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健司は彩花の首に強く手をかけ、ゆっくりとその力を強めていたが、突然の彩花の冷笑に違和感と恐怖を覚える。
(たしかに、指先は滑らかな肌に食い込んでいる。彩花の喉元には確実に圧迫感があるはず。呼吸も困難で喉が潰れる寸前のはず。酸素が脳に届かなくなり、彼女はパニックになっているはずなのに)
健司の頭の中に渦巻く妙な違和感。それを振り払い、心を落ち着け計画通りの行動に戻ろうと努める。
(大丈夫だ。計画に狂いはない。この女も今まで同様にすぐに落ちるはず……!)
一瞬狼狽の顔を見せた健司。だが、もう一度腕に力を込め、その顔は再び陶酔したような表情に変わる。それは彩花のこめかみに浮かぶ血管の脈打ちにさえ、魅了されているようだった。目を細め、喉を締め上げる腕に力を込めていく。呼吸困難に陥る彩花の顔を、まるで芸術品でも鑑賞するかのように眺めている。
彩花の視界がぐらりと揺れる。喉に激しい痛みと圧迫感が訪れる。目の前が暗くなりそうになるその瞬間——
バチンッ!!
突如として車内に響き渡る鋭い音。眩い閃光が一瞬、暗闇を切り裂いた。
「ぐあっ!!」
健司の身体が跳ねるように仰け反り、腕がだらりと垂れ下がる。スタンガンの衝撃で全身の神経が痺れ、思うように動けなくなっていた。痙攣しながら、彼は苦悶の声を漏らした。
彩花は、その瞬間の静寂の中、健司を冷ややかに見つめた。その表情には一片の迷いもなかった。彼の虚ろな目を見据えたまま、冷徹にもう一度スイッチを押す。
バチンッ!!
再び閃光とともに健司の身体が痙攣した。口から漏れる呻き声が車内に響く。もはや恋人同士の甘やかな空気は、完全に消え去っていた。
彩花は無言で鞄の中から黒いポーチを取り出した。中には、事前に準備されていた道具たち——口枷、目隠し、結束バンドが収められていた。彼女はスタンガンを左手に握ったまま、右手で彼の両腕を後ろに回し、手早く結束バンドで縛る。
「っ……なん、で……?」
健司の口から掠れた声が漏れる。しかし、彩花は答えない。
目隠しを彼の顔にかけ、次に口枷をしっかりと装着させる。彼女の動作には、一切の迷いも感情もなかった。冷静で、手順を完璧に把握している者の手つきだった。
「あなたの温もり……あれは、ただの演技だったのね」
彩花は小さく微笑みながら、吐息のように言葉を落とした。
「でも、誕生日にこんな“私らしい”贈り物をくれるなんて、なかなか粋な男だったわ。本当にありがとう。だけど——あなたの正体、とうにお見通しよ」
彼の目は見えなくとも、その怯えた身体の震えで直に伝わってくる。彼の身体は冷や汗で濡れ、意識はあるが、もはや抵抗できる力は残されていなかった。
「私もね、ずっとあなたと静かな場所で二人きりになるチャンスを待ってたの」
彩花の声が、低く、甘やかに響いた。
「ここ、ほんと素敵ね。夜景も綺麗で……人もいない。音もない。あなたの“最後の場所”にはぴったり」
助手席に倒れ込む健司の身体を見下ろしながら、彩花は鞄の中から小型の注射器とナイフを取り出した。それは、何年も使い慣れた、彼女にとっての“儀式の道具”だった。
「さあ、始めましょうか。私の誕生日——あなたが演出してくれた、最高の舞台で」
彼女は静かに、注射器の針を確かめる。微かな金属針からの光の反射が、薄暗い車内に冷たく煌めいた。もごもごという抵抗の声を上げるもその声も空しく響き渡り、彼は腕に軽い痛覚を感じる。そして彼の意識が深い眠りへといざなわれていく。
彼女は意識が遠のく健司の耳元でこう囁いた。
「あなたの内臓はきっと誰かの役に立つと思うの。それだけじゃないわ。私の懐も満たしてくれる。嬉しいわ」
外では風が木々を揺らし、遠くでフクロウの鳴く声がした。その自然音さえも、この瞬間を祝福する演出のように思えた。やがて、車内に広がるのは、静寂ともう一つの「贈り物」——それは、完璧な犯罪の痕跡であり、誰にも知られることのない真実だった。
彩花は、ゆっくりと深呼吸をすると、再び口角を上げた。
「ありがとう、忘れられない夜を——」
そして彼女は、何事もなかったかのように、静かに車のエンジンをかけた。いつもの処置室のある場所へ車を走らせる。
鮮やかに煌めく夜景から離れていくように、深く漆黒の山々へ彼女が運転する車は吸い込まれていった。