8
王は何も言わない。
「言語もそうです。大抵は補正がかかり即時対話が可能ですが、どなたか調整したんでしょうか。少なくともこの国には召喚ができる魔術師がいて、言語の調整もできるということですよね? 偶発的に呼ばれたとは考えられませんし」
「私が聖女と呼ばれているくらいだもの、そういう人がいたって……。だいいち異世界ってそういうものでしょ」
「いいえ。いない場合もありますよ。異世界は無数に存在しますから。呪いの件はさておいて、異世界から人間を召喚し、言語の調整を図る魔術師はある程度有能でなければなりません。呪いも解ける可能性もあると思いますけど? その方に王様は依頼されましたか?」
周囲がざわざわとしだす。
「ちょっと……やめてよ。突然やってきて水を差すとか、あんたたち何考えてるのよ」
「我々はあなたの救出のために来たんです」
ショートヘアの女性が言った。
「よく考えてみて。矛盾だらけでしょう?」
「だから! それが鬱陶しいっていうの! 私は助けてなんて言った⁉ 一度も言ってないし、願ってもいないわよね! どうして突然やってきて、変な空気にするのよ!」
「変な空気にするというのは、まあよく言われますね」
白髪の多い男性が苦笑した。
「じゃあ、わかるでしょ? 私は帰りたいなんて一ミリも思ってない! 確かに魔王討伐は怖いわよ。だけど彼と結婚するためにはこうするしかないんだから、仕方ないでしょう!」
「これはあくまでも仮定の話ですが」
「仮定の話なんて聞きたくないわ!」
お団子頭の若い女にきつく言い放った。
「では幾つかの事例を出します。過去に異世界へ拉致された女性の三割が、王族や貴族の美形男性に求婚され、魔王ないし魔族、モンスターの討伐に出されています」
「……は……?」
ひく、と頬が痙攣した。視界の隅に、ブロンドの髪が見える。
「討伐による帰還率はゼロ。成功例は0件です。つまりここから導き出される答えは、女性は皆、討伐へ行くという名目で生贄にされています。結婚に目が眩んだ女性たちが自ら生贄になりに行くんですね。――わかります?」
「な、……なに、それ……な……、……」
動揺に声が震えてしまった。
「ぃ、生贄なんて……」
物語の世界の話ではないのか……? 人を生贄にするなんて、そんなことあるはずがない。きっと何かの間違いだ。
「異世界に飛ばされてきて、ちやほやされるのはままあることです。結婚詐欺しかり、ジゴロしかり。でも甘い言葉には必ず裏があるんですよ。それは異世界でも日本でも同じこと」
若い女が口端に憐れみを浮かべた。小顔の、甘ったるいアイドル顔が余計にムカついた。
「国中の者たちが私の登場を喜んでくれたわ! それが盛大な詐欺だっていうの⁉」
「あなたが生贄にされることで国の平穏が保たれるのであれば、それはそれは盛大に喜ぶでしょうね」
ショートヘアの女が言った。
その涼やかな目には憐れみさえなく、冷淡な輝きが見据えている。
頭が混乱していた。美しき王は何も言ってくれない。自分は五百年に一度の聖女だ。貴重な存在ならば救いの手を差し伸べてくれても良いだろうに。
「……五百年って、どれくらいの期間なの……?」
王の背中に尋ねた。
しかし王は何も言わなかった。それが絶望を胸に植え付けて、その場にへたり込む。
「……私……」
騙されていたのだろうか。
震えながら口を押さえると、涙が溢れてきた。
やっぱり夢だったのだ。こんな「特別」がそう簡単に手に入るわけがないのだ。
「――君たちは誤解している。確かに強引なやり方でレイカをこの世界へ連れてきたのは認めよう。無礼な行いだった。だが、彼女を傷つけるようなことは言わないでくれ。いずれは私の伴侶になる者だ」
「説得力はないけど、女性を守ろうっていう気持ちは評価するよ」
白髪の多い男性が言った。
「だが、伴侶にするなら、余計に魔王討伐なんぞへ行かせるな。国の災いは自国民で解決しろ。どうせ優秀な魔術師様が、どこかに隠れているんだろ? もしくは手厚く保護か? どっちだっていい。人前で女性に結婚をちらつかせて、ひでぇ条件なんぞ突きつけるな。顔が良いだけのクソが」
「黒川さん……」
若い女が感動したように声を洩らした。
気が付けば、黒川と呼ばれた彼を見ていた。すると彼もこちらを見て、すっと手を差し伸べる。
「さあ、日本へ帰ろう。ここはあんたのいる世界じゃない。異世界ってのはな。所詮異なる世界なんだよ。俺たちがいる世界じゃない。だから、俺たちと帰ろう」
(ああ…)と胸が震えて、すっと手を伸ばした。
帰ろう。帰ったほうがいい。生贄なんて嫌だ。
彼の、ささくれのある手を見つめて、ふと動きを止めた。
――もし、あの世界へ帰ったら。
ふいに思った。
あの世界に帰ったら、また就職活動をして、クソみたいな会社で働くことになるのだ。
誰かの紹介か、居酒屋でナンパされて、運良く結婚できたとして、若い王様のような美貌ではないだろう。確実に。
一生安月給で、作りたくもない自分の手料理を食べ続けて、カロリーを気にしながら日々蓄積されていく贅肉と、加算されていく老化現象に脅えながら毎日を生きていくことになるのだ。
ああ、くだらない。
ああ、つまらない。
ああ……そんな生活に戻ったところで一体何が愉しいのだろうか。
私の人生など、平々凡々だ。セピア色をした、出がらしたお茶っ葉以上に味気ないものだ。
――そう思ったら、若き美貌の王の腕を掴んでいた。
「私、帰らない」
きっぱりと言った。
「我々は事実を言っていますよ?」
ショートヘアの女が目を細める。
「わかってるわよ。だけど帰らない。だって現実に戻って何があるのよ。だったら魔王を討伐してやるわ。罠でも嘘でも、してやるんだから」
「正気ですか? 言っておきますが、これ最後のチャンスですよ? あとは地獄ですよ? 私なら考えられません」
若い女がかぶりを振った。
「あなたはさぞかし充実した人生を送っているんでしょうね……」
若い女の小馬鹿にするような言い方に、イライラして拳を握り締めた。
「だけど私は何もないの! 浮気彼氏とも別れたし、会社も辞めてきた! 親とも疎遠だし、たまに会ってもケンカばっかり。親友なんて呼べる人もいない。あの世界にいて、楽しみなんてコンビニ菓子と焼き鳥くらいなものよ! だから帰らない。私はここに残ります!」
ホールに響き渡るほどの大声で言ってやると、すっと胸が軽くなった。
やけくそと言われればその通りだ。けれど、この胸が空く思いを味わえただけでも意味がある。
三人は顔を見合わせた。そしてお団子頭の女がタブレットを確かめて、一つ頷いた。
「タイムリミットです。我々は帰還します」
ショートヘアの女が淡々と言った。まるで白けたように。ざまあ、と言いたくなる気分だ。
「とても残念ですが、もう二度と会うことはないでしょう。どうかご無事で」
「言われなくたって」
吐き捨てると、三人の躰がまた白色に飲み込まれた。
あまりの輝きに、皆が顔を背けていた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
愉しんでいただけたり、続きが気になっていただけましたら、ブックマーク、高評価頂けると励みになります!