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第八章【よからぬこと】二月二十八日

 松成と別れて太郎坊神社を少し歩くと、離れと呼ばれる平屋があった。

 その庭では老齢の男性が、焚き火をしていた。

「あれが、じいさんだ。名前は博為ひろため

 冬哉は私に小さくいった。

「じいさん!」

 冬哉が声を掛けると、博為翁は顔を上げた。

 冬哉の顔を確認すると、その表情はぱっと明るくなった。しかしすぐに、眉間にしわを寄せた。

「なんだ。なぜ、そんな頭なんだ」

 冬哉に憑いている鬼虚以上に、冬哉の髪の方が気になったらしい。もしくは松成と目を共有しているらしいので、鬼虚には気付かないのかも知れなかった。

「必要があったから、切った」

「下法でも使ったのだろ」

 冬哉は松成の時と同様に「どうかな」と適当にいった。

 そして話を変えるべく、私を博為翁に紹介した。

「あなたも見鬼なんですね。私は浮島うきしま博為ひろためと申します。ほとんど引退しておりますが、ここの宮司です」

 それから博為翁は私たちを縁側に座らせると、お茶を出してくれた。


「一恵が投獄されたと聞いたよ。驚いた」

 冬哉がいうと、博為翁は苦笑した。

「ずいぶん派手に活動していたからな」

 博為翁も松成も、一恵が投獄されたことに関しては、受け入れているようである。二人がいうように、それなりに派手に活動していたのだろう。

「一恵がそんなことになってるなんて、全然知らなかった」

「お前はよほどの用事がない限り、ここに顔を出さぬからな。今日は見鬼のお嬢さんを連れて、なにか聞きに来たのだろ」

 博為はそういうと、お茶に口をつけた。

「水戸藩について、知っていることがあれば教えてほしい。ここは水戸藩のご贔屓ひいきだって、聞いたことがある」

 冬哉はいった。

「水戸藩のご贔屓かはわからないが、参拝に来る者はいるらしいな。しかし深い意味はないと思うぞ。たぶんこの神社の名前のせいだ」

「太郎坊神社という名と水戸藩に、なんの関係があるんだ」

 冬哉は不思議そうにいった。

「太郎坊という名は、天狗につけられる名であることは知っているだろ。水戸藩には天狗党と呼ばれる派閥があるから、それにあやかって参拝しているのだと思う」

「天狗党?」

「なんだ、知らないのか」

「水戸藩のことは、詳しくない」

「水戸藩主の斉昭なりあきは知っているだろ」

「それはさすがに知ってる。俺には無関係だが、直弼さんの政敵せいてきだろ」

 冬哉がいうと、博為翁はうなずいた。

「斉昭は水戸藩に身分や年齢を問わず、卒業の概念を設けない弘道館こうどうかんという教育施設を作ったんだが、そこで知識をつけた学者たちは、斉昭を強烈に支持している。さらには斉昭が水戸藩主に就任すると、その学者たちは権力を持つようになった」

 斉昭が水戸藩主になる際にも、後継者の問題があった。その時に活躍したのが弘道館の学者たちであった。そのため斉昭が水戸藩主になってからは、その学者たちは多く登用され藩政改革はんせいかいかくの担い手となった。

「その学者たちをよく思っていない者らは、彼らの驕り高ぶった態度を批判して、天狗党と呼ぶようになったのだ」

「あまりいい意味を持つ名ではないんだな」

「そうだな。しかし本人たちはその名を気に入っているらしい。だからここにも来るのだろ」

「この神社には実際に、太郎坊もいるわけだしな」

 冬哉はなにかを探すように上空を見た。

「ここの神様は、太郎坊という天狗なんだ。たまにその辺を飛行してる」

 冬哉は私にいった。

 私もつられて空を見上げた。しかしそこには、青い空が広がるばかりである。

「水戸藩に見鬼がいるとも考えにくいけどもな。一恵がいた頃は、ここにもよく下りてきたものだが、今はあまり下りてこないな」

 博為翁も私たちと同じく空を見上げていった。

「太郎坊は一恵に懐いてるんだったか」

「一恵は太郎坊の絵を好んで描いていたからな。それがうれしかったのだろ」

 博為翁はそういうと、小さく生きを吐いた。

「しかし水戸藩の中は今、大きく揉めていると聞く。太郎坊という名前にすがりたい気持ちでもあるのかもな」

「幕府と揉めているわけでなく、藩内で揉めているのか」

 冬哉はいった。

「孝明天皇の勅書ちょくしょを幕府に返納するか、しないかで、かなり揉めているようだ。天狗党の過激派は、幕府には絶対に返納しないと主張していて、直弼の弾圧を恐れる保守派の者たちは、早く返してしまえといった具合らしい」

 水戸藩は勅書の存在によって、大きく分裂した。城内で切腹した者がいるほどには、当時は混沌としていた。

「天狗党の過激派は、水戸藩の者が勝手に勅書を返納せぬようにと、水戸街道を封鎖までしているらしい。そして脱藩して、よからぬことをくわだてている者もいるとかなんとか聞いている」

「それで神頼みか。しかし、水戸藩の中に見鬼がいないと考えるのは早計のように思う」

「見鬼がいるから、ここに参拝者がくると思っているのか」

「いや、こことは無関係の話だよ。水戸藩の中に下法を使う者がいる可能性を考えているんだ。最近、時の鐘に妙な気配を感じないか」

 博為翁は心当たりがありそうな雰囲気であった。

「妙な音が混ざっている程度には思っていたが。冬哉がいうなら、気のせいではないのだろうな」

「下法を使う者が、時の鐘を利用しているんじゃないかと考えてる。時の鐘は呪術的には、大きな意味と作用がある。俺も術を使う時に、あの音を利用することが多い」

 冬哉はちらりと私を見つめた。

 私も暮れ六つの鐘で冬哉に呼び出されたせいだろう。

「そうだな。妙な術を使う者が、いないとは言い切れない。しかし、なんだ。水戸浪士の動向を探れと、井伊直弼に頼まれたのか」

「俺はただの見鬼だ。そんなことは頼まれないよ」

 博為翁は「それもそうだな」と、薄く微笑んだ。

「これはただの独り言だがな。水戸浪士が、内藤ないとう新宿しんじゅくの岡場所に出入りしていると聞いたことがある。取り締まりが厳しいので、江戸の潜伏に難儀しているんだろうな」






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