元婚約者からの手紙
部屋の中に沈黙が舞い降りた。居心地の悪い沈黙だ。その沈黙の中、頭の中を様々な思いが駆け巡る。
(パトリック様は、なぜ今頃手紙を送られたのでしょうか……)
アンドレ様に、私は貧乏男爵の令嬢だと知らせるつもりだろうか。いや、私が婚約中のパトリック様に手を出したという濡れ衣を、アンドレ様に暴露したのだろう。そして、そんな話を聞いたアンドレ様は激怒するに違いない。アンドレ様の顔に泥を塗った私は追放されるのだろう。
(……追放!?
私、次はここを追い出されるのですか? )
頭の中に、アンドレ様や館の人々の顔が思い浮かぶ。アンドレ様の妻として相応しくもない私を、優しく迎え入れてくださった人々。そして、少しずつ私を受け入れてくださったアンドレ様……私は、こんな素敵な人たちを裏切ることになってしまうのだ。
パトリック様との一件は、話せば確実に騒ぎになると思っていた。だからこそ黙っていたのだが、まさかこんな形で暴露されるなんて……
震える私は、
「リア」
温かみのある……いや、むしろ私に同情するようなアンドレ様の声で我に返った。そして、思わず顔を上げると、アンドレ様の綺麗な瞳と視線がぶつかる。
アンドレ様は、怒った様子ではなかった。悲しげで、不安げで、だがそれを必死に隠しているようにも見えた。
彼はまっすぐに私を見たまま、そっと手紙を差し出す。
「リョヴァン公爵から、このような手紙が届いたのだが……」
震える手で手紙を受け取り、その白い紙に書かれた達筆な文字を読んだ。
『アンドレ・ルピシエンス将軍
貴方の妻リアは、私の婚約者だ。返していただきたい。
十二月三週目の土曜日に、リアを迎えに行く。
パトリック・リョヴァン』
(……え!? )
予想外の内容に、戸惑いを隠せない。パトリック様は、今さら何を言っておられるのだろう。パトリック様はテレーゼ様と結婚し、私は邪魔者だからと追放されたのではないか。それなのに、私を迎えに来る……? 十二月三週目の土曜日って……明日!?
手紙を持つ私の手は、がたがたと震えていた。せっかく自分の居場所を見つけたのに、私はまたあの嘲笑と軽蔑の世界へ連れ戻されるの!?
「リア」
アンドレ様の声に、ビクッと飛び上がってしまう。これを見たアンドレ様は、どう思われたのだろうか。
……きっと裏切られたと思ったに違いない。
「ご、ごめんなさい……」
謝っても済む問題ではない。だが、謝らずにはいられない。私にはパトリック様という婚約者がいたのも事実で、アンドレ様の顔に泥を塗ったのも事実だから。
それなのに、アンドレ様は私を責める様子もない。ただ、低く静かに聞く。
「……教えてくれるか? 」
「はい……」
私は小さな声で頷いた。アンドレ様は激怒してもいいはずなのに、震える私の手をそっと握ってくれる。その手が温かくて心地よくて、この時間がずっと続けばいいのにと思ってしまった……ーー
「私は、バリル王国の男爵家に生まれました。
男爵家とは名ばかりで、資産もなく日々の暮らしはとても貧しいものでした」
シャンドリー王国の軍事総司令官が、私みたいな貧乏人と結婚した。それだけでも顔に泥を塗られているようなものだろう。アンドレ様の怒りを買うのには十分な事実だ。それなのにアンドレ様は、ただ黙って聞いてくださる。
「私は貧しい家を救うために、リョヴァン公爵と結婚することになりました。これでシャンドリー家も安泰だと思っていたのですが……」
体が震えた。この事実を話すと、アンドレ様が何を思うかは一目瞭然だ。アンドレ様の好意を、仇で返すことになってしまうだろう。
でも……アンドレ様は不器用な方ではあるが、私を温かく迎え入れてくださっている。私はこんなに素敵なアンドレ様に、嘘をつくわけにはいかない。
(……いや、今まで怖くてこの話をすることが出来ず、嘘をついていたも同然です)
だから、アンドレ様がたとえ激怒しようと、話さなくてはいけない気がした。追放されるのも、黙っていた私が悪いのだろう。
力を振り絞って、弱々しい声で告げた。
「リョヴァン公爵には恋人がいました。そして私は、恋人からリョヴァン公爵を奪った罪人として、バリル王国から追放されました……」
部屋に沈黙が訪れる。
きっと、アンドレ様は怒っておられるのだろう。国を追放された罪人が、自分の妻となってしまったことに。
やがて、アンドレ様は静かに言葉を発した。
「それで君が、俺の元へと来たのか」
恐ろしくてアンドレ様を見ることが出来なかった。
私は自分の身の行方を気にしていたが、今になってアンドレ様の心にも傷をつけたことに気付く。アンドレ様は、今の今まで自分の妻が『貧乏人の罪人』とは思っていなかったのだ。だが、押し付けられるようにして結婚した相手が、他国の厄介者だと知ったら……どんな気持ちになるのだろう。
私は追放されて当然の身だ。
やがて静寂の中、アンドレ様は再び言葉を発した。その声は、先ほどよりも少し明るいものだった。
「辛かったんだな。
……それでも君は、俺の元へと来てくれた」
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