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龍の一族  作者: 鱈野 房
解纜の火
2/12

解纜の火・2

 私たちは、明日に向かって、逃げ落ちて行くだけだ――。

 

 遠く夕陽に溶け込むようにして消えていく船影を、追いながら負けてはいないと、自分自身に言い聞かせる。 

 ブロツワフの敵となった人々に、彼女たちを許す気のある者はほとんどいなかった。最も軽い処罰を主張する者たちは、ブロツワフ家のやりようにも一理はあったと考えて「法による裁きが必要だ。それによれば、族滅程度が相当である」と言っていたし、一方で、隆盛を誇ったブロツワフ家によって排斥され、辛酸をなめていた者たちは、ブロツワフ家とその縁者には「族滅が相当である」として、それを成就するために、不可解なほどの政治的情熱を傾けた。

 何が彼らをそうさせるのか。誰が彼らをそうさせたのか。 

 そうして、ブロツワフ一族のほぼすべての皆殺し――たった一人を除いて、そのほか全ての人間を族滅するという判決が、正当な手続きを経た裁判によって下された。

 その判決にいくつかの瑕疵があるとすれば、ただの一度の裁判で告発から判決までが行われたことと、当の一族の誰一人として被告人として裁判に出席することを許されなかったという部分だけである。

 海の向こうに逃げなければ、生まれたばかりの赤ん坊から、もう体の効かない老人たちまで、一族郎党の皆殺しはまぬがれなかった。ブロツワフを追う者は、だれも「追放」などという生ぬるいことは考えてくれなかったのだ。


 しかしだからこそ、私たちは負けていない――。


 勝つことはできなかったにせよ。他の誰からみても敗北としか見えなかったとしても。こののちに続いていく歴史の中で、そう記されていくのであろうことがわかっていたとしても。

 ブロツワフは、そのほとんどが族滅をまぬがれて大海に漕ぎ出でた。たとえ海の藻屑と消えようとも、それはブロツワフの一族が選んだ道の果てだったというだけのこと。

 それに、視方を変えれば、それは悪いこととも言えなかった。

 ブロツワフは、長い間、このトートルプスの王国において、様々な責任を背負って生きてきた。宮廷における専横が理由で、その重荷を誰かが背負ってくれるというのなら、それを誰かに任せてしまい、新しい何かを見つけに行くのもいいだろう。

 降ろしていいのだと言われた重荷の幾つかは、すでにフィロの背に乗せられていた物もあった。誰にも言っていないことだが、族滅という裁定が知らされて、それが何を示しているのかに気がついた同時に、フィロは、ブロツワフの子女であるがゆえに、逃れられぬはずだった運命からの解放を知った。それだけで、何かを成し遂げたという気にさえなってしまったことで、自分で思っていたよりも、きつく縛られていた運命の重さに驚いたほどだ。

 もたらされる死という結果ともに得た『自由の喪失』は、彼女の人生においては、まさにすべての束縛からの解放に他ならなかった。

 あとは、することをして、全てを終わらせる。

 消えはてた船の残影に向かってフィロは一つ頷くと、自らの左の手首に向かって視線を落とす。ケープの内側から手を伸ばすと、紺色をした野戦用のジャケットの袖口がわずかにズレて、薄い金属でできたバングルが顔をのぞかせた。

 一瞬、夕陽を受けてバングルがきらめくと、白銀色の光が、フィロの瞳を撃った。

 なめらかな光沢に濡れるような艶を帯びた魔法の腕輪のその輝きに、フィロは心の中で首をかしげながら、ブラウスの袖口を止めていたボタンをはずした。そして、バングルの一部をかざすようにして太陽の光を浴びせてみる。

 夕陽を受けているのだから、いかにも黄金色で光りそうなものだが、わずかに見えるその表面にすら、びっしりと複雑な文様が刻まれた先祖伝来のそれは、金やオレンジといった色には一切の忖度を見せないままに、『白銀』に輝いているようにしか見えなかった。


 やっぱり、これは壊れているわけではない――。

 

 このバングルは魔術具の一種であるはずで、一族の内では、『秘宝』とされるものの一つだった。このほかにも全部で五つの『秘宝』があり、なんと恐ろしいことに、いまはすべてフィロが所有している。

 というよりも、それしかもっていない。一族の所有していた数多の魔術具の多くはすでに奪われ、個人で持っていた物も、海へ逃がした者たちに持って行かせた。

 手元に残したのは、使い方すらわからない、このガラクタだけなのだ。

 残念なことに、ブロツワフ一族が経てきた長い年月のうちに、このバングルを始めとした『秘宝』の扱い方は、その名称以外を順調に失伝していた。どうやって使えばいいのかを、長老と言われるような老人たちも知らなかったし、ましてやフィロも知らない。

 長者となった時にでもこっそり教えてもらえるのかなと思っていたのだが、実際には「本当に使い方がわからないのだ」ということをあらため教えてもらっただけだった。このバングルのことを伝える文献はおろか、言い伝えすらもがなく、何のために存在するのかすら、まったくわからない装飾品――それが、このバングル『エイグナルハルド』だった。

 わからないなら、わかるように研究をするべきだったのだと、いまなら思うが、ブロツワフ一族には他にも、血族であれば誰でも使えて、しかも他の魔術師連中が使うものと比べて、異常とも言えるほどに強力な魔術具が大量にあったので、なにもムキになって一つや二つや五つの秘宝の研究などしなくても良いと、誰もが思っていた。

 一族の内で秘宝に関する議論の経緯は、少ないながらも明確に残されている。誰かは秘宝というものは、魔力黎明期の魔術具でそもそも機能などない試作品なのだといい、誰かはこれが使用に特別な資格のいる魔術具だと主張した。少数の者によって似たような少数の可能性が提示されたが、どれもこれも、この秘宝どう使うのかという根本を解決できず、それはやがて、「誰も使えない」の意味の変遷をもたらしていった。 

 これら使えない魔術具をわざわざ残した先祖への畏敬も込めながら、今では、秘宝というものは、単純に「故障した魔術具」という解釈に落ち着いていた。どこかが損傷して、なにかの機能が失われてしまったがゆえに、正常に起動することができなくなっている。

 誰もがそうでないかと疑っていたところに、誰かが一度でも、『壊れているのだ』と口にしてしまえば、その結論を受け入れるのは簡単だった。そうして、秘宝という存在は、姿と中身を変えずに、その評価だけが『歴史ある魔術具だったもの』に置き変えられてしまった。

 それが誇りの故か、傲りのためか。どちらであるかはわからないが、いずれにしろこのバングルは、いまでは単純に、魔術具の機能を失った『装飾品』としての価値しか認められていなかった。高位魔術師の血系であるブロツワフ一族にとって、魔術具ではない装飾品というものはつまり、ゴミやガラクタ同義のものだった。

 もう一度、確かめるように手首を夕日に向かって掲げると、その輝きを確かめるようにして、くるくると掌を返してみる。バングルの端に陽の光を受けながら、そこに何らかの異常がないかを確認する。以前にも確かめたことがあるが、フィロの目には、この腕輪に刻まれた紋様に、欠落や損傷があるようには見えなかった。もっとも、こういう魔術回路は繊細だから、眼に見えないほどの傷でも問題になることがあるのはわかっている。何が正常なのか、すらもわからない。問題なさそうに見えるというだけなら、歴代の長者たちも同じだったはずだ。 

 何かのきっかけが必要なだけのだ。それがどのようなものかは、やっぱりわからないが。

 本来であれば、このガラクタ扱いされる秘宝以外の魔術具も、フィロには使えたはずだった。しかし王都でブロツワフに対する粛清が始まった時、宗家が所有していた強力な魔術具の大半は、なにものかによってそのほとんど全てが持ち出されていた。いつもなら、重厚な魔術具の気配に息が詰まりそうな宝物庫アーマリーへ駆け付けたフィロが見たものは、あらゆる魔術具を持ち去られたがらんどうの棚の列と、そして、部屋の片隅にあった作業机に丁寧に並べられた『秘宝』たちの姿だった。

 フィロを含めたその場に居合わせた全員が、これみよがしに置かれたその秘宝から滲みだす無言のメッセージを読み取って、何が起きたのかをすぐに理解した。そこから生まれたのは、怒りや混乱ではなく、その犯人に対する大きなあきれと、深いため息だけだった。

 その時まで、あの人の生きる意味が、憎しみだけになっていることを、私たちは気が付いていなかった。気が付いた時には、全てが取り返しのつかないことになっていた。


 だからせめて、もうこれ以上の失意に、みなが染まらぬように――。


 フィロは、胸元に引き寄せた左手の『エイグナルハルド』に、そっと触れる。その指先に、秘宝の持つ存在感をずっしりと感じながら、そこに刻まれた紋様をわずかになぞると、確かにこれが、壊れているものなどではないという実感がある。それ故にに、ためらうような視線を波打ち際に落としてから、瞼を閉じると、その向こう側で白く砕ける波のささやきにうながされるようにして、祈りの言葉を紡ぎ始めた。


「いと高き天より降りし原初の御神――ワルゴ・トートルプスに寄り添いて、空を支えし三つ嶺の、東手(さき)から西落(おつ)に日向う風に、(うず)みて高きバルダルの、その頂にある御一人、我らが高祖、龍のバロフ・バロツワフよ――」


 海風が、強く吹いた。


「日並べて風み、地に白霜置きたる冬されば、その厳しさに惑い憂うばかりの、我ら龍の子らの愚を、お赦しください。また天白雲あましらくもの行方を知らず、その寧らかなるを求めぬばかりか、己が身の(さだめ)を忘れ、恨みの炉を切り薪をくべ、野を荒らす者を赦したまえ」


 口の端から零れ落ちた言葉たちが、風に乗って夕暮れの世界に滲みだしていく。精神の軛を離れた思惟の欠片が、この小さな入り江に漂うのを感じながら、フィロは己の身の内にある魔力をゆっくりと循環させはじめた。命の営みとは別の大いなる力が少女の体全体――頭の天辺から、足の先までに渦巻いていく。


「すでに御身の元へと渡った者たちに、安らぎを。大地を離れ、苦難の海にその身を投げた者たちに、御身の慈悲を。この白磁の世にて結ばれし一族の約定による咎はただ、我が身に」


 体内で練り上げていく魔力が、膨れ上がっていく。それに合わせるかのようにして、ゆっくりと開いていく瞼の向こうには、蒼紫の瞳が滾る魔力に揺らめいていた。体中をめぐる魔力は、嵐となって駆け巡り、意図せず放出された魔力が、フィロのスカートの裾を乱暴にはためかせ、ブーツで踏みしめる足元の砂礫を舞い上げた。その中に混じっていた氷の粒が魔力の渦にぶつかっては、光の粒子となってはじけ飛ぶ。精神世界の力である魔力が、触媒を用いずに、純粋な理力となって現世に作用する。


「我が高祖バロフよ。天宮の意志から遠く離れようとも、天を仰ぎ、その御名に依りて、お願い申し上げます」


 呟きと共に、フィロの目が、すでに空の大半をうめつくしていた夜をみた。それとともに、バングルに向かって魔力を叩きつけるように放出した。


「苦難の航海、その途上にある一族の者たちに、深き慈悲と赦しと、今一度、御身の加護を与えたまえ――」


 飽和した魔力があふれ出し、それらが爆発的な奔流となって、天を突いた。


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