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晴山

 まったく、どうしたものか。


 山辺彦はついに刃の欠け出した剣を鞘に納めた。


 戦が収まって三月がとうに過ぎたというのに、これではちっとも里へ戻れぬではないか。


 ことの初めはこうだ。


 晴山王との戦が終わったあとで、山辺彦とごく数人の衛士たちは人探しに出かけた。傷ついて動けなくなったものを助けてやるという目的もあったし、せめて髪なり骨なり、櫛の一本でも、里へ返してやるという目的もある。


 少年たちに剣術を教えるとき、必ず野辺で死んだときのことを話しておく。たとえば、首や腕の飾りのことを。戦に出て命を落としたときに備えて、身につける飾りは各々で工夫し、それを周りにも見せておくよう教えるのだ。


 師の語り口があまりに朗らかで、戦と飾りものという不釣り合いなものの話題が面白く、少年たちは大抵笑いながら話を聞くが、戦に駆り出されたとき初めて師の教えの意味が分かって口を噤む。


 体がどんなに損なわれても、それで間違いなく身元が分かるのだった。


 山辺彦も自分の師からそう教わった。その師もあるとき、鏡のついた首飾りになって戻ってきた。


 「山辺彦さま」


 山辺彦の背を守っていた衛士が呼んだ。少し離れた草地を指している。平野だというのに背の高い草が多く、見通しが悪かった。


 「またか」


 山辺彦はうんざりとした面持ちで首を回した。


 初めは、死者の身につけていた飾りを狙った盗人かと疑った。だが、違う。


 敵は集団で、周到に草地に溶け込む緑の衣を着てくる。鏡の光で合図を取り合っているらしく、音も立てずに近づいてくるのだ。


 相当な手練れの刺客だった。この三月で、山辺彦に従ってきたものは半分より少なくなった。


 「ほれ」


 山辺彦は近くの衛士に自分の首飾りを投げ渡した。渡された衛士はきょとんとして師の顔を見つめた。双葉と同じくらいの、若い顔だった。


 「何でしょう? 」

 「分からんか。――よいか、死んだものの体からそういうものを外すのはなかなかに勇気がいる」

 「はあ」

 「だから、先に外してやったのだ」


 衛士はようやく飾りを渡されたわけを察して、そのまま倒れそうなほど青ざめた。このタケオという若者は衛士になってからもおっとりした気性が抜けず、少しだけ鈍いのが悪目なのだ、と山辺彦は苦笑した。


 タケオより少し歳の長けた兄弟子が声をかけた。


 「何を青くなっている、しっかりしろ。それを持って伊織へ帰り、我らが戻るのを待っておればよいではないか」

 「いや、そなたも行け。十八から下のものは戻るのじゃ」

 「えっ」


 兄弟子は、たちまちタケオと同じ顔になった。


 「それは、無駄な死に方をするなということでしょうか」

 「そうだ。だが、おまえたちが非力だからではないぞ」


 衛士たちが何か言う前に、山辺彦は若者たちの恐れていることを打ち消した。


 「本当なら、もっと人が残っているうちにそうしておくべきであった。行く側にも、残る側にも、すまぬことをした」


 無二の師と仰ぐ山辺彦に頭を下げられて、衛士たちは黙り込んだ。目の端で、きらりきらりと光がちらつく。緑衣たちの鏡である。こちらをじっと窺っているであろう連中に向かって、山辺彦は呼びかけた。


 「少し伺いたいのだが」


 草地がわずかにざわついた。こちらから声をかけたのは初めてだった。


 ややあって、鏡の光が特に光っていた辺りに、男がひとり立ち上がった。


 顔は別に似ていないが、似た人物を探すとすればオタカかな、と山辺彦は考えた。今は刺客と標的という間柄だが、卑劣な手を使うような男ではなかろうと思えた。


 男は山辺彦を見つめ、おうと答えた。太い声だった。山辺彦は尋ねた。


 「お主らは何者だ? 伊織のものではなかろう」


 男は黙って聞いていたが、口を開いた。おうと言ったからには、答えるつもりらしい。


 「我々は伊織のさる男子の縁者である。居は持たぬ。山々を巡るのが常じゃ」

 「ほう。そういえば、お主らのようにいつの間にか人のそばへ寄る術を心得ているらしき男子がいるが、もしやそれかな」


 ウカミのことである。どこからか流れてきたことは確かだが、いつから里にいるのか思い出せないのだ。


 「見たところ、そなたほど勇猛な男とも思えないのだが」

 「そうだな。気持ちのよい男ではあるまい」


 縁者と名乗るその男が苦い顔をして呟いたとき、山辺彦は自分と彼とが同じ人間を思い浮かべていることを確信した。ウカミをあのガマ爺、と呼ぶとき、心ある衛士はそんな顔をする。


 「我らの縁者は、一族から追われたものなのだ。我ら一族に伝わる術は、私欲のために用いてはならぬという決めごとを破ったのだ、あのものは」

 「我らを襲わせたのはそやつか? 」


 山辺彦はざくりと切り込んだ。男は初めて下を向いた。


 「そうだ」

 「なぜそなたほどのものがそれに従う。我らの行いが、人の道に背いているとでも思ったのか? 」


 男はこれまでで一番強いまなざしを山辺彦に向けた。


 「我らには里はない。だが、民はいるのだ。守らねばならぬ民が」

 「何で雇われた? 米か、布か、それとも命か」

 「すべてだ。あなたに恨みはないが――」


 男は手首の布をかすかに動かした。剣子が仕込んであるやも、と山辺彦はそちらをひそかに確かめた。


 「しくじれば民を失うのだ」

 「狙いはわたしひとりか」

 「そうだ」

 「わたしが同じだけの報酬を出し、民人を助けると言ったらどうする」

 「あなたの弟子を何人も殺したろう」


 男はタケオたちの方を見て呟いた。タケオは見られただけで震え上がった。


 「今さらともに戦えぬ」

 「そうか」


 やはりこいつはオタカだ、と山辺彦は思った。


 双葉ならば「では頼む」と頷き、高嶋ならば「考えさせてくれ」と一度身を引く。

 大水葵ならば「頼む」と頷いたあとは相手を疑わない。そこが、あの兄弟の一番の違いだ。双葉は、なかなか相手を見る目を緩めない。


 大水葵には、幼いころからその甘さでも生きてゆけるだろうと山辺彦が思うくらいに腕の伸びしろがあり、現に並ぶもののいないほどの剣士になった。だから姪を任せた。


 わたしに案ずることは何もない、と山辺彦はひとりごちた。


 「狙いはわたしにあると言ったな」

 「言った」

 「では、お主とわたしと、一対一で勝負をつけぬか。お互い、自分がいなくなったあとのことまで考えねばのう」


 伊織の衛士たちも、緑衣の民たちも、これには黙っておれなかった。双方から声が上がった。我々もともに、というものから何をうまいことを、というものまで、様々だった。


 しかし最後には、緑衣の頭がまたおう、と答えた。


 「それで構わぬ」

 「うむ」


 山辺彦は衛士たちみなを下がらせて言った。


 「次の衛士頭は、ヤスオに任せるつもりじゃ、よいな。……何にせよ、彼らを助けてやれ。伊織の衛士として、剣を持つとも心あるものであれ」


 緑衣の民たちはこれを聞いて押し黙った。頭はみなを下がらせ、山辺彦たちに叩頭した。


 「かたじけない」

 「最後にひとつよいか」

 「うむ」

 「お主の名を聞きたい」

 「おれの名か……」


 男は髭面を撫でた。照れているのだろうかと、山辺彦は思った。


 「おれはヒノクマという」

 「そうか、勇ましいな。伊織の山辺彦がお相手申す」

 「いざ」


 ヒノクマはしなやかな男だった。


 大柄で無骨なようだが驚くほど身が軽く、山辺彦の繰り出す切っ先をことごとく避けた。使う武器も変わっている。ヒノクマは剣子よりも小さく、よく磨かれた刃をいくつも体に隠していて、思いもよらない位置から投げてくるのだった。


 「これは敵わぬ」


 山辺彦は急に眉間を狙って放たれた刃を危なく剣で弾いた。双方の若者たちがおお、と声を上げた。若者よりも歳の長けたものたちはさすがに落ち着いて成り行きを見守っていたが、このときは若者たちの影から身を乗り出した。


 「楽しそうだな」


 ヒノクマがじりじりと間を取りながら言った。もう一剣、投げてくる。これも山辺彦が落としたが、ここしばらく手入れをしていなかった剣はこの一撃でついに折れた。


 山辺彦は剣を捨てた。


 「お主もな」

 「組もう」

 「おう」


 逞しく陽に焼けた腕に組みつきながら、確かに山辺彦は楽しかった。この男になら首を取られてもいいと思う一方で、いつまでも互いの手の内を探りながら組み合っていたくもあった。ヒノクマも同じではないかと思えた。ふたりの男は間違いなく、互いを気に入りはじめていた。


 しかし、じきに勝利は一方に傾きはじめた。


 「それ」

 「おう」


 ヒノクマのかけた足に山辺彦の足がもつれ、ふたりは草地を転がった。ヒノクマは人間の抑え込み方もよく心得ていた。


 「参ったのう」


 倒れてみて初めて、手足の疲れを自覚した。


 「お主の勝ちじゃ」

 「むう」


 ヒノクマは肩で息をしながら、次の一手を出しかねているようだった。構えた刃で山辺彦の首を取ることなど、考えにないような――。


 「待てえっ」


 草地の一同は呆気にとられた。


 丈高い草を割るように現れた白い影が、ヒノクマめがけて飛びかかったのだ。タケオがぎょっとして叫んだ。


 「双葉じゃないか! 」


 双葉は咄嗟に山辺彦の上から飛びのいたヒノクマの脇に降り立ち、伊織の衛士たちを睨んだ。


 「あんたたち、何を突っ立っているんですか」

 「そういう約束だからじゃ」


 ヒノクマが言った。突然の乱入者に驚きながらも、ヒノクマの顔つきは明らかに和らいでいた。


双葉は山辺彦を助け起こしながらヒノクマと、ヒノクマの後ろで自分を見ている緑衣の民を睨み回した。


 「おれは伊織の衛士の双葉だ。兄上たちを追っていくつもりだったけど、道に迷ってよかったと思ったことなんて、あんたたちにあるかい、ええ? 」

 「抑えろ、双葉。ヒノクマ殿はなかなかの武人であられる」


 山辺彦は獣を宥めるような手つきで双葉の怒気を削いだ。衛士たちもヒノクマの民たちも、もはや敵意を向け合うような雰囲気ではなくなり、話の行方を見守っている。


 「よく来てくれた。なぜヒノクマ殿たちが刺客に出されたか、そなた何か知らぬか。大武棘さまに疎まれるようなことをした覚えはないのだがのう」

 「兄上と義姉上が伊織を出たからでしょう。叔父上が手引きしたかも知れないと思われたんじゃないかな」


 双葉が何でもないことのように言った。山辺彦はその間、何を言われているのだかさっぱり分からなかった。


 「……なぜそんなことになったのだ? 」


 こう尋ねるのがせいぜいだった。つい先ほど、何も案ずることはないと思ったばかりだというのに!


 「なぜなんでしょうね、本当に」


 双葉はいらいらと言った。男王と女王の仲が思わしくなかったことは、山辺彦もよく知っている。双葉はあかるこが東の山の祟りを祓ったときに人死にが出たこと、その潔斎のために宮に籠っている間にナギと会い、逢瀬の嫌疑をかけられたこと、真偽が明らかになるより早く宮に火が放たれ、逃げるよりなかったことなど、知っている限りのことを話した。


 衛士たちが話を聞くうちに青ざめ、ざわざわと言葉を交わした。巫女宮を焼き討ちにする! 里を離れている間に、一体何があってそんなおぞましいことになったのだ!


 「大水葵が夜這いを仕掛けるとは……本当かのう」


 山辺彦は里を留守にしていたことを悔いた。真偽が分からないだけに人が動揺し、堂々とそんなはずはないとふたりを庇える人間がいなかったに違いない。初音辺りはかばうどころか、真っ先に不実を責める側にまわるだろう。長いこと閉じたところに生きているもの独特の頭の固さが、初音にはあった。


 双葉が言った。


 「ウカミが焚きつけたんです。あいつ口がうまくて、みんなに嫌われてるくせに、みんなに話を信じ込ませちまったんです」

 「それは確かなのか? 」


 双葉の鼻息がまた荒くなりだしたので、山辺彦は努めて穏やかに話を進めようとした。


 「いくらウカミが知恵のある男だとて……」

 「小さな火種から人を陥れる術というのがある」


 脇からヒノクマが言った。


 「本当は、敵を惑わすために用いるのだが。……おれたちの縁者は、それが飛び抜けてうまかった」

 「あんたは下手そうですね」


 双葉はしゃあしゃあと言った。ヒノクマはほう、と顎を撫で、ほほえみらしいものを口元に浮かべた。


 「それは、おれがおまえを見て面白そうなわっぱだと思うのと、同じようなものだろうか? 」


 双葉は肩をすくめた。


 「そんなことばかりやっているやつが、頭目に選ばれたりするもんか」


 ははは、と哄笑の声が響いた。平野全体を揺るがすかのような大声だった。


 ヒノクマが笑ったのではなかった。肩に鹿の毛皮を巻きつけた男が、向こうからのしのし歩いてくる。皮の履きものから毛脛が剥き出しだ。一蹴りで猪も倒しそうな脚だった。


 「面白そうな話をしているな。混ぜてくれないか」

 「客の多い日だのう」


 山辺彦は呟き、何となくでき上がっていた車座をふたり分空けた。男はにこにこと礼を言い、あっけらかんとそこへ収まった。毛皮と見えた肩のものは、射られた鹿そのものだった。


 「山辺彦さまのお知り合いですか? 」


 タケオがおずおずと聞いた。里の衛士頭が何のためらいもなく座へ加えた男の正体を知らぬものたちが、タケオに倣って山辺彦を見た。ヒノクマだけはにやにや笑っている。これは容易ならぬ男が来た、と面白がっているらしい。


 山辺彦は自分に向いた目があまりに多いので、拍子抜けしたようにみなを見返した。


 「知り合いも何も、三月前まで戦をしておった相手じゃ」

 「おいおい」


 男はどさりと鹿を下ろし、愉快そうに言った。


 「わたしはおまえたちの顔を覚えているぞ。頼むぞ、せっかくあんな重たい兜を頭に乗せて前にいたのだから。顔ぐらい覚えてくれよ」

 「晴山王? 」


 双葉がぽかんとした口ぶりで言い当てた。晴山は何度も頷いた。


 「そう、そうだよ。ふうん、おまえはなかなか鋭いことを言うが、わたしが現れたぐらいで驚くあたりまだまだ若いな。戦には出たか? 」

 「今度のには出なかった。その前のは、後ろの方で見ていた」


 双葉は王とも思えない風体の男が言葉に品を欠かないことや、実は上等な布地の衣を着ているのに気がついて悔しそうな顔をした。


 「前に一度見たときやけにぴかぴかしたやつだと思った。そんなのが狩人に化けてきたんじゃ分からないや」

 「化けたのではないのだ。たまたま狩りをしに来ていたら、おまえたちの話が聞こえてきたのだ」


 晴山は目の前の男が王だと知れても敬うようすを見せない双葉を不思議そうに見つめ、笑って見守っている山辺彦へ尋ねた。


 「この童は肝が太いのか? 礼を知らんのか? 機嫌が悪いのか? 」

 「礼は知っている」


 山辺彦はすかさず義理の甥を庇いにかかった。


 「晴山さまが大武棘さまよりご立派なので、むくれておるのじゃ」

 「まあ、わたしなら里を守る巫女は大切にしようと心がけるがな」


 晴山は気づかいのある声をかけた。双葉はついと顔を背けた。


 「伊織のことは、おまえたちの話を聞くまでもない。ほら、わたしの里と伊織と、それからもうひとつ山を越えた先の里のものが集まる市があるだろう。商いをやるものの口は、どうしてああも早いのか……」

 「王が市に行かれるのですか」


 タケオが尋ねた。根が呑気な若者なので、その少しの鈍さがときに豪胆な気性となってふいに現れる。


 晴山はぞんざいな双葉にも丁寧なタケオにも変わらずに気さくだった。


 「おまえが今尋ねたとおりだ。な、王が市へ紛れているとは、誰も思わんだろう。案外気づかれぬものだ。だがあまり宮を空けると、うるさく言うのがいてな」

 「義姉上みたいだ」


 双葉が呟いた声は、山辺彦にしか聞こえなかった。


 晴山はふと険しい顔をした。


 「伊織のものはなかなかよい布を織るから、あちこち見て回っていたのだ。大武棘が何か企んでも、物売りの口から漏れてくるものだからな。そうしたら、伊織の巫女の宮が焼き討ちにあって、巫女が連れ出されたとか言われているではないか」

 「連れ出さなきゃ殺されちまってた。衛士が間に合ったって、あのウカミに何をされたか分からない」


 人聞きの悪いことを言うなと言いたげな目で、双葉が晴山を見た。ヒノクマがぼそりと言った。


 「ウカミめは、まさか巫女が里の外へ逃げ出すとは思っていなかったのだろうな。噂で里人の信を落とし、その隙に男王の下へ従えてしまおうという心づもりだったのだろう。その、巫女の夫になった衛士が宮に訪れなくとも、我々は巫女を襲い、肌を暴くようにと言われていたのだ。里人の目につくくらいに派手に衣を乱せとな。……それはあまりの仕打ちと、迷っている間に祟り騒ぎや逢引き騒ぎがあり、里人が宮に火をつけたのだ。……結局巫女の行方は分からなくなってしまった。それであやつは焦っているのだ」

 「何を焦ることがある」


 晴山がとぼけた。ヒノクマはじろりと晴山を見上げた。


 「あなたも分かっているのだろう。逃げ出した巫女というのは、あの山崩れを夢で悟った娘じゃ。おまけに、そばに衛士の兄弟がふたりくっついている。たまたま狩りに来たなどと言って、本当は彼らを探しに来たのであろう。ウカミは巫女に力があるのを知っておるから、外に逃げられた以上は他の里に入られるのを一番に恐れているはずじゃ。恐らく、焼き討ちまでは思っていたとおりだったのだろうが、そのあとで事情が変わったのだ。大武棘の方は、恐ろしいものが里の中にいなくなってよかったと思っているかもしれんな。まるで分かっておらぬ」

 「うむ、そうなのだ。まいったな」


 晴山は悪びれもせずに頬を掻き、双葉に問うた。


 「双葉、おまえはさっきから巫女を連れ出した本人のような語り口だが、とすると、衛士兄弟の一方なのかな? 」

 「……弟だ」

 「兄上と巫女殿はどうした? ――いや、義姉上というべきか」


 山辺彦が口を挟んだ。


 「そなた、肩を切っておるな。途中で襲われたか」


 衣の上から傷を見破られて、双葉は咄嗟に肩を押さえた。


 「ふたりとは、北の山の岩屋で別れました。しばらくしたら小棘王子が来て、人をやるから少し休めと言われて。兄上たち、王子に逃がしてもらったんだと思います。三日くらい匿ってもらって、山を出てもう二日になります。兄上たちを追おうと思ったんだけど、結局迷っちまった」

 「どこへ行ったかは分からぬか」


 双葉は首を振った。


 「分かりません――ただ、川を辿っていくとは言ってましたが」


 ヒノクマが双葉に声をかけた。


 「おまえの兄は強い。夜半、北の山へ忍んで宮を窺っていたら、気づかれてしまったことがあった。月の細い晩で――引き上げて、それでもしばらく見ていたら、巫女媛が表へ出てこられてな」


 双葉が目を剥いた。


 「じゃあ、あんたがウカミを呼んだのか? あの晩衛士はみんな宮に呼ばれて、曲者だって言われて兄上を追っかけたんだぞ」


 兄と義姉の潔白を晴らせなかった双葉の怒りは治まらなかった。


 「あんたたち、あのふたりを売ってまで何が欲しかったんだよ! 」

 「おまえの言うとおりだ」


 山辺彦が間に入ろうとするのを、ヒノクマ自身が止めた。目を細めている。暗いものに手を染めずに生きていられる双葉の若さが、眩しかったのかもしれない。


 「言い訳はしない。我々には我々の事情があるが、分かってもらおうとは思わぬ。だが、ウカミを呼んだのは我々のいずれでもない。これは本当じゃ。はなから、あやつめは宮で待ち構えていたのだ――毎晩、毎晩、じっと巫女媛に変わったことがあるかどうかを見ていたのだよ。いざとなったら、我らを曲者として突き出すつもりであったろうさ」


 ヒノクマの声は高まっていったが、だんだんと勢いがなくなっていった。車座の目が、すべてヒノクマに集中していた。


 「おれが言いたいのは、おまえの兄は強いから大丈夫だろうということじゃ」


 ヒノクマは顔を背けた。


 「――あまりおれを見るな。おれは人目から忍ぶのが仕事じゃ」

 「話はまとまったかな? 」


 晴山がみなの顔を見回した。


 「さて、ではみな里へ帰ろうではないか」


 晴山はさっさと立ち上がり、どこからか弓矢を拾ってきた。持っていたら入れてもらえないかと思って隠しておいた、などと平気で言う。


 双葉は山辺彦に叩頭した。


 「叔父上、おれ兄上たちを探しにいきます。里には戻れないし、いつ追いつけるか分からないけど」

 「いや、それがのう」


 山辺彦は頬を掻いた。


 「わしも伊織には戻れぬのじゃ。どうにもよんどころないわけがあってな」

 「すまん」


 ヒノクマが頭を垂れると、緑衣の民たちがそれに倣った。


 誰も自分についてくるものがいないと知って、晴山が振り向いた。


 「なんだ、行かぬのか? 出てくるときに、宴の用意を頼んであるのだ、ちょうどいい。早く来い」

 「なに? 」

 「だから、早く来いと言っているのだ、双葉。里へ戻らぬものは、わたしの里へくるがいい」


 この申し出は、みなの度肝を抜いた。豪胆な王とは聞いていたが、よもやここまでとは!


 タケオが呟いた。


 「こんなひとと戦をしていたのか……」

 「伊織の衛士の力は、あなたもご承知であろう」


 山辺彦は丁重な口ぶりで先方の真意を測りにかかった。


 「戦では役に立たぬ。里へ迎えても大きな得はないと思うのじゃが」

 「いや、それは違うぞ」


 晴山は上目遣いに山辺彦を見た。


 「弱いのではなく、王が戦下手なのだ。大武棘が一番後ろで指揮をしていて、その周りに腕の立つものを集めすぎてはおらんか? 攻め入るのはさほど難しくもないのだが、王まで行き着けたことがない。巫女王の衛士殿もそこにいたかもしれぬな。兄者は強いのだろう? 」


 「ああ、強いさ。でも、あのひとはもう戦になんか行かないんだ」


 双葉は不信を隠しはしなかった。兄と義姉への害がまだ増えるというなら、どうあっても食い止めるつもりなのだ。


 「あのふたりは、伊織を出てやっとちゃんとした妹背になれるんだ。あんたなんかにやらないぞ」


 晴山は双葉の気勢に押されたかにも見えたが、一瞬のち、いかにも愉快そうに声を上げて笑い出した。


 「そうか、では、ひとつわたしと賭けをしないか」


 哄笑が収まってもなお、くくく、と喉を鳴らしながら、晴山が言った。


 「おまえの兄と義姉が、どこへ向かったのか。わたしより先に探し当てられたら、おまえの言うとおり、ふたりには何もしないよ」

 「どっちも外れだったら? 」

 「そのときは、賢い身内のいることを誇ればよい。弟にも暴けぬところへ逃げおおせた、とな」

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