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第五章【誤解されやすい】二月二十七日


「くれぐれも、杏里さんを頼む」

 直弼のその声を、私は冬哉に背負われた状態で聞いていた。

「この屋敷は、広すぎてな。密偵が紛れていないともいい切れないし、見知らぬ少女を住まわせると、たちまち噂になる」

「わかってる。その点、俺の家は狭くて安全だからな」

 どうやらすでに屋敷の外にいるらしいが、私は自分がいつ座敷を出たのかさえ思い出せなかった。

 なにかを話そうとしても、思考が全然まとまらなかった。

「明日、茶室で待っている」

 冬哉は「うん」と返事をすると、私を背負ったまま静かに歩き出した。

 私は冷たい空気に包まれ、夢と現の間を行き来していた。

 うっすらと目を開けると、直弼はまだこちらを見ていた。小さく手を振ってみると、直弼も笑顔で手を振り返してくれた。

 なんだか胸が痛くなるほどには、うれしかった。

 うれしくて、涙がでた。

 私が声を殺して泣いていることに気付くと、冬哉は「泣き上戸なのか」といった。

「なんだか、うれしくて」

 一緒に食事をしてくれたこと、お酒を注いでくれたこと、自分の話をしてくれたこと、それらすべてがうれしかった。

 そしてそれらすべてが、心のどこかで父に求めていたことだったと気付いてしまうと、また涙が出てくるのだった。

 冬哉がいうように、私は泣き上戸なのかも知れなかった。


 外気にさらされて目が冴えてきた私は、自分の足で歩くことにした。

 冬哉は「本当に大丈夫か」といいながらも、私を背中からおろしてくれた。

「途中から記憶がないんだけど。未来の話とか、してないかな」

「どこから記憶がないのか知らないけど。いってないと思う。いってたとしても、聞いてなかったな。急に泣き出したと思ったら、そのまま眠ってた」

 冬哉はなんでもないことのようにいったが、私は恥ずかしくて爆発してしまいそうだった。

 そうして歩くうちに、酔いがまわったのか、私の具合はどんどん悪くなっていった。いよいよ限界が近づくと、私は足を止めた。

 冬哉はすぐに状況を察したらしく、私を道の端に寄せると口の中に指を突っ込んできた。私が「え」と驚愕の声を上げる間もなく、私はその場で嘔吐した。

「ご、ごめんなさい」

 吐いたせいか、私の目には再び涙が溢れていた。

「べつに、謝ることじゃない」

 冬哉は酔っ払いの介抱になれているのか、通常運転であった。

「すごく、情けない」

 誰かに迷惑をかけることが怖くて、ダメな自分を知られたくなくて、ずっと息をひそめるようにして生きてきた。

しかし今宵は、冬哉に迷惑しかかけていなかった。

冬哉は無言で、私の背中をさすってくれた。

その優しさに、また泣けてくるのだった。


「どうかしたのか。長くそこにいるようだが」

 振り返ると、そこには長野主膳がいた。

「休んでいただけだ。少し飲ませ過ぎた」

 冬哉がいうと、主膳は「そうか」と短くいった。

「直弼さんに、俺を見張れとでもいわれたか」

 冬哉がいうと、主膳はふんっと鼻を鳴らした。

「私の一存だ。その足取りで無事に平河神社にたどりつけるか、心配だったからな」

「この辺は、そう物騒でもないだろ。いたずらに杏里さんを怖がらせるなよ」

「しかしなにかあった場合には、酔ったお前だけでは杏里殿を守れないだろ」

 主膳はぶっきらぼうにいった。私のことは心配してくれている様子であるが、冬哉に対してはなかなか挑発的な発言だった。

「そもそも私は、お前を信用してない。妙な術を使うが、その術の効果も怪しいものだ。それに……」

 主膳の言葉には明らかにとげがあり、それ以上は続きを聞きたくなかった。

「あ、あの!」

 私は少しだけ大きな声を出して、主膳の言葉を遮った。

「冬哉は、きっと、信用できる人です。だから、そんな、意地悪を、いわないで下さい。お願い、します」

 直前まで嘔吐していたこともあり、さらには色んな感情が入り混じってしまい、私は涙を止められないままでいった。

私が泣きながら懇願したと思ったのか、主膳は「むぅ」と閉口した。

「無理にしゃべるな」

 冬哉はそういいながら、私の背中をさすった。

「主膳が意地悪なのは、今に始まったことじゃない。それに仕事はできる男だ。俺たちは、ゆっくり家に帰ろう」

 冬哉は主膳の言葉を本当に気にしていない様子だった。

 私にとっては、それもなんだか悲しかった。



 それから私たちは、本当にゆっくり平河神社へと帰った。

 平河神社に到着すると、主膳は無言で踵を返した。

「ありがとうございました」

 私がいうと、主膳は小さく顎を引いた。

 それを見送った後で、私たちは境内の井戸へ向かった。


「杏里さんは、怖くないのか」

 井戸でちびちびと水を飲んでいると、冬哉はぽつりといった。

「なにが?」

 視線を向けると、冬哉は静かに目を逸らした。

「俺のことだ。俺は見鬼である以前に、人に怖がられることが多い。妙な術を使うのは事実だしな」

「転移には驚いたけど、別に怖くないよ」

 私はどちらかといえば、言葉がきつい人以上に、人を傷つける言葉を意図的に吐く主膳のような人の方が怖かった。

「なんというか、主膳に言い返してくれて、うれしかった。でも簡単に人を信用しない方がいいと思う。俺たちは、杏里さんを勝手な都合で転移させたんだ。なんだが、人が良すぎて心配になる」

 冬哉はやはり目を逸らしたままいった。

「でも冬哉は、あやとりを探してくれたから。悪い人じゃないと思う」

冬哉は忘れていたらしく、そんなこともあったなという顔をした。

「なくしたものを探すくらい、誰でもするだろ」

「そうかもしれないけど、私は、冬哉がひどいことをいわれるのは、嫌だったの」

――お前を信用してない

 主膳の言葉は、父を軽んじる大人たちを彷彿とさせるものだった。

 親族らの言葉が、父に届いていたのかはわからない。

 それでも私は口を閉ざすべきではなかったのかも知れない。

父は完璧な人じゃない。それでも私に必要な人で、大切な人だから、そんなことはいわないで欲しい。

そんな風に、自分の意見をいえていたらよかったのかも知れない。

 そんな後悔が、今も心のどこかに存在している。

 私の情緒は壊れてしまったらしく、再びほろほろと涙を流した。

「うぅ……」

「え、大丈夫か」

 冬哉はそういって、手ぬぐいで私の顔を拭いてくれた。

「お父さんも、誤解されやすい人で、それを思い出してた。もっと、ちゃんと、私がなにか、いえてればよかった」

「誤解されやすい人ってことは、杏里さんの父親も見鬼なのか」

「ちがう。ちょっと、変わった人なだけ」

 私はそういって鼻をすすった。

 冬哉は「それは誤解されやすそうだな」と小さくいった。

「私のいた世界には、たぶん見鬼はほとんどいなかったと思う。この世界にも、見鬼は多くはないの?」

「そうだな。多くはない。それほど詳しくは知らないが、六十年前に伊能いのう忠敬ただたかという人がある島を発見して、その島は妖怪も見鬼も住みやすいことがわかったんだ。その時に、大移動があったらしい」

 今から六十年前というと一八〇〇年くらいである。

 伊能忠敬が蝦夷地を測量していたのも、その頃だったはずである。

「昔は妖怪を相手にする妖将官ようしょうかんという役職もあったらしいが、今はその職業も残っていない。日本にはすでに、人間に害のある妖怪は残っていないし、妖将官も見鬼の多くも、その島に移住したと聞いている。六十年も前の話だから、どこまでが本当なのかはわからないけど」

 冬哉はそういって白い息を吐いた。





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