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龍の一族  作者: 鱈野 房
解纜の火
3/12

解纜の火・3

 天を撃つ光が音もなく消えていく。


 高祖バロフの龍の腕――エイグナルハルドは、確かにフィロの魔力に反応したはずで、それがもたらす何かを待っていたのだが、結局、バングルが輝いたという以上のことは、なにもなかった。もしかしたら、輝いたように見えたのも、気のせいだったのかもしれない。そう思うくらいには、何もなかった。


 秘宝は所詮、秘宝だったのか。それとも、今世の人に扱えるものではないのだろうか。遠い遠い時代のご先祖様が身につけていたという腕輪は、いまを生きるフィロに対して沈黙を守り続けた。祈りの言葉は聞き入れられず、『秘宝』はその名に被せられた汚名を雪ぐこともできなかった。

 高位魔術師の家系として宮廷で権勢を振るったブロツワフ一族において、高祖バロフの再来と称され、若干、十六歳にして一族の長者として認められる。自らを優秀であると思ったことはなかったが、肉親からの嫉妬を買う程度の才はあった。それゆえにこんな場所まで追い詰められて、しかも、この『ガラクタ』を使いこなすことができなかった。それは自身にむりやり押し付けられた『汚点』の一つだったが、だからこそ、これでようやく、言いたいことを言えるのだと思った。

 その表情から憂いの色が消えることはなかったが、わずかにバングルから手を離したフィロは、そういえばと、今しがた繰り広げられた光景を思い返す。

 吹き出した魔力に煽られ、砂礫に混じって舞い上がる美しい光の舞踏。

 あれは一体なんだったのだろうかと、華奢な首をかしげてみる。

 扱い切れない魔力が体外に漏れ出すのは、フィロにとって当たり前のことだったが、それが光の粒をまき散らしたことなど一度もない。バングルを介した自身の知らない魔力の作用かとも思ったが、そもそも理力として現世に表れた力が魔術的に作用するなどという話は、聞いたことがない。あれはもっと別の、いや、もっと普通のなにかだったはずだ。 


 そう、砂礫と共に、舞い上がったものは、もっと、普通の――。


 そう思いながら、足元に目を凝らすと、砂礫に混じってきらきらとした輝きがあることに気が付いた。海岸に流れ着くお香や宝石があるのは知っている。一瞬、それかと思ったが、価値があるものの流れ着くような場所であれば地元の人間が、この入り江を紹介するわけがない、と思いなおす。他人にあっさり教えるような場所に、貴重なものなどあるはずがない。

 たしか、聞いたことがある。

 北の海では、季節神の来訪を知らせる冬の先触れがあるのだと。

 これがそうであるのかもしれないと、スカートの裾が濡れるのもかまわずにしゃがみ込むと、フィロは押し寄せる波の端を両手で掬い上げた。海の水が真白い指の間から零れ落ちてなくなると、そこに残ったのは、爪の先ほどのサイズの小さな氷の塊だった。

 透き通る玻璃の玉にも見えるそれは、しかしフィロの掌の上で転がると、まるで人肌にその身を埋めるようにして、あっという間に、融けて消えてしまった。

 訪れた冬の使者が、いまだそれには早かったのかもしれないと、いずこかへと去っていった。

 何もなくなった掌を見つめ、なぜかそう感じてしまったフィロは、波間に目を戻しては、無意識に手を伸ばす。冷たい海が、すぼめた掌に溜まり、指の隙間から流れ出していく。そうしてまたいくつかの氷の塊が少女の掌に止まって、それもまた融けてなくなった。

 繰り返すたび、徐々に冷たくなっていく指先が、変わりゆく季節に触れている。彼らは去っていったのではない。この海の中に溶けていき、この深秋の入り江を、少しずつ冬へと進めていくのだろう。

 何の思慮もなく、漠然とそう考えた後、フィロは濡れた指先をかるく唇にあて、恐る恐る舐めてみた。なぜそうしたかは、自分でもわからなかった。冬が来ることを知るすべが、肌の上だけではないことを確かめたかったのかもしれない。

 だが、するどい苦みが舌の上を走ると、ついで、びりびりとした痺れが舌先に残るのを感じると、自分の浅慮を少しだけ後悔した。


 海というのは、苦いものだったか――。


「姫様、はしたない真似はおやめください」


 突如かけられた声に驚いて振り返ると、背の高い切れ長の目をした女が入り江の奥からやってくるところだった。黒のドレスにフィロと同じケープをまとい、燃えるような濃い赤色の髪を潮風に揺らしながらやってくる。それはまるで、今日という日に名残を惜しむ太陽のかけらが彼女に縋りついているようだった。

 あばたの目立つ顔にあきれの表情を隠さない侍女をみて、まるでちょっとしたいたずらを見つかった子供のように、フィロがほほ笑んだ。


「あら、グズムンディーナ。家督はアラワルドに譲ったのよ。私はもう、姫でもなんでもないわ」

「だからといって、貴族女性としての振る舞いを忘れて良いという言い訳にはなりませんよ、姫様」

 

 わざととぼけた言葉を返した主人に、侍女のグズムンディーナ・ファージンゲールが、そのあばた顔からあきれの表情を消しつつ、真剣な顔を作りながら釘をさす。


 「それに、家督を御譲りになられたことと、人前で指を舐めることには何の関係もございません。そのようなお姿をアインバール様が見たら、いったいどれだけお嘆きになることか」 

「……そのお父様なら、もう船の上よ。ふふっ。私を心から愛しているというそぶりをしておきながら、海の向こうに行くことを選んで夕陽に消えた……。薄情にもほどがあったわね」

「まぁ」と、グズムンディーナがわざとらしく驚きの声をあげた。「さすがは、姫様。愛娘と共に散るといって聞かなかった下戸で薄情な御父上様を、お酒で無理やり眠らせ船の一室に監禁なさるという非情な行いをなさったお方。人間の芯まで外道のホルル様と比べると、鬼としか言えないその所業に、このグズムンディーナも、おもわず心奮えます」


 そう言いながら、グズムンディーナは破顔する。

 本当であれば、秘宝の首尾はどうだったかと尋ねたいはずなのに、しかしそんなことはおくびにも出さず、冗談めかした話をしてくれた侍女の心遣いが、フィロには有難かった。

 一方でグズムンディーナは、入り江に足を踏み入れた瞬間、魔術具としての秘宝の気配を感じなかった時点で、それに対する関心は失せていた。幼いころから、主と定めた人物にのみすべてを尽くす、それだけを叩きこまれるようにして生きてきた彼女にとって、使用者の役に立つ気もない道具など、何の価値もない。フィロが道具を使えないことが問題なのではない。《《フィロに使われる気のない道具》》に、存在価値などあるわけがないのだ。そういう意味で、グズムンディーナにとって秘宝はもはや、ただのゴミだった。ブロツワフの歴史の内でも、最も麗しく最も強大であると彼女が認識する姫君の危機に際して、それを救うことさえできないくだらない腕輪――こんなものを残した先人たちの使()()()()を心底呪いながら、フィロの傍に立つと、主の装いに乱れや痛みがないかを頭の先から足元まで、素早く、丁寧に確認していく。

 闇夜を流したような絹の髪、蒼紫の瞳を宿し、その頬にわずかにも健康的な薄紅のを差した尊顔は、このうら寂しい入り江に咲く竜胆の花そのものであった。麗しくも美しい主が纏っていたのは、自身が調達した乳白色のケープレットと、ブロツワフ第三礼装と言われる宗家伝来の野戦用のドレスジャケットだった。その前身ごろには、縫い付けられた左右合わせて十二本の組紐(ブレード)の装飾が覗いている。水晶炭で作られた三つのボタンもふくめて、いずれも乱れはなかったが、左手の袖をみると、ブラウスのカフスボタンが外れ、バングルが露になっていた。


「姫様、バングルをお預かりいたしましょうか?」


 当たり前のことを当たり前に訊いたという体でかかった声に、フィロがわずかに首を振る。

 使わないものを身に着けていてもしょうがないとは思うが、主人には主人の考えがある。それ以上のことは、侍女であるグズムンディーナにはどうしようもなかった。

 それならばと切り替えて、フィロの方から自然に差し出されていたその左手を取り、海水に濡れたその手を拭うと、ボタンを留めた。次いで、腰元の銀鎖のガードルから、オーバースカートの前面に取られたドレープとその襞に咲いたリンドウの刺繍、そして背面のコンパクトな腰当て(バッスル)がトレーンに向かって作る稜線を、幅広のプリーツがなだらかに降るところまで、よどみなく視線を走らせる。バングル以外、概ね問題はない。だがそこで、スカートの裾のフリルの装飾が濡れているのが目に入り、グズムンディーナは内心で顔をしかめた。

 フィロの身に着けているのは、戦闘用、とくに魔術を駆使した闘いへ参加することを目的に、魔術的防護の限りを尽くして仕立てられたというブロツワフ宗家に伝わるドレスだった。本来なら、使えもしない魔術具よりも、こちらのほうを秘宝と呼ぶべきではないのか。そう思うほどに貴重で、そして高機能の仕立になっている。そのドレスの裾が、海水に塗れ、そこだけが呪われたように黒く変色している。実際のところ、足元から『呪い』が侵入することを防ぐ目的で装飾されたフリルは、いまはただ海の水に濡れているだけだったが、フィロとブロツワフに仕えることを至上とするこの侍女にとっては、この海自体が『呪い』のようなものだった。ここは己の主から大切な家族を奪い去った不幸の立ち込める領域であり、主の体の健康を害する毒液の満ちる退廃の池だ。その泡沫のざわめきは、悪魔のうめき声のように響いてやまず、スカートと足元のブーツを濡らす白波は、生者を地獄に引きずり込もうと縋りつく亡者の手房に違いなかった。

 グズムンディーナはあらためて主人である少女の冷たい手を握りしめ、その海から距離をとらせるべく導いていく。いつまでもこの波打ち際に、主を晒してはいられない。この侍女にとって、それは、あまりにも許し難いことだった。

 海だけではない。愚かな一族の裏切り者も、使えない秘宝も、己自身も――すべてが許し難かった。いまだ年少といってよい主の周りには、もうすでに『敵』と『役立たず』しかいない。その役立たずと罵る存在には、このような状況にまで主を追い込んでしまった無能な郎党である自分たち自身も含まれている。なぜもっとうまくやれなかったのか。なぜもっと力を尽くさなかったのか。フィロの父親であるアインバールに嘆かれ、叱責されなければならないのは、誰あろう自分自身ではないか――。ここ数か月の逃避行の結果として、口さがない者たちからは『炎の魔女』とあだ名されるようになったグズムンディーナは、平静を装った胸の内に、自分自身をも焼きつくさんとするほどに、激しい怒りを燃え上がらせていた。

 フィロが「おくびにもださない」と思っていたものとグズムンディーナのひた隠す感情はややすれ違っていたが、それ故に、主従がお互いを想い合う気持ちに齟齬はなかった。

 フィロは、グズムンディーナがここまで付いてきてくれたこと、この地に残り、全ての後始末の介添えをしてくれることがうれしかった。それは今姿の見えない者たちに対しても同様だが、物心ついた頃からの侍女であるグズムンディーナに対しては、とくにその想いが強い。

 頭二つ分ほど背が高く、その分だけ体格もよい彼女の手は、いつのまにか冷え切っていたフィロの体とは正反対の温もりに溢れている。そこにあるのは、家族とともにあるような安心感だった。主従という関係ではあるが、フィロにとってグズムンディーナは、確かにそういう存在だった。

 しかし一方で、そのぬくもりを感じれば感じるほど、自ら手放したモノ、別れざるを得なかった者たちがいたはずの場所に、ぽっかりと大穴が空いてしまったことも、理解しなければならなかった。その空いた穴のぬかるみに心はとらわれ、砂礫の浜を踏みしめる足は、夕焼けの向こうの海に惹かれた後ろ髪の分だけ重くなる。


「お父様は、赦してくれるかしら――」


 引きずられる己の心の在りかを確かめるようにして、ぽつりとつぶやかれたフィロの言葉は、意図せずに、赤毛の侍女の胸を揺らした。それでも動揺したことなど《《おくびにもださず》》、グズムンディーナは、ほんのわずかの間を置いてから、少しだけ首をかしげてみせた。


「それは、指をお舐りなったことでしょうか? それはむ――」

「そうじゃなくて! 私とお兄様のこと、よ!」


 からかわれたことに少しむっとした主の可愛らしい様子に、グズムンディーナが少しだけ笑いながら、フィロの手をなおもやさしく握りしめると、「赦してはいただけないでしょう」と静かに言った。それを聞いたフィロの指先が、少しだけ強張る。冬の風と、海の水に濡れたから、というだけではない冷たさが、爪の先にまで走っていくのを感じる。 


「ですが――」と、凍り付いたようにたたずむ主の傍らで、赤毛の侍女は言葉を継いでいく。「一族のため、宗家のため、いまだ赤子のアラワルド様のため、そしてなにより、お父上アインバール様が今まで注いでくれた愛情に報いるためになされた姫様の御決断を――そこにある姫様からの愛を、アインバール様がご理解してくださらないはずはありません」


 そういうと、グズムンディーナは手を離し、ついでその両の手を胸に当てながら、フィロの前に跪いた。

 

「お兄君であるホルル様のことについては、ご心配なきよう。このグズムンディーナ・ファージンゲール、わが命に代えましても、あの奸賊め、必ずや殺してごらんにいれましょう」

 

 長身の赤毛の侍女は、膝をつくと、はた目からは思いもよらぬほどに小さくなる。主を見上げる切れ長の目が見ひらかれ、その赤い瞳がフィロに向けられた。


「この魂、消え果るその時まで、御身のために。我らが龍の姫君」


 それは、もっと幼かったころに、この姉のような侍女から聞いた言葉。その頃は、龍の姫君などと呼ばれる立場にはなかったが、それはフィロにとって大切な言葉、大切な想いの一つだった。


「ありがとう、グズムンディーナ。私は、あなたの愛に感謝します」

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