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最後のプレゼント  作者: 戌山卓
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5月某日。彩花の誕生日の夜。

健司の愛車は、ゆっくりと郊外の峠道を登っていた。夜の冷えた空気が街を包み、遠くに小さく揺れる灯りが点々と連なっている。まるで人工的な星空のように、静かに、そして確かに瞬いていた。


街のざわめきから徐々に距離を置くように、車はひとつ、またひとつとカーブを曲がっていく。ヘッドライトが前方のアスファルトを白く照らし出すその先は、ほとんど誰も通らないような静かな山道だった。


車内には、ジャズが小さく流れていた。

ピアノの旋律に、やわらかく絡むサックスの音色。都会の喧噪を忘れさせるような落ち着いたリズムが、どこか非日常のような空気を作り出していた。

しかしその空気には、ほんのわずかにピンと張り詰めた緊張も混じっていた。


「ちょっと遠いけどさ、夜景がすごく綺麗な場所があるんだ」

健司はハンドルを握ったまま、道路の先を見つめながらぽつりと言った。

「前から、一度彩花と行ってみたいと思ってたんだよね」

助手席の彩花は、少し驚いたように彼の横顔を見て、それから頷いた。

「……うん、ありがとう。嬉しいよ」

声のトーンは明るいが、どこか緊張したような微妙な空気が彼女の顔からも滲んでいた。


それは恋人同士のドライブにおける高揚感とも言えたし、一方で言葉にできない予感のようなものでもあった。


次第に二人の会話は少なくなっていった。

「寒くない?」

「ううん、大丈夫」

そんな短いやり取りを最後に、あとは静かな時間が続いた。会話の代わりに、車内を満たすのは控えめなジャズだけだった。

エアコンの風の音と、タイヤが路面を擦る音。呼吸のリズムが重なるたびに、二人の距離が妙に近く感じられた。


やがて、車は小さな丘の上にたどり着いた。

舗装もされていないその場所は、展望台のように整備されたものではなかった。街灯も柵もない。だが、そこから見える景色は、まるで宝石をちりばめたように美しかった。遥か下には、街の光が無数にまたたき、まるで地上に広がる星空のようだった。

エンジンが止まる。ライトも消え、闇が静かに車内に流れ込んできた。

突然の静寂に、彼女は一瞬だけ身を強張らせたが、彼の動きはどこまでも自然だった。


彼は後部座席に手を伸ばし、小箱を取り出す。

「誕生日、おめでとう」

そう言って差し出されたその包みは、丁寧にリボンがかけられ、金と赤の包装紙でくるまれていた。手のひらにすっぽりと収まるサイズで、ずしりとした重みもある。


彼女は少し驚いた顔をしてから、ゆっくりとその包みを受け取った。

「……ありがとう」

そうつぶやいてから、慎重にリボンを解き、包装紙を丁寧に外していく。

やがて現れたのは、赤と黒のフレームが鮮やかに映える、お洒落なメガネだった。


「えっ……これ……」

彩花の声が、思わず漏れた。

「……すごい。まさに、私が欲しいって思ってたやつ……」

驚きと戸惑いが入り混じったその表情に、彼は優しく微笑んだ。

「君が言ってたじゃないか、前に。赤と黒の、ちょっと派手でお洒落なフレームのメガネが欲しいって」

何気ない口調で、彼はそう言った。

その瞬間、彼女の顔から笑みがすっと消えた。


「え……?」

彼女は眉を寄せ、少し顔を傾けた。

「そんなこと……言ったっけ?」

彼女の脳内に、ぱっと閃くように記憶が蘇る。


──数日前。カフェ。親友の真理との時間。

恋愛の話、職場の愚痴、そして……そう、「欲しいプレゼント」の話。

あのとき、確かに赤と黒のメガネについて話した。

けれどその会話は、彼とはしていない。あの日、彼とは会っていない。そう、確かに、彼はいなかった――はず。


(……いや、いた。後ろの席。新聞を読んでいた男性……)

彼女の背筋に、すうっと冷たいものが走った。


「……もしかして……あのとき、喫茶店にいたの?」

自分でも、なぜそんな質問を口にしたのかわからなかった。

だが言葉は自然と、彼女の口をついて出ていた。

彼は、わずかに笑った。その笑みは優しいとも、誤魔化しているとも取れるものだった。

「……さあ、どうかな?」

彩花の手の中で、メガネのフレームがひんやりと冷たく光っていた。


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