妹背
ナギと双葉は、葵の知らない、獣も通らなそうな木立ちの間を迷いもせずに進んでいく。里の騒ぎはもう遠い。そばでりんと虫が鳴いた。
「この辺りは、昔兄上とよく遊んだところなんです」
双葉が囁いた。軽い口調で葵の気持ちをほぐしながらも、その目は警戒を怠らない。兄と同じように、優れた衛士なのだろうと葵は思った。
「双葉は、誰かに仕えてはいないの? 」
「わたしなんかまだまだ、山辺彦さまに叱られてばかりです。来年からあのウカミにつけと言われたきりで……」
双葉は心底うんざりだという声で答えたが、すぐに葵に笑いかけた。
「だけど、この分じゃもうその心配はなさそうだ。ああ、清々した」
ナギが弟を振り向いた。
「おまえ、わざと未熟なふりをしているのではないだろうな」
双葉は慌てて首を横に振った。
「まさか! だけどどちらにしろ、もうあの人のところへは戻れませんから。ね、義姉上。ものは明るく考えましょう」
「おまえは能天気が過ぎるな」
「兄上こそ、そんな固い顔ばかりじゃ義姉上に嫌われますよ」
ナギはおまえがうるさいからだ、と呟いたが、目元に柔和な色が見えていた。仲のいい兄弟だ、と葵は思う。互いのことをよく知っているのだ。いいところも、そうでないところも。
葵は里人たちに火を放たれたとき、自分で考えていたほどには、みなのことを知らなかったのではないかと思った。噂ひとつがあんなに大きな話になって、そのせいで殺されそうになるなど思いもしなかった。彼らは、誰に強いられたわけでもない、みずから葵を憎み、焼いてしまおうとしたのだから――。
葵は兄弟が羨ましかった。
「葵さま、どうかなさいましたか」
黙り込んだ葵に、ナギが声をかけたときだった。
「兄上! 」
双葉が叫びざま、葵を兄の方へ突き飛ばした。
「双葉! 」
足下の深い茂みから槍が突き出し、双葉の肩をざくりと抉った。ナギが葵を受けとめ、別の手で弟の襟を引っ張ったので、下から胸を刺されることだけは免れたのだった。
「この腰抜け! それでも衛士か! 」
双葉は怒鳴り、血をぼたぼた垂らしながら槍を蹴飛ばした。双葉を傷つけたのは衛士とも思えない情けない体つきの男で、武器を失って一目散に逃げ去った。
「あいつ、巫女探しに駆り出されるのが嫌で隠れていたんですよ。でもたまたまわたしたちが通りかかったから、急に手柄が欲しくなったんでしょう」
「……巫女探し? 」
「ウカミが衛士に命令したんです。巫女宮に火が放たれたら、巫女を生かしたまま捕らえよって。だから今頃、里中の衛士たちが義姉上を探してるはずです。……いてて。義姉上、痛いです」
双葉は舌打ちして傷を押さえたが、葵が傷を診はじめると素直に痛みを訴えた。蹴飛ばされたくらいで武器を落としやがって、と毒づくので、葵は笑ってしまった。双葉の物言いは、(口の悪さは別として)衛士の卵たちを叱るときの山辺彦によく似ていた。
とはいえ傷は深く、油断できない。葵は自分の袖を千切って双葉の肩にあてがい、ナギに尋ねた。
「少し、休めるようなところはない? 」
「近くに岩屋がございます。そこへ行きましょう。……双葉、歩けるな? 先を歩け。あの岩屋を覚えているか」
「山猿ですからね」
双葉はけろりと答え、怪我をしているのに誰より元気に歩き出した。葵は目ぼしい薬草を闇に透かして摘みながら後を追った。ナギがすぐ後ろをついてくる。
ごめんと謝ったら、それがわたしたちの役目ですからとあっさり言い返される気がして、何も言えなかった。
岩屋は口が狭く、藪に覆われていて、外から姿を隠すには都合がよかった。奥に行くほど広く、わずかの岩の裂け目から月の光が漏れてくる。闇に慣れた目には、大きな不自由はなかった。
双葉は器用に体を折り曲げて、傷から血と毒を吸い出した。葵は摘んできた草を揉んで双葉の傷に擦り込んだ。双葉の庇い方がうまいのか、見たところ血は止まりつつある。無理を強いるわけにはいかなかったが、といって、ここへひとり残していくのも案じられた。
ナギが弟の様子を見ながら尋ねた。
「どうする、双葉」
「どうするとは? 」
双葉はそっけなく答えた。傷のない方の腕と歯で、誰の手も借りずに傷に布を巻いていく。自分の怪我を何度も手当してきたのだろうと思わせる手際だった。
「まさか、まだおれを連れていくつもりですか」
双葉はいつもは兄弟の間でしか出さない、ぞんざいな口のきき方をした。
「おまえ――」
ナギが呆然として呟くのを、双葉は下から睨んだ。
「置いていってくださいよ、兄上。さっき逃げたやつ、きっと他の連中に報せに行きますよ。この肩じゃあ、ろくな盾にもなれやしないんだから」
ナギは眉の辺りを歪めて返事をしない。葵には、衛士と兄との境で迷っているのだと知れた。葵と関わるうち、衛士と夫との境で苦しむのと同じように。ナギがぽつりと呟いた。
「なぜ、そう正直なんだ――」
「あんたほどくそまじめに生きようと思ってないからですよ。くそまじめなくせに、見てるところが狭すぎて、自分のこともちゃんと分かってない。自分が、何を守らなきゃならないかも」
いいですか、と双葉は兄に真っ向から対峙した。
「そんなふうにどっちつかずだから、板挟みにあうんですよ。こんなところで迷って、義姉上に何かあったらどうする? 平気でいられますか? 」
ナギに口を挟む隙を与えず、双葉は怒鳴った。
「義姉上には、今は兄上しかいないんだぞ! 」
双葉の声は岩屋中に響き渡り、長く残った。わんわんという声の波が、ナギと葵を包んだ。
「兄上には、はなから義姉上だけなんでね」
双葉はくるりと顔つきを変えて葵にほほえみかけた。
「この通りの奥手ですが」
「――知ってる」
小さな声で囁くと、双葉は嬉しそうに頷いた。その仕草には、ナギが葵に、はい、と頷くのと似た優しさがあった。
「草を置いていくから」
「ありがとう、義姉上。――兄上、おれが行くまで、義姉上を頼みますよ」
ナギが双葉を振り向いた。そしてそこに見知らぬ偉丈夫がいるみたいに、ずいぶん長く弟を見つめた。
「ああ、また。――わたしたちは、川を北へ辿っていく。必ず追いついてこい」
「大丈夫かな……」
岩屋を出て、一度も振り返らず山道を急ぐナギの横顔に、葵は呟いた。
「双葉は愛敬がありますから」
ナギは葵の手を引いて、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「妬みも恨みも、何も買いませんから……」
ナギは西を指して山を進んでいるようだった。伊織は西だけが平野に向かって開けている。夜が明けてしまうのが先か、ふたりが里を出るのが先か、どちらにせよ、今は歩くほかなかった。里には、少なくともすぐには戻れないのだと、葵は唐突に理解した。
ナギ、と話しかけた瞬間、ナギの指が葵の唇を押さえた。木の影に張りついて、息を殺す。人の声がした。
「冗談ではないぞ」
思いがけずすぐ近くに、誰かがいる。声の主は欠伸混じりに、仲間に文句を垂れていた。衛士たちのようだった。
「こんな夜更けに、深山で人探しとはな。ガマ爺め、好き勝手言ってくれる」
ガマ爺とは、ウカミのことらしい。衛士頭の山辺彦がいない間、当然のような顔をして衛士たちを使っているが、このとおり嫌われていた。
衛士たちの松明が葵の足元を照らした。葵を見つけたというのではなく、ちょっと遠くを照らしてやろうと思ったものらしい。光はすぐに遠ざかり、代わりに溜め息のような声が聞こえてきた。
「鹿でも出てこないかな……」
「馬鹿な。火に寄ってくるのは虫くらいさ」
ははは、と眠そうな笑いが起こった。ナギは同じ衛士として何か言いたそうだったが、そのとき隠れているふたりまでが身を強張らせるほどの鋭い大喝が衛士たちを打ちのめした。
「この腑抜けども、貴様ら、まっすぐ立ってもおれんのか」
「オタカ」
ナギが渋い顔をした。オタカは大武棘の宮に仕える衛士だ。卑怯な人間ではないが根が真面目すぎて、一度こうと決めたら決して変えない。鍛練も怠らず、腕も相当立つ。
それを知っているナギにしてみれば、ウカミより誰より会いたくなかった青年だった。オタカは、自分の心をみずから押し殺すことに長けている。たとえ葵とナギの潔白を知っていたとしても、主君から巫女を捕えよと言われれば縄をかけるだろうとたやすく思い描けた。斬れと言われれば、やはりその通りにするであろうことも。
オタカは滅多にほぐれない眉間の皺をありありと刻んで、衛士たちをじろりと見回した。歳ははまだ若者と呼んで少しも差し支えないのに、隼のような眼光のせいで衛士頭と見紛うばかりの威厳がある。
「お主ら、誰を探しておるのか忘れたとは言わせぬぞ。媛さまの傍らには、大水葵と双葉がついている。生半可な覚悟ではこちらの身が危うい」
葵とナギは顔を見合わせ、ひとまず胸を撫で下ろした。衛士たちは双葉が手負いであることも、岩屋にひとりでいることもまだ知らないらしい。葵たちがすぐそばで聞いていることも。
衛士のひとりが言った。
「しかし、葵さまを捕えて一体、何になる。巫女の宮の衛士たちもよくは思わぬだろうし、第一、山辺彦さまならこんなことをお命じになるはずはないとおれは思う」
衛士たちは口々に、そうだ、そうだと頷いた。
山辺彦の名を出されても、オタカは少しも動じなかった。
「捕えるのではない、見つけるのだ。葵さまが追われるほどの罪を犯されたかどうかは誰にも分からぬ。しかし里人たちがあれだけの騒ぎを起こしては、こちらとしても黙っているわけにはいかない。御身の無事を確かめるためにも、我々は葵さまを見つけねばならない。――里の外に出て行かれてしまっては、本当に追わねばならなくなってしまうぞ。よその里に入られる前に捕えよと、あのウカミは言うだろうからな」
オタカが近くの衛士の手から松明をもぎ取り、急に木立ちを照らした。ナギが葵を庇わなければ、横顔を見せてしまうところだった。
「お主らがそうして無駄口を叩いている間に、葵さまたちがここを通って行ったかもしれんぞ」
オタカがふたりの隠れている木に手をかけ、覗き込もうとした。
ナギが足結いの紐から一番大きな鈴を外し、オタカがまずふたりとは逆の方を向いたのを幸いに、坂の方へ投げつけた。
鈴は大きな音を立てて転げていった。ちょうど人が走っていくのと似た鳴り方だった。
「やつらか? 」
「いや、音が少ないから、兄弟のどちらかだろう。我々を窺いに来たのだ、追え」
「待て、お主ら。あの兄弟はそんなに迂闊では――」
オタカが止めだてしようとしている、その隙にナギは葵を背負って駆け出した。オタカは剣も強いが、足はナギほど速くない。
「大水葵、待て」
叫んで追ってくるような気配はあったが、木立ちを過ぎるたびに遠ざかっていく。
北の山の終わりを示す大岩まで来ると、もう追ってきてはいなかった。ナギは葵を降ろした。
「このまま西の山を下りましょう」
ナギが言った。葵は頷いた。どこへ行くの、とは聞けなかった。誰にも分からないことだった。ところが――。
「どこへ流れてゆくつもりだ」
ふいに、木陰から現れた人影がナギの前に立ちはだかった。
小棘だった。大剣を片手に、こんなことはいかにも面倒だというふうにふたりを見ている。
「剣はどうした」
小棘はナギが腰に何も帯びていないのを見咎めて聞いた。
「丸腰で巫女王を無事に逃がしてきたのか。さすがというかなんというか……だがそれもここまでだな」
「折られてしまったのです」
ナギは短く答えた。ナギの剣は東の山で白い蛇に折られて、鍛え直しに出されたきりまだナギの元へ返ってきていなかった。
小棘は呆れたやつだという顔をした。
「剣も持たずに衛士が務まるか」
「格好を気にしなければ、使えぬものなど何もない」
ナギは小石を拾い、指先で撫でた。尖り具合を確かめているのだ。小棘はじっとそれを見ていた。
「その石でわたしを撃つか」
「我らを斬るとおっしゃるならば、やむをえません。たとえわたしが斬られても――」
「よいか、兄水葵。……いや、大水葵」
小棘は鞘ぐるみの剣で肩をとん、とんと叩いた。
「失礼ながら、葵さまはひとりで剣をお持ちになれぬ。祟りにならおまえよりお強いだろうが、剣を持った男には立ち向かえまい。おまえが死んだら守り手がいなくなるのだ。分かっておるのだろうな」
ナギの肩が少し下へ下がった。
「はあ……? 」
「だから、そうやって身を呈して戦おうとするな。みずからと引き換えに、一度だけ守ってみせたところでそれが何になる。おまえがしなければならないことは、守り続けることだ。そのまま出ていくというなら、人目を避けろ。逃げるのだ。それでは逃げ切れないと思うなら……」
小棘は持っていた剣をナギに放って寄こした。
「やはり剣を持ってゆけ」
刃は月の光を銀色に受けた。銅の色でないことは一目で知れた。
「鋼? 」
葵は剣を覗き込んだ。小棘は頷いた。
「なかなかの目利きであられる。さよう、それは鋼の剣だ。銅より強いぞ」
「なぜこれをわたしに? 」
ナギが尋ねた。隠しもせずに訝しむそのまなざしに、小棘は肩をすくめた。
「巫女王の夫に王子が鋼の剣を贈ることの何が悪い」
「しかし……」
「ぐずぐず言うな。新しく剣を鍛えようとしたら、蔵がいっぱいでこれ以上は置けないと言われただけだ。よいか、その剣を受け取ったからには、決して捕らわれるな。今一度この里に戻るその日まで、ふたりで逃げのびるのだ。分かったらさっさと行け。この方角なら、見張りのものもいない」
ナギは黙って小棘を見ていたが、やがて剣を腰に結わえた。小棘はふたりに背を向けた。何も見ていない、ということらしい。
「わたしの弟」
葵の手を引いてゆこうとしたナギが、急に歌うような調子で独り言を言った。
「双葉は無事だろうか。槍の穂先に裂かれ、北の岩屋にひとり横たわっている、わたしの弟は――」
小棘はナギが言い終えると、自分の方でも呟いた。
「ああ、無事だろう」
葵は思わず振り向いた。小棘は早く行けと顎をしゃくり、暗い木間をふたりが来た方へ駆け去った。
葵は尋ねた。
「王子に双葉のこと話してよかったの」
「ええ」
ナギは答え、かぶさってくるような宵闇から隠すように葵の背を抱いた。
「あの方には、きちんと芯がある――この剣が証です。さあ、山を下りてしまいましょう」
巫女媛、と呼ぶ声がした。
ほの暗く、ほの明るい、そのどちらでもない、緩やかな場所に、心だけが漂っている。
これは夢だ、と葵は悟った。夢で人々の行く末を受け取るとき、葵は決まってまずここへ流れてくるのだった。
伊織の里の神がそこにいる。
「巫女媛、そこにおるか」
また、伊織の神が呼んだ。葵はひそかに、この神のことをオオタマと呼んでいた。
「はい、オオタマさま」
「そなた、里を出るのだね」
オオタマの神は咎め立てするでもなく、噂話を確かめるような調子で言った。
「ということは、わたしの妻をやめるというのだな」
言葉尻に、明らかにほほえみが滲んでいる。オオタマは目に見えない指先で葵の頬を撫でた。それで、そこに頬があるのだと分かった。
「女神に妻をよこすとは、人の考えることは分からぬよ」
「みなは女神さまとは知りませんもの」
いつからだったか、女王は神の妻と言われるようになったのだという。男王の対とされていながら、他の里と交わりを持つうちにそうして変わっていった。オオタマにはそれが、おかしくてたまらないらしい。
「人の命は、いずれ現世を去ってゆくものな。元々はわたしに仕える采女というのが巫女の役目だったのだが……。百年も経てば、はじめのことなど本当は何も分かりはしないのさ。そなたが里を出てゆくことも、わたしは止めはしない。そなたも器を持っている以上神ではないから、ひとところに留まることはできないのだろうよ」
「里はこれからどうなりましょうか」
葵が聞くと、オオタマは鼻を鳴らした。
「ふん、あの男王は……。ああ、そなたの歌がなくなるのが惜しいことだよ。そなたはドクダミの祟りも解いてやったろう。まったく、人の考えることは分からぬよ……」
「あのドクダミの土地にあったのは、何の祟りだったのでしょう? 」
「人間の女さ。あの土に染み込んだ祟りはそなたが祓ったが、祟りの根はまだ生きている。知らせてやりたいことはいろいろとあるが、そなたのさだめはそなたが見出さねばならない。わたしの力の及ばぬことだ」
オオタマの声は波のように寄せたり引いたりしながら、少しずつ遠ざかっていった。
「この晩だけは守ってやろう。そなたと、そなたの衛士を」
――それからどのくらい経ったのだろう。
夢の中に葵の体はなく、やはりただ心だけが浮かんでいるようだった。空の星と森の木が一度に見え、世界はすごい速さで葵の後ろへ消えていく。時が動いているのだ。
地の果ては丸く、やがて白々とした光が差しはじめた。……
「葵さま」
名を呼ばれ、ぐらぐらと揺すられた。夜の明けはじめた、光り輝く世界は端から崩れ去った。
「葵さま」
ナギが呼んでいる。葵は飛び起きたが、差してくる陽の眩しさにすぐ目を細めた。現は夢よりも、ずっと明るかったのだ。
ナギは葵の肩に手をかけ、真っ青になって覗いていた。西の山を抜けて、平野へ抜ける少し手前の小さな岩屋の中だ。そうだ、昨晩はここで、休みましょうとナギが言ったのだった。
葵が寄りかかっていた岩肌から背を離すと、ナギは恐る恐るといったふうに手をどけた。
「もう朝? 」
「もうすぐ昼です。よくお休みでしたね。もうこのまま――」
ナギはゆったりと瞬きしながら、葵を見つめた。
「起きてくださらないかと――」
「里の神とお会いしていたの」
「里の神……」
ナギは居ずまいを正した。傍から見れば巫女を盗み出してきたも同然の自分に、どんな裁きが下ったのかと腹を括ったらしい顔だった。
「妻をやめるということだな、と言われたの」
「里を出るということは? 」
「そう……知らせたいことはいろいろあるけど、さだめは自分で見出すものだからって……人間のさだめには力が及ばないって」
「そうですか――」
葵は顔を上げた。ナギの声は、意外なほど明るかった。
「それなら、わたしが妻に迎えてもよいということですね」
「えっ? 」
「わたしたちが見出したさだめに力が及ばないということは、どんな道を選んでも祟りを与えることはできないということではありませんか」
そのときのナギのまなざしを、何と言って表せばいいのか分からない。喜びが目の奥底から湧いて出てくる一方で、眉の辺りの覚悟は悲壮だった。
「葵さま、伊織の神が問われたのは、わたしの覚悟ではありますまいか」
「ナギの? 」
「そうです。地祇はやはり、人を見ておられる――片恋を叶えたければ、守り通す覚悟をせよと言っておられるのでしょう。祟りなどなさぬから、自分の意気地のなさを何かのせいにするなと……こんなことにならなければ、あなたに告げられなかったでしょうから」
ナギは葵に向けたまなざしをほんの少しも動かさなかった。ナギにとっては、告げることを諦めていた言葉だった。
「わたしの妻になってくださいませんか」
「……うん……」
頭の芯が痺れた。恋うるというのは、こういう気持ちなのだと――。
「あかるこ」
ナギの声が呼ぶ、その名の美しさが、抱きしめられた胸を高く鳴らした。