準は否応無しに落ちる事になる。
そして、社内での評判もあまり良くなく、友人もいない。
会社の重役や役職者達にも、敬遠されているのか上手くとり入れない。
あまり良い状況ではないと、初めて少し自覚をした聖良。
更に折り悪く、社内では同僚や先輩が結婚したという噂がたくさん流れていた。
聖良は、焦りを覚えた。
嫉妬し悲観し、被害者面をし、当たり散らす事も増えた。
その姿は、母親そっくりだった。
どこかに良い出会いはないかと、聖良は躍起になった。
――――――
――――
――
グラスを片手に、手持ち無沙汰。
クルクルと中身を回して、少し虚ろにそれを見ている。
聖良28歳。
呼び出されたのは、小洒落たBAR。
こじんまりした薄暗い店内。
カウンター席の一番奥に陣取り、彼此待つ事30分。
時折カクテルをシェイクしているバーテンダーは、なかなか渋い見た目の、良い男ではある。
が、今日の目当てはそれではない。
待ち合わせだ。
要件も分からず、約束の時間を過ぎても、ただ待っているのだ。
聖良にしてみれば、通常であれば激怒案件である。
「よ!聖良。待ったか?」
軽い口調で聖良の右隣に座った男。
歳の頃は30代中頃だろうか。
如何にも遊んでそうな雰囲気で、容姿はそれなりに整っている。
「も〜。だぁく〜ん♡ 遅い〜♡」
それに対する聖良は、何処から出ているのか謎の猫なで声。既に飲んでいるからか、頬が少し色づいている。
「はは。聖良は相変わらず可愛いな。」
男は、本気さなど皆無であろう軽口を叩きながら、聖良の肩を抱き寄せた。
その左手にはリングが光っている。
「え〜♡ もうっ♡」
しかし、すっかりちやほやされなくなってきていた聖良は、満更でもない。
そんな聖良に、男は続ける。
「今日はさー、そんな素敵な聖良ちゃんに、とーってもいい話を持ってきたんだよなー」
わざとらしいおどけた口調。
こんな場合は、ろくでもない話だと相場は決まっているのだが――
「え? なになに?」
聖良は興味津々の様子だった。
「男紹介してやるよ」
底意地の悪そうな笑顔を浮かべながら、男は敢えて小声で告げた。
「男?」
少し目を大きくした聖良。
その脳裏には、かつてのパトロン達がよぎる。
「そうそう。男。俺の大学時代の同期なんだけど、女っ気無くてさ。そろそろ使い時かなって思ってんだよなー。聖良と協力したら余裕だと思うんだけどなー。」
その男の、挑発気味とも取れる言い回しの台詞は、聖良には深く刺さったようだった。
「え? 使い時とかヤバ。そんな感じなの? 協力って何? すごい気になるんだけど?」
そんな聖良に、してやったりといった満足顔の男は、更に顔を寄せ、耳打ちした。
「よし、じゃあ場所変えようか。」
――――――
――――
――
聖良35歳。
円間善人の妻になって約7年。
遂に計画の最終段階に入っていた。
随分時間をかけてしまったが、それも計画には大事な要素の一つ。
婚姻期間が長い方が、慰謝料相場が高くなるのだ。
聖良に計画を持ち掛けた男は、一足先に円間善人から"開業資金を借りる"との名目で、多額の金を引っ張ると、円間善人の前から消えていた。
だが……
その男は、円間善人と連絡を断ち、少し離れた街に引っ越しただけだった。
そして、今でもひっそりと聖良とは繋がっている。
それも計画の内だった。
男は、万に一つも円間善人と出くわす事態にならない様に、警戒してはいるが……聖良と二人で協力して、より多くの金額を得ようという算段なのだ。
次は聖良の番なのである。
聖良は聖良で、マンションを手に入れ、モラハラ、DV、不貞の証拠の捏造も終えた段階だった。
そしてつい先程、離婚届と示談書を円間善人に突き付けたのだった。
円間善人の安アパートから出ると、今から向かうと男に電話報告をし、最寄り駅へ向かう聖良。
(はぁ〜。長かったな〜。でもやっと苦労が報われるな。頑張ったもん、私。)
駅まで徒歩で30分。
普段の聖良であれば、それだけで苛立ちを覚えるところだが、今はその足取りも軽い。
(それにしても、だぁくんが賢くて良かったなー。
上手に資金を逃がして、自己破産と円満離婚だもんね。
後は私が上手くやって、だぁくんと幸せになるだけよね!)
にまにまとしながら、電子タバコを燻らせていると、掌に振動が伝わった。
聖良は、タバコの吸殻を抜き、指でピンと弾く。
歩道の脇に整えられた街路樹の茂みに消えていく吸殻。
(まぁ……欲を言えば、アイツが死んでくれたら、もっといいんだけどな〜。保険金も入るし。
バツイチよりは未亡人の方が世間的にもウケるしね〜。
とはいっても、アイツまだまだ死にそうにないしな〜。
殺すのはマズイってだぁくんも言うし。仕方ないよね……。
あーあ。デスノートあればなぁ〜。)
車道には車が列を成しているが、歩道は閑散としている。
横断歩道を渡る聖良。
信号待ちの先頭には高級車が並んでいた。
(あーあ。あんな車に乗れてた頃が懐かしいな……。)
若さを武器に出来ていた頃、聖良はそれなりの人物に遊んで貰える程度ではあった。
それを思い出し、なんともいえない気分になる。
駅に着くと、制服の学生が目につく。
だが、帰宅ラッシュには早く、それ程混んでいるわけでもない。
特に並ぶ事もなく改札を抜け、ホームに立つと、程なくして目的の電車がやってくる。
車内も余裕で座れる程だ。
聖良は、先頭車両の運転士が見える位置に座った。
特に意味は無いが、たまたまシートが丸々空いていたからだ。
バーに凭れ掛かり、目を閉じる聖良。
一時間程の、暇な時間だ。仮眠でもするつもりだったのだろう。
目が覚めたら、"だぁくん"との楽しい時間。
そのはずだったのだが――。
ありがとうございました。
ご意見ご感想等頂けますと幸いです。