音楽後進国の王女様
ルイーズ殿下は王女とは思えないほど、無邪気で可愛い女の子だった。だが、女性特有のませた感じだってある。会っていきなり言われた言葉が、
「リア先生って、アンドレのお嫁さんなんでしょ?
アンドレといて、楽しいの? 」
だ。この言葉が意外にもグサッと心に突き刺さる。
(楽しいも何も、ほとんどお話したことさえありません)
だが、そんなことを言えるはずもなく、
「はい、とても楽しいです」
笑顔で答えていた。
「えっ!? 何が楽しいの? 」
なんて詰め寄られて、何も答えられなかったのは言うまでもない。
宮廷でもアンドレ様の悪評が広がっているのだろうか。私はアンドレ様の妻として、少しでも彼を立てたい。アンドレ様の評価を下げることなんてしたくはない。だが、あまりにもアンドレ様を知らないことに愕然とした。
「アンドレのお嫁さんが来るって聞いて、私怖かったの。
アンドレはお姉様以外の人には、心を開かないから」
(お姉様……? )
なんだかちくりとした。アンドレ様は誰にでも無愛想なのかと思っていたが、心を開いている人がいるなんて知らなかった。そして、その心を開いている相手が、私以外という事実が切ない。
だが、ルイーズ殿下に詳しく聞くような勇気もなく、
「そうでしたか……」
私は笑顔で告げる。
「アンドレ様が慕っておられるかたがいると知り、安心しました」
そう、これでいい。この結婚は政略結婚なのだから。アンドレ様は私が誰と恋に堕ちてもいいと言われた。その代わり、アンドレ様が誰を慕っても問題ないのだ。
「さあ、殿下。レッスンに移りましょう。
殿下は私に、どのようなことを望まれていますか? 」
アンドレ様の話をこれ以上したくなくて、私はルイーズ殿下に告げる。すると、ルイーズ殿下は裏のない笑顔で答えたのだ。
「ピアノを上手に弾きたいんだけど、全然上手くならなくて。
それに、リア先生みたいにたくさんの曲を弾けるようになりたいわ!」
「そうですか」
ルイーズ殿下に笑顔で答える。
「それではまず、殿下の練習されている曲を聴かせてください。
どうすれば上手になれるか、共に考えましょう」
「うん!」
ルイーズ殿下は無邪気な笑顔で返事をして、曲を弾いた。その曲はなかなか工夫が凝らされたものだったが、前世で触れ合ってきた曲たちに勝るものはなかった。おまけに、ピアノを弾くルイーズ殿下の指は、ピンと伸びているのだ。爪だって長い。
(気付いてはいましたが、この世界は音楽後進国のようですね……
私なんかが殿下に指導をするなんて恐れ多いですが、出来る限りのことはしましょう)
私は強く決心して頷いたのだった。
それから……私はありとあらゆる知識を総動員して、ルイーズ殿下の指導をした。指遣いを変えるだけで、手の形を変えるだけで、殿下の演奏は見違えるほどキラキラ輝く。この世界のピアノの音は前世を超えているのだから、弾き方さえ変えれば、前世よりも素敵な演奏が出来るに違いない。
「そう。すごくお上手になられました」
私は笑顔で拍手を送ると、ルイーズ殿下は照れたように頬を染めた。殿下は頬を染めたまま、恥ずかしそうに私に告げる。
「リア先生のピアノのお話、私も聞いているわ。
私、リア先生の弾くような曲を、弾いてみたいの!」
ここで私は閃いた。
(そうか……
私の知っている曲を、楽譜に書き起こせばいいんですね!)
それはとても大変な作業だが、どうせ暇の私だ。少しでもルイーズ殿下のお役に立てるのが嬉しかった。
「それでは、次回までに楽譜を準備して参ります。
次のレッスンまでに、宿題を出してもよろしいでしょうか」
生意気な私の言葉に、可愛いルイーズ殿下はもちろんと頷く。そして私は、ルイーズ殿下の教本の中から、指強化に繋がりそうな曲を数曲抜粋した。
「これらの曲を、繰り返し練習されてください。
ただ練習するだけでなく、今日お伝えした指の形で弾くのです。
ピアノというものは、地道な練習が身を結ぶのです」
「はい、先生!」
先生なんて呼ばれるのは恥ずかしい。だが、こうしてピアノを教えると、生き甲斐を感じた。前世ピアノの先生をしても良かったのかもしれない。
「先生、今日はありがとうございました。
すごく楽しかったです!」
部屋を去る時、ルイーズ殿下が満面の笑みでそう言ってくれたのが嬉しかった。そして、これからも殿下のために頑張ろうと決心した。
レッスンを終え、宮廷の中を歩く。
緊張の糸が溶けてどっと疲れが溢れてきた。だが、ルイーズ殿下の可愛らしさや素直さに癒されたのも事実だ。
(帰ったら、早速楽譜を書かなければなりませんね)
きっと徹夜になるだろう。それでも、今までの暇な生活よりはずっとマシだ。こうして誰かに必要とされることは初めてで、今の私はとても張り切っている。
(ルイーズ殿下、喜んでくれるでしょうか)
そんなことを考えていると、前方、長い廊下の向こうに人影が見えた。グレーの騎士服を着ている二人の男性だ。だが、その左側……背の高いほうの男性を見た時、思わず回れ右をしそうになった。
グレーの騎士服を着た背の高い彼は、遠くからでもよく目立つ、銀色の髪だった。背筋をピシッと伸ばし、堂々としたその佇まいはまさしく、アンドレ様だったのだ。
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