少しずつ近付くその距離
そうか。アンドレ様は、愛する彼女に先に逝かれたのだ。だから私なんかには興味がなく、一人で殻に閉じこもっておられたのだ。アンドレ様が塞ぎ込んでおられたのは理由がある。それなのに私は、アンドレ様が冷たいだとか、勝手に決めつけてしまっていた。アンドレ様の気持ちなど知らずに……
だが、こうやって少しずつアンドレ様を知ることが出来て嬉しい。アンドレ様の心が私になくとも……
……って、私は何を考えているのだろう。アンドレ様が私に気持ちがないのと同様に、私だってアンドレ様に気持ちがないと思っていた。それなのに、どうしてこうも胸が痛いのだろう。
「辛かったのですね……」
私の言葉に、アンドレ様は少し驚いた表情をする。
「私は彼女にはなれませんが……アンドレ様の心が、少しでも軽くなられることを祈っています」
アンドレ様はもちろん私に対して好意はないが、こうやって少しずつ心を許してくれている。私はそんなアンドレ様に、寄り添いたいと思った。
きっと、アンドレ様は誰にも辛い気持ちを言えなかったのだろう。一人で抱え込んで、ずっと平気なふりをしていたのだろう。強く見える人だが、心は脆いごく普通の男性なのかもしれない。
アンドレ様は驚いて私を見た後、悲しげな表情で下を向く。その様子を見ると、やはり彼が一人で抱え込んでいたのだと確信する。そして、亡くなってしまった彼女にだけこんな顔をするのだと思い知る。
私なんかが傷を負ったアンドレ様を元気にさせることは出来ないが、少しでもアンドレ様の心の拠り所になることが出来ればと思った。
この日から、アンドレ様は私に笑顔を見せ、心を許してくださるようになった。
◆◆◆◆◆
「殿下、とてもお上手になられました」
私が満面の笑みで拍手を送ると、ルイーズ殿下は太陽のような笑顔で私を見る。
「リア先生に上手と言われても、説得力がないわ。
舞踏会での先生の演奏、とっても素晴らしかったもの」
そう言われるとくすぐったい。そして、ヤケになった私のあの演奏は、想像以上に噂になってしまったらしい。なんと、あの時弾いた『ラ・カンパネラ』まで私の作った曲となってしまったのだ。前世の偉大な作曲家たちに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
「殿下も、こうやって毎日練習されているのですから、必ずもっと上達されます」
ルイーズ殿下の可愛さに癒されながらもそう告げた私に、殿下はまたお願いする。
「先生。エリーゼのためにが弾けるようになったから、次はまた別の曲がしたいわ……」
「承知しました。また、楽譜を準備しておきます。
殿下は今まで通り、教本の次の曲を練習なさってください」
私は頭を下げ、殿下の部屋を出た。そして、殿下のためにもまた頑張ろうと思うのだった。
(また、楽譜を書き起こさなければなりませんね。
……そうですね、トルコ行進曲なんてどうでしょう)
一人でウキウキしながら宮廷の廊下を歩く私。ルイーズ殿下の成長が嬉しく、私の盗作に気付く人もいない。おまけに、アンドレ様だって最近優しい。ここへ来てはじめて、毎日が楽しいことに気付いた。そして、この幸せな日々が続くようにと、胸の奥で祈ってしまうのだった。
トルコ行進曲を口ずさみながら廊下を歩いていると、向こうから歩いてくる二人の人影が見えた。見慣れた騎士服を着ている男性が二人。しかも、あの背の高くてすらっとした男性は、すぐに分かる。
「リア。今日も殿下の指導か? 」
近付くと、目を細めて私に声をかけるアンドレ様。前までは話すことさえ不可能だったのに、こうも普通に話しかけてくださることが信じられない。
「はい!」
笑顔で頷き、付け足した。
「アンドレ様も、お仕事お疲れ様です。
今日も夕食、お待ちしていてもいいですか? 」
すると、アンドレ様は少し頬を緩めて、そっと私の頭を撫でた。
「あぁ、遅くならないうちに帰る」
美男の笑顔は破壊力抜群だ。アンドレ様が冷たいからと悩んでいたが、これはこれで困る。アンドレ様が私に好意がないことは知っているのに、胸が甘い音を立ててしまうからだ。
(アンドレ様に、変な気を起こしてはいけません)
そんなこと分かっているのだが、勘違いをしてしまいそうになる。だって、ここ数日のアンドレ様の変化には驚きを隠せないほどだから。
「もし良かったら、食事の後にピアノを聴かせてくれないか? 」
「……えぇ!? 私なんかでいいのですか!? 」
「いや、俺は君の演奏を聴きたいんだ」
(これじゃ、まるで口説かれているみたいです)
顔が真っ赤になってしまう私を見て、アンドレ様は嬉しそうに微笑む。その笑顔がまた優しげで、さらに赤くなってしまう私がいた。
だが、こんなやり取りを見ていて、黙っていない人がいることを忘れていた。……そう、アンドレ様と共に歩いてきた、もう一人の男性だ。
「えぇぇぇえ!? 」
フレデリク様は素っ頓狂な声を上げ、私とアンドレ様を交互に見るのだ。だから、私の甘い気持ちなんて吹っ飛んでしまった。
フレデリク様はそのまま、アンドレ様に詰め寄る。
「おい、アンドレ!? 何が起こったんだ!? 」
優しい顔だったアンドレ様は、すっかりもとの無表情に戻っており、フレデリク様を見ている。それなのに、このアンドレ様の塩対応にも狼狽えないのがフレデリク様だ。アンドレ様の服をぎゅっと掴みながら、すごいテンションで質問攻めを始める。
「お前、どうしてリアにそんなに心を許している!?
俺にそんなに微笑むことあるか!?
アンドレにもついに春が来たか!? フォーー!!」
最後の声は、訳の分からない雄叫びだった。いずれにせよ、アンドレ様のこの変わり様にはフレデリク様も驚きを隠せないようだ。もちろんアンドレ様が私に恋愛感情を持っているはずはないのだが……それでも、何だか嬉しかった。
「フレデリク。意味が分からない」
アンドレ様はいつものようにフレデリク様をぴしゃりと跳ね除ける。それでもフレデリク様は怯まず、今度は私のほうにずいっと身を乗り出してくるのだった。
「リアのピアノを聴いて、アンドレも惚れ直したんでしょ!?
リア、君は天才だ!今度俺にもピアノを弾いてくれ!! 」
あまりにも距離が近く、思わず身を引いてしまった私。そして、アンドレ様がまるで猫に対してするように、フレデリク様の首根っこを掴んでぐいっと私から引き離してくださる。
「フレデリク。リアが困っている」
アンドレ様はぴしゃりとそう告げて、フレデリク様を引きずって去って行った。私に、
「気をつけて館まで帰るんだ」
なんて言葉まで残してくださって。
私は、アンドレ様と引きずられながら歩いているフレデリク様をずっと見ていた。胸がドキドキとうるさい。どうしてこうも、アンドレ様が気になって止まないのだろう。
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