1 彼女は怒り、辟易していた。
異世界へ飛ばされた日本人を(平和的に)奪還するべく、作られた組織「異世界課」の日常の物語です。
愛も希望もスローライフもなにもない、公務員たちの地味な日常です。
アルファポリスにも掲載しています
どうぞよろしくお願いします。
彼氏とは自分から終わりにした。
二度も浮気されたのだ、言い訳を聞くことも関係を修復することにも疲れた。
最悪だった仕事も今日で終わり。
殺意しか湧かない上司の顔も見納めだ。
送別会なんてこっちからお断りだ。貰った花束は会社から出てすぐのコンビニのゴミ箱に突っ込んできた。その脚でコンビニへ入り、カロリー表を見ては諦め続けていたスナックを片っ端から籠に入れて現金で払った。ポイントなんてクソ食らえだ。
ビニール袋をガッサガサ言わせながら帰宅ラッシュの波に紛れて電車に乗り込む。
乗り換え四回。通勤一時間と三十分。往復で三時間のロスだ。自分の人生が日々三時間、クソ会社のために削られていると思ったら、退社の清々しさよりも怒りが勝ってきたが考えるのはやめよう。
会社を辞めてまで自分にストレスをかけるなんて、こんな不毛な話はない。
自分を最も愛せるのは自分だ。誰かの愛は貴重だが、カロリーコントロールできた自分も、カロリーなんて知るかとぶち切れた自分も、何もかも愛して許してやれるのは結局自分だ。メイクがうまくできた自分も、失敗した自分も、ノーメイクな自分もすべて。
電車に乗り込み一度目の乗り換え。構内に響く行き詰まるような靴音に辟易しながら二つ目の電車に乗り込む。
会社から離れていくこの快感は疲労を上回る。
とりあえず失業手当が出ているうちは次の仕事なんて考えたくない。いや、本音を言えば、一年は何もしたくない。いいや、二年は就労のことなんて忘れたいし、今すぐ石油王かIT長者に一目惚れされたい。
遊んで暮らしたいわけじゃないけれど、自分の人生がクソみたいな会社や上司や同僚に穢されて、安月給から税金を搾取されてストレスばかり過分に与えられる生活が嫌なだけだ。
だからといって死にたいわけじゃない。
来世はどうとか言うけれど、あれも嫌いだ。
今世はまだ続いている。この先もイライラしながら生きていかなくてはいけないのに、来世? まだ人間やりたいの? 正気?
もし生まれ変わるという選択肢があるのなら、自分は絶対に生まれ変わることを放棄する。
このしんどい生活は今世かぎりだ。だからこそ、苛立ちに満ちた暮らしは少しでも減らしたい。
三回目の乗り換え。都心から離れ、田舎の空気が少し漂う。
十代に持っていた都会への憧れは今、一欠片も残っていない。
ウィンドウショッピングするくらいなら、テレビを見ながらネットでぽちるし、美味しい物が食べたいならデリバリーがある。デリバリーがないほどの田舎は嫌だけど、都会過ぎて一日中煩いのも嫌だ。だから、ほどほどがいい。ほどほどってのは、適度に快適ってことだと大人になって気が付いた。
四度目の乗り換えを終えて一駅。漸く地元駅に出ると、一気に開放感が押し寄せた。
「あー…もう無理」
仕事したくない。ご飯作りたくない。洗濯したくないし、掃除したくない。
美味しいものが食べたい。お菓子を食べながらごろごろしたい。何もしたくない。何もしたくない。
今、すべての幸せはコンビニのビニール袋の中に詰まっている。買い物袋は通勤バッグに入っているが、そんなもの出す気力がなかった。数円の買い物袋を買う贅沢だって滅多にしていなかったことだ。少額でも得られるこの贅沢感は大きい。
駅前のスーパーで発泡酒を数本買い込むと、焼き鳥屋の香りに誘われて持ち帰りを見繕った。
焼きたてのそれを店でと思ったが、今はパンプスを脱ぎ捨てて、纏わり付いて離れないこのストッキングを脱いでしまいたいのだ。そのためなら焼き鳥が多少冷たくなったって構わない。
さあ、これからは自分だけの時間だ。
カロリーなど気にせずドカ食いして、発泡酒でおなかがぱんぱんになるまでぐうたらして、配信サイトでなかなか見られなかったドラマや映画を飽きるほど観まくるのだ。
一時だけでも苛立ちに満ちた人生を忘れてしまおう。そう考えるだけでも胸が躍り、駅前の大通りの真ん中で足を止めてしまった。
突然立ち止まったことで、学生が邪魔そうな顔をして避けていく。
あんたは知らないでしょ、このすべてのしがらみから逃れられた開放感。
これは大人しか知らない禁断の味なのよ。
浮気野郎に三行半を突きつけて、退職届を出した者しか味わえない特別な味よ。
くくっ、と喉の奥で笑ったそのとき―――。
ほどほどの田舎町の夜景が、突如目の前が真っ白に塗り潰された。
――あの瞬間、車が歩道へ乗り込んできたヘッドライトの明かりだと思った。
(え?)と思うよりも先に白い光は全身を飲み込み、いつの間にか消えていた。
そして次に目にしたのは、小高い丘から見下ろす広大な森と、遙かと奥に見える白亜の城と、城を囲うように広がる城下町。
こんな環境映像を見たことがあるな……と、ぼんやり思いその場に座り込むと、花のような甘い香りのする風が優しく撫でていく。
もしかすると突っ込んできた車に衝突して死んだのだろうか。とするなら、ここは死後の世界だろうか?
ストレスしか生まないしがらみを断ち切った途端に死ぬなんて、それはないだろうに。これは流石に予定外だったな。と、ストッキングを脱ぐこともできなかった悲しみに暮れながら膝を抱えると、遠くから何かが近づいてくる音がする。馬の蹄のような音だ。
一体今度は何だ。
音のするほうをしょんぼりして見ると、角が三つもある山羊のような羊のような、もじゃもじゃとした白い生物が近づいてきた。その背にはダースベイダーのような形の兜を被った男性が乗っている。
こちらと目が合うと、男はもじゃもじゃから下り駆け寄ってきた。
本来なら逃げるべきか対応に悩むところだが、帰宅の電車中ずっと立ったままだったし、目の前に広がる癒やし系の景色でリラックスしてしまったせいか、一度座り込んでしまったら動けないでいた。
「お探ししましたぞ」
兜の男は目の前で急に片膝を突き、言った。
「は?」
「お探ししましたぞ、聖女様。――さあ、王の待つ城へお連れいたします」
「……は?」
言葉は通じるようだが、言っている意味がわからない。小首を傾げた目の前で、兜の男は事情を察したように苦笑いした。
「あなた様はこの世界を救う聖女様。世界に選ばれたお方なのです。――さあ、王の前へ。王と我が国の民があなた様の登場を今や遅しと待っております」
「へ…? わ、私を……? ってことは……ここ……良く聞く、異世界ってやつ……?」
石油王かIT長者に拾われたいと願ったが、まさか異世界に飛ばされるとは。
しかも聖女様⁉
何が何だかわからずに戸惑う一方で、胸が酷く高鳴っていることに気が付いていた。
*
都心から電車で一時間半。
×××駅近くの大通りは帰宅時間にも拘わらず隔離閉鎖され、数十名の警官と数名の捜査員が集まっていた。
「それで、ビカーッとすっごい光に包まれたと思ったら、目の前から女性が消えていたと」
「はい。OLさんかな。女の人が急に立ち止まったんでぶつかりそうになって。あぶないなーって振り返ったら、突然ビカーッと目の前が真っ白になって、気が付いたら女の人がいなくなってました」
「なるほど」
歩道に散乱したコンビニ菓子と焼き鳥と発泡酒を点々と確かめながら、パンツスーツの女性が事情聴取の大学生の青年にスマフォを向け、録音している。
「ちなみに浮遊感とか、声が聞こえたとか、そういった違和感はあった?」
「いえ、特に。とにかく眩しかったってことだけで」
「そう。ありがとう。もし、何か思い出すことがあったら、ここに連絡してね」
大学生に名刺を渡し、女性捜査官は録音をストップした。名刺を受け取った大学生は軽く一礼して、バリケードテープをくぐり出て行った。
しげしげと見つめる名刺には「生活安全部 異世界課」とある。
「……異世界課って、本当にあるんだ」
時折都市伝説のようにネットで話題になっている組織だが、実際目にするとごく普通の私服警官という感じだった。とはいえ、私服警官自体を見たことがないのだが。
貴重な経験をしたな、と大学生は明日の飲み会の話題ができたことにほくほくして、遅刻確定のバイト先へと向かった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
以前別名義でアップしていた作品ですが、このたび2025年のイベント参加目標を掲げて改めて連載を開始しました。
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