冷たい旦那様と、チャラい騎士様
(困りました。こんなところでアンドレ様にお会いしてしまうなんて……)
館では、アンドレ様のお出迎えは必ずしていた。もちろん彼は、無視を決め込んでいるのだが。だが、ここで会うのはとても気まずい。というのも、アンドレ様は私がピアノを弾くことに、否定的だからだ。私の演奏を聴いて怒りで震え、演奏途中で退室してしまうのだから。
出来ることなら逃げてしまいたい。だが、今さら逃げると不審に思われるだろう。アンドレ様に近付くにつれ、ドキドキ……と鼓動が速くなる。もちろん甘い鼓動などではない。
コツコツと、二人の足音が聞こえる。アンドレ様は私なんかを見ることはなく、無視を決め込んでいるようだ。だが、このまま無言ですれ違うのも良くない気がして、
「お、お仕事お疲れ様です!! 」
私は大声で告げ、まるで軍隊のように頭を下げていた。
二人の足音が、私の真横で止まった。だが私は、次にどんな罵声が飛んでくるのか、ヒヤヒヤしている。
(きっと、アンドレ様はお怒りでしょう……)
だが、私の耳に聞こえたのは、アンドレ様の無愛想な低い声ではなかった。
「うっわ!超可愛い娘じゃん!」
不機嫌なアンドレ様とは違い、いかにも軽そうな男性の声だったのだ。
思わず顔を上げると、目の前には見知らぬ男性が立っていた。
茶色い髪に、人の良さそうな瞳。口角を思いっきり釣り上げている。一般的にイケメンと呼ばれそうな彼は、笑顔のままぐいぐい私に迫ってきた。
「誰?どうしたの?俺に何か用?」
彼は私の至近距離まで来て、顔をぐっと近付けてくる。そのチャラさに驚きを隠せない。まさか、宮廷の騎士団に、こんなにチャラい男性がいるなんて……
「あの……」
あなたに用はないのです、なんてことは言えるはずもなく、困ってしまう私。そして彼の後ろにいるアンドレ様が、相変わらずいつもの無感情な声で呟いた。
「俺の妻」
どきん、なんて一瞬ときめいてしまった。アンドレ様は私のこと、妻として認識してくれていたのだ。
だが、それ以上考える猶予もなく、
「はぁぁぁぁあ!? 」
男性は悲鳴に違い叫び声を上げる。いちいち繰り出されるその大袈裟なリアクションに、戸惑いを隠せない。
「アンドレ!お前あんなに可愛い女の子と結婚したなんて!!
俺、泣きそう」
この人は距離感がおかしいのだろうか。アンドレ様は明らかに笑っていないのに、次はアンドレ様にぐいぐいと近付く。私はこの人みたいにアンドレ様に近付く勇気はない。
「なんでもっと早く言ってくれなかったんだ……」
彼は膝をついて項垂れた……と思った次の瞬間、また笑顔で立ち上がり、いきなり私の手をぎゅっと握る。
「俺、アンドレの同級生のフレデリク。近衛騎士団長」
私は彼にぎゅっと手に握られながら、唖然としていた。
近衛騎士団長……このチャラ男が、大国シャンドリー王国の近衛騎士団長だなんて。きっとチャラチャラしているが、実力者なのだろう。
そして今の今までピアノのことばかり考えていた私は、彼の名前を聞いて思わず言ってしまった。
「フレデリック・ショパンと同じ名前なんですね!」
そして思わず口を噤んだ。というのも、チャラチャラしていたフレデリク様は、ぽかーんと私を見続けるからだ。
(いけないいけない。異世界の偉人の話を、ここでしてはいけませんでした)
「誰?フレデリク・ショパンって。まさか、初恋の相手!? 」
なぜか興奮し始めるフレデリク様は、私の手を掴んだまま顔を近付けてくる。その向こうで、アンドレ様の刺すような視線を感じる。
(アンドレ様は、きっと私に怒っておられるのですわ。
余計なことを言うなと、無言の圧力を感じます)
私はフレデリク様に手を握られたまま、大きく深呼吸した。そして、出来る限りの笑顔で彼に告げたのだ。
「私に初恋の相手などいません。
申し遅れましたが、私はリアと申します。フレデリク様、よろしくお願いいたします」
まだまだアンドレ様の視線を感じる。だが、どんな顔で睨まれているのかを見るのが怖くて、アンドレ様のほうを見ることが出来ない。
フレデリク様はようやく私の手を離し、ため息をついた。そしてぽつりと呟く。
「アンドレ、いいなぁ。奥さん可愛くて」
フレデリク様のその言葉は素直に嬉しい。貧乏男爵令嬢だった私は、社交の場で可愛いだなんて言われたことがなかったから。上質なドレスを着ているだけで、こうも周りの対応が変わるのだと驚きを隠せない。
だが私は、アンドレ様の言葉によって、現実に突き戻されることになる。
「俺と彼女は、そんな関係ではない。
お前なら分かるだろう、フレデリク」
(ですよね……)
分かっていることだが、目の前で言われるとさすがにへこんでしまう。それでも、フレデリク様に不快な思いをさせてはいけないと、必死で笑顔を取り繕った。
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