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夜の帳が下り、静寂が街を包み込む頃。健司は部屋の灯りを最小限にして、ノートパソコンの電源を入れる。パソコンの画面からの光だけがぼんやりと彼の顔を照らしていた。カチッというクリック音が、無音の空間に乾いた音を響かせる。
画面には、既にいくつもの検索履歴が並んでいた。
「メガネ 赤黒」
「レディース おしゃれ 伊達メガネ」
「ギフト包装あり」
「小顔 メガネ 似合うフレーム」
「ブランド 女性 誕生日プレゼント」
彼の脳内には、彩花の言葉と顔立ちが鮮明に焼き付いていた。カフェで交わされた何気ない会話の一言一句が、手元の検索と寸分違わず一致するように並んでいく。複数の通販サイトを巡回しながら、レビューのひとつひとつに目を通す。
「写真と違って色が濃すぎた」
「軽くて長時間かけても疲れない」
「プレゼント用に購入しましたが大変喜ばれました」
購入者の年齢層、使われているフレーム素材、サイズ感、実際にかけた際のバランスまでを、彼はまるでデータ処理のように頭に刻んでいった。時おり、パソコンの画面から目を離し、スマートフォンを取り出しては彩花の写真フォルダを開く。
カフェでの自撮り、どこかの風景の中でふと撮られた横顔――そのすべてを拡大し、角度を変え、照明の具合まで計算するようにじっと見つめた。
「この頬のライン……眉と目の間の距離……輪郭の丸み……」
彼の目は血走っていた。集中というよりは、執着にも似た何かがそこに宿っていた。
彼女が一番魅力的に見える瞬間をイメージし、その姿にぴたりと似合うメガネを探し出す作業。
それはただの買い物ではなく、儀式に近い行為だった。
無数の商品写真を何度もスクロールしては戻り、価格とレビューを比較し、ついにはある一本にたどり着く。
それは、フレームの外側が深い赤、内側が艶のある黒で彩られた洒落たデザイン。
彼女が「派手なのがいい」と言った、その言葉がぴたりと当てはまる一本だった。
彼は小さく頷いた。
「……これでいいだろう。いや、これしかない。完璧だ」
そして、次の瞬間には、彼女の反応を脳内でシミュレーションしていた。
彼女は笑顔で箱を開ける。思わず手を口元に当て、「えっ……これ、すごい……!」と驚きの声を上げる。
そしてメガネを手に取り、彼に向かって柔らかく笑いながらこう言うのだ。
「あなたってほんとに……私のことをよく理解してるのね」
その言葉を受けた時こそが、彼にとっては至福の瞬間になるだろう。
その想像に浸りながら、彼はラッピングのサイトを開き、包装紙の柄とリボンの色を吟味しはじめた。
「どうせなら、あいつが“自分で選んだ感”も少し出しておくか……いや、それは不要か。サプライズは、“私のために選ばれた唯一の一点”って思わせなきゃ意味がない」
自問自答しながら、彼は深く座り直し、口元に笑みを浮かべた。
「ふふ……それから、だ。俺がこのプレゼントを渡した“あと”が、本番……」
呟いた声は、静かな部屋の中に沈むように響き、すぐに吸い込まれていった。
「彼女の瞳をまっすぐに見つめながら……声をひそめて、静かに。あぁ、そうだ、静かにだ」
彼は両手を組みながら、何度も頷いた。
数日後、彼の一室にある棚の上には、ラッピング済みの小さな箱が置かれていた。
それはまるで、運命の歯車を回すトリガーのような存在感を放っていた。
中には、彼女の趣味に寸分違わぬよう選び抜かれた――
赤と黒の、完璧なメガネが。