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最後のプレゼント  作者: 戌山卓
2/6

午後、日差しが斜めに差し込む時間帯。カフェのざわめきが次第に静まり、まるで音そのものが空気に吸い込まれていくかのようだった。


コーヒーカップの擦れる音や、遠くの客の笑い声が淡く響く中、彩花と真理は向かい合っていた。二人の前には、飲みかけのカフェラテとケーキが置かれている。


「最近ね、ちょっといろいろあるんだ」と彩花が話し始めた。


今付き合っている男性のこと、現在の職場での給与面での不満、就業環境の不満、直属上司のセクハラすれすれのコミュニケーションに辟易する日々、そして派遣社員という立場へのもどかしさ。


「この前、急に『出社してくれ』って言われたの。コロナがあってから今までテレワークで問題なかったのに。あんな通勤ラッシュに毎日乗れって、もう拷問だよね」


真理は頷きながら笑う。「そりゃないよね、時代逆行しすぎ」

彩花は、ふやけた紙ストローをくるくると回しながら、少し視線を下げた。


「それにさ、昔から時給も安いままだし…。正社員みたいな責任押し付けられるのに、待遇は全然違うんだよ」

「ほんと、それずるいよね。彩花、頑張ってるのにさ」

「うん……まあ、そういう話ばかりしてても仕方ないけどさ」


「だからさ、あんまりにも不満タラタラだからこっそり副業とか始めちゃったのよ」

「え!彩花、副業もしてるの?すご」

「全然大したことないよ。でも副業の方の稼ぎがいいもんだからさ。もうバカバカしくなっちゃう」

「え~、なにそれ。それって夜職とかってこと?気になる~、私にもできるかな?紹介してよ~」

「どうだろ~。うふ、まぁでも短期みたいなもんだし。やっぱり本業の給与が上がってくれれば全部解決なのよね」

「まぁね。本当そう」


しばしの沈黙。だがそれも悪いものではなく、付き合いの長い二人には居心地のいい沈黙だった。

そんな中、彩花がふと思い出したように言った。


「実はね……もうすぐ誕生日なんだ」

真理は驚いたように顔を上げたが、すぐに口元を緩めた。

「うん、知ってるよ。来月でしょ?」

彩花は小さく笑った。「あは、そうそう。でさ、私に彼氏がいることも……わかるよね。さっき話した彼なんだけど?」

「マッチングアプリで出会ったって人でしょ? 結局、もう半年くらい経つんだっけ?」

「うん。優しいし、一緒にいると居心地は悪くないの。でも…」


彩花は少し間を置いて、口を尖らせるように言葉を選んだ。

「なんていうか、すごくいい人なんだけど、決定打がないのよね。“この人!”って踏み切る決め手がなくて。ちょっと、迷ってるというか…保留というか…」

「えー、彩花がそんな優柔不断なの珍しい!」

「でしょ? 私っぽくないよね。自分でも不思議なの。……彼、車が好きでさ。カスタムとか、峠を走るのが趣味らしくて。わたしは運転するっちゃするけど、好きで乗るってタイプじゃないし、その話されても、よくわかんないんだよね」

「それはちょっと温度差あるかもね。でも趣味があるのはいいことじゃん?」

「そうなんだけど、なんだかまだ一線が越えられない感じなの。だから、誕生日にプレゼントをもらうとしても、あまり期待しないようにしてるのよ」

「わかるなーそれ。期待しすぎて、思ってたのと違うのもらっちゃったとき、かえって気まずいし」

彩花は首を傾げながら、指先でグラスの縁をなぞった。

「そう。彼もきっと何か考えてくれてると思うんだけど、私から“これが欲しい”って言ったことなくて。だから困ると思うんだよね、選ぶの」

「で、もし自分でリクエストできるとしたら、何が欲しいの?」

「うーん……そうだなぁ……メガネ、かな」

「え?メガネ?また地味に来たね」

「ふふ、普段使ってるやつしか持ってないから、別の用途のが欲しいんだよね。ちょっとお洒落なやつ。普段の仕事じゃ使わない、遊び用っていうの?気分を変えたいとき用の」

「へー。でもメガネをプレゼントって、地味って思われない?せっかくの誕生日だし」

「だよねー。でも実用性もあるしさ。赤と黒のカラーで、ちょっと派手めで、服に合わせて気分が上がるようなデザインのやつが欲しくて。エルメスかシャネルで見たことあるの。あれすっごく可愛かったな」

「え、それってめっちゃ高いやつじゃん。そっち系の“メガネ”って言ってたのね。てっきりZoffとかJINSとかの手軽に買える方のやつかと思った」

「それもアリだけどね。でもちょっと冒険したいというか……自分に似合うか微妙でも、“これを選んだ私”って自信を持てるような、特別な一本が欲しいの」

「なるほどねー。でもさ、それを彼に伝えると、“プレゼントで普段使わないメガネ?”って困惑されそう」

「確かに。あはは、ちょっと変かもね。でも、そういう自分も受け止めてくれるかどうかって、試す意味もあるのかも」


真理は少しだけ目を細めながらも笑った。その笑顔の裏には、どこか引っかかるような、不安の色がうっすらと滲んでいた。


一方その頃。


店内の奥、壁際のテーブルに座る青年が、カップを持ったまま微動だにせず彼女たちの会話に集中していた。新聞を広げているが、目は活字ではなく、聴覚の奥で情報を整理していた。彼は、自然な呼吸のリズムに合わせてタイミングよく紙面をめくり、周囲からはただの常連客にしか見えないような立ち振る舞いをしていた。


だがその実、彼の神経は張り詰めていた。目の前の情報すべてが、重要な“材料”だったのだ。

(誕生日は近い。プレゼントに期待はしてない様子。希望は赤と黒のメガネ……ブランドもの……価格帯は1万円前後じゃとても……だいぶ予算オーバーだな)


彼は指先をカップの取っ手からそっと手を外した。

(普段使いじゃないメガネ……ってことは、特別な場面で“印象を残したい”時に使うアイテムだ)


彼女の声の抑揚、友達への返事、二人の笑い声の“間”。そこにある微細な揺れを、彼は一つ残らず拾い上げ、頭の中で整理していた。情報は揃ってきている。あとは、決行の日をどう演出するか。

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