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第三章【あやとり】二月二十七日


 冬哉に手を引かれて歩いてほどなく、私たちは神社の参道にたどり着いた。

 私が座り込んでいた場所は、参道脇の雑木林だったようである。

「ここは平河ひらかわ神社だ。俺はここの宮司ぐうじに雇われている神職なんだ。今は、境内けいだいにある平屋に住んでる。宮司一家は、あの家だ」

 冬哉はそういって、神社からそれほど離れていない家を指した。

 私がその家に目を向けていると、ガサガサと暗闇から音がした。

「とうや! しゅぜんがくる」

 そういって姿を現したのは、白いけものであった。私が知るネコよりも一回りほど大きいが、ネコのようである。

「わかった。ありがとう」

 冬哉はネコが人語を話すことを、当然のように受け入れていた。

「この子も妖怪だ。名前はトト」

 私の視線に気付くと、冬哉はいった。

「姿が見えるし、声も聞こえてるだろ」

 私は「うん」と素直にうなずいた。

「さっきの狐面の子どもたちより、はっきり見える」

「目が慣れたんだろ。一度みえるようになると、そういう目になるんだ。みえなかった頃には戻れない」

 冬哉はわしわしとトトを撫でた。

 冬哉に撫でられているトトは、満足そうに目を細めた。

「それは、首輪?」

 私はトトの首を指した。

 トトの首には、なにかが掛けられていた。

「これは懐中時計。呪具じゅぐといわれる物なんだけど、知り合いのじいさんにもらったんだ。使い道もないし、手にあまるからって」

「この時計が呪具なの?」

「うん。この懐中時計を術で生き物とつなぐと、生き物の時間と懐中時計の刻む時間は連動するんだ。つまりその状態でこの時計と速めると、その生き物の成長速度も速くなる」

 なんだかとんでもない懐中時計であることは理解できた。

「トトが早く成長したいっていうから、通常の一・二倍の速さで懐中時計を進ませてるん」

 なんとも慎ましい速さである。どんな道具も、使う者次第なのだと思わされる。

「いまは、とまってる」

 トトはいった。

「え、そうなのか」

「うごいてない。コチコチいわない」

 冬哉はトトの首からそれを取ると「本当だ」と呟いた。

「トトの時間も止まっていたのか。どうりでここ数日、メシをせびりにこないわけだ」

 冬哉は右手の人差し指と中指を立てて、なにかを詠唱した。すると懐中時計と、トトの心臓のあたりが薄く発光した。

「この時計はもう壊れたみたいだから、俺が持っておく」

 冬哉はそういうと、懐中時計を自分のそでにしまった。

 トトは「わかった!」と、即答した。早く成長したい理由は謎であるが、それほどこだわりもなかったようである。

 冬哉が懐中時計をしまう仕草を見て、私はなんとなく自分のポケットを探った。

 想像した通り、それはポケットから消失していた。

「どうした?」

 冬哉は私にいった。

「ちょっと、落とし物したみたい。でも大丈夫、たいしたものじゃないから」

「しかし気になっているんだろ。回収しよう。何を落としたんだ?」

 それは口にするのをためらうほどには、本当にたいしたものではなかった。

「あやとり」

 私は小さくいった。

「戻って探してみよう」

 冬哉は即答した。

「え、いいよ。本当にたいしたものじゃないから」

それは母の形見であるとか、大事な誰かにもらったとか、それについての思い出があるとか、そんなことは一切ない。ただのあやとりだった。

 しかし私は今、それを失くしたことを冬哉に報告してしまうほどには、まだ混乱の中にいるらしい。

「それに、なにか来るんでしょ」

 私がいうと冬哉は首を振った。

主膳しゅぜんは待たせておけばいい。杏里さんはこっちの都合で突然こんな場所に転移させられて、持ち物をなくしたんだ。それを放っておくのは、あまりにもひどい話だ」

 冬哉はそういって、来た道を戻った。

 こんな風にわかりやすく優しくされてしまうと、彼を強く警戒することはできなかった。



「どこにいた」

 私たちはそれほど苦労せずに、あやとりを見つけることができた。

 参道へ戻ると、そこには大柄で屈強そうな中年男性が提灯を持って立っていた。闇に包まれていても、その眼光がかなり鋭いことは感じられた。

待たされたことに怒りをにじませているのか、それが通常なのか、私には判断がつかなかった。

「いう必要はない。でも、主膳がここに来たのは無駄足ではなかったよ」

 冬哉はそういって、私の前に提灯を出した。

「杏里さんだ」

 提灯に照らされた私は「杏里です」と、あわてて頭を下げた。

長野ながの主膳しゅぜんです」

 彼も私に深々と頭を下げてくれた。

 トトが「しゅぜん」といった時は、まさか長野主膳であるとは少しも想像していなかった。

 長野主膳。

 井伊直弼の家臣であり、右腕といっても過言ではない人物である。

 直弼の家臣になる以前の経歴は不明な点も多いが、国学者である。

直弼なおすけ様に様子を見てきて欲しいと頼まれたのだが、本当に転移術が成功したのだな」

 主膳は私を凝視した。

 私の格好を見れば、この時代の者でないことは一目瞭然のはずである。

「杏里さんは今から、約百六十年後の未来からきたらしい」

 冬哉はいった。

「彼女の姿を見れば、疑う気も失せるな」

「杏里さんには、直弼さんの暗殺を阻止したいことは伝えた。協力してくれるらしい」

 正確には「できることであれば協力したい」とはいった。しかしそれがまさか、井伊直弼の暗殺阻止であるとは思わなかった。そしてそれを阻止することは、無理だろうと思っていた。

「それは心強い。ありがとうございます」

 主膳は再び、私に頭を下げた。

 それから主膳は「これは、直弼様からです」と、私に風呂敷を差し出した。

「え、ありがとうございます。これは?」

「着物と、袴です。杏里殿は、着物をお召しになって下さい」

 つまり着替えろということなのだろう。

「ずいぶん準備がいいな」

「直弼様が持っていけと、私に命じたのだ。冬哉の術は失敗しないからと、断言しておられた」

「そこまで信頼されても怖いけどな」

 冬哉は失笑した。

「本日は混乱することも多いだろうから、今宵は歓迎だけさせて欲しいとのことです。それに着替えてもらったら、井伊家上屋敷かみやしきにご案内致します」








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